第120話 木のうろの光るレアダンジョン

「なんでエンリツィオだけ置いてくんだ!」

 エンリツィオの姿が見えなくなっても、俺はまだなんとかしようと、俺を担いで走るアダムさんの腕から逃れようともがいた。

「……我々は何があっても、匡宏さんをお守りするよう、ボスより言いつかっています。

 匡宏さんをあの場に残すわけにはいきませんでした。わかって下さい。」


「──どういうことですか?」

 アダムさんの言葉に俺は首をかしげた。

「ボスは先程悪魔との契約を切り札とおっしゃいましたが、我々にとっての本当の切り札は──匡宏さん、あなたです。あなたを奪われる訳にも殺される訳にもいきません。」

 ローマンさんが言う。


「匡宏さんが現れてからというもの、エンリツィオ一家の切り札は、匡宏さん、あなたになったと言うことです。」

「ボスは、俺かアダムのどちらかに残れと言いませんでした。ボスには勝算があるということです。任せておきましょう。俺たちのボスは、敵対組織の幹部2人程度が相手でやられてしまうほど、弱くはありませんよ。」


 俺が……切り札……。

 俺のスキル強奪は、エンリツィオ一家が望むスキルを集めるのには、必要不可欠なものだ。王族への復讐と、未だに元勇者たちを付け回す、サーベルのような賞金稼ぎどもを根絶やしにする為にも、これだけは失うわけにはいかない。それは分かるけど……。


「けど……。けど、全員でかかれば、もっと安全に倒せるかも知れねえのに……。」

 俺はそれでも納得がいかなかった。

「匡宏さん。俺たちが足手まといになるという可能性もあるということです。ボスは以前とらえられた際に、たったひとりで彼らと対峙しています。ボスをとらえたのは管轄祭司の力で、アスワンダムの人間じゃない。」

 アダムさんが言う。


「ボスは奴らとの戦い方を知っているということです。アスワンダムの人間は全員特殊なスキル持ちだ。俺たちにとって未知の力と戦わせるよりも、逃がすほうが俺たちも自分も安全だと考えたという事ではありませんか?

 実際魔族との戦いで、俺は手も足も出ませんでした。だがボスは戦い方を知っていた。

 今回もおそらく同じだと思います。」

 と、ローマンさんが言った。


 そう言われると何も言えなくなった。俺だってよく分からないスキルを相手にどこまで戦えるかは分からない。アダムさんやローマンさん、ましてやユニフェイを危険な目には合わせられない。ここにいる魔物だって、本来いる筈のない危険なものばかりが出てきてて、何度も死にかけているのだ。


 このまま残っても全員が死ぬ可能性があるのなら、俺がボスだとしたって、俺ひとり残って万全を期してからやり返させるだろう。

 スキルを集める力のある人間を残して、仲間全員を強化してから戦うと思う。だから黙るしかなかった。だけど、それと、大好きな人たちを失うかも知れない、やり切れなさや気持ちのやり場のなさは別だった。


 後ろ髪を引かれながらも、それでも俺はこの場から離れる指示に従ったのだった。

 森の奥に進んで行くにつれ、段々と霧が濃くなって視界が悪くなる。空を見上げると霧に閉ざされて空すら見えない。雲なのか霧なのかすら分からない白いモヤが、前も後ろも上空すらも塞いでいるのだ。


「まるでタバコ──、」

「まるでタバコ好きの森みたいですね。」

 とアダムさんが言った。

「知ってるんですか!?」

「はい、俺たちも子どもの頃見てましたよ、ドイツでも翻訳されてましたからね。」

「カールはぬいぐるみ集めてましたし。」

「へー、意外。」


 あのクールなカールさんと、キャラクターぬいぐるみが結びつかないんだが。

 ちなみに俺たちが言っているのは、某国民的漫画&アニメの映画版で出てきたキーワードかつ、その舞台となる場所の名前だ。ヘビースモーカーズフォレスト。──煙草好きの森という意味で、作中では東アフリカ、ザイールのコンボ盆地の奥、ずーっとジャングルが広がっているあたりとされている。


 NASA(アメリカ航空宇宙局)がそう名付けたと、主人公の友人であり頭のいい少年が教えてくれたもので、コンボのジャングルの一部分だけ、いつも雲がかかっていて衛星写真が撮れないその場所に、魔境を発見した主人公たちが冒険をしに行く話で、あまりのリアリティに、小さい頃の俺は、いつか行ってみたいとワクワクしたものだ。


 中学に上がってスマホを買い与えられた時にヘビースモーカーズフォレストの場所をさっそく調べようとした俺は、魔境こそ作り物にせよ、ヘビースモーカーズフォレスト自体はあるものだと信じていたのに、そもそもそこからして創作だと知った時は、たいそうガッカリしたものだ。今見ても面白い、大人も子どもも楽しめる作品だと思う。


「実際にはないって知ってガッカリしたんですよね。あると信じてましたし。」

 とローマンさんが言う。

「ローマンさんもですか!?」

「もちろんですよ、大人になったらいつか行こうとしてましたし。なんなら旅行先に指定しようとしてみんなに笑われました。」


「俺はバミューダトライアングルに行きたかったですね。一番好きな話です。バギーのシーンは何度見ても泣けて……。」

 とアダムさんが言う。

「俺もです!俺ロボ泣きの人なんで、ああいうのホントヤバくて……。」

 なんなら思い出して今も泣きそうだ。


「わかります、別の映画ですけど、塔の上のヒロインを助けようとしたロボットが、大砲で撃ち抜かれるシーンも大泣きしました。」

「わかりますう〜!!」

 俺は思わず両手の拳をブンブンと振って力説した。まさかこの2人と日本のアニメの話が出来るとは!


「ちなみにアダムさんとローマンさんの世代の時は、声優さんて、わさびえもんと、のぶ代えもんの、どっちだったんですか?」

 と俺が聞くと、

「ワサビエモン?」

「ノブヨエモン?」

 と、初めて聞いた言葉かのように、2人が揃って首を傾げた。


「あ、えと、その、声優さんです、キャラクターに声をあててた人が世代で違くて、そのことなんですけど。」

 世代交代があったことで、その時代時代を表すのに、声優さんの名前をもじって、そうやって呼んでいるのだ。ちなみに俺の世代はわさびえもんだ。


 俺がちょうど生まれた頃あたりに世代交代があったから、2人は前の世代の声優さんじゃないかと思ったのだが。

「そのワサビエモンさんとノブヨエモンさんが誰だかも、そのキャラクターに声をあててた人の名前も分かりませんが、おそらくドイツ人だと思いますよ。」


 あ、そっか。字幕じゃねえんだ。吹替版なんだな。そうか、そうだよな、だって子どもが見るアニメだもんな。てことは、世界各国の声優さん──声優さんて海外にもいんのかな?──が声をあてたバージョンがあるってことか。ふーん、ちょっと見てみたいかも。

 共通の話題があったことが嬉しかったが、そこはやはり外国との違いがあるようだ。


 話に夢中になっていた俺たちは、視界が悪いこともあって、目の前にあんまり注視していなかったのが悪かった。俺を横抱きにしたまま歩いていたアダムさんごと、俺たちは突然目の前に現れた、モフモフの何かに突っ込んてしまった。俺の横顔が毛に埋まる。

「──わぷっ!?」


「あ、申し訳ありません。」

 慌てて一歩下がったアダムさんと俺は、俺たちが突っ込んだものを見上げる。すると、そこには巨大なユニフェイ──小山のような大きさのフェンリルが俺たちを見下ろしていたのだった。声にならない悲鳴を上げる。

「……アダム!匡宏さん!」


 恐怖のあまりに震えた声でローマンさんが呼びかける。ローマンさんはギュッとユニフェイを守るように抱え込んでいた。

 デッカ!将来ユニフェイもこんなんになるのか!?巨大なフェンリルは、俺たちを無視してツイッと一歩足を進めたかと思うと、ローマンさんが抱いているユニフェイに近付いて、フンフンと匂いを嗅ぎだした。


 ダラダラと嫌な汗をかいているローマンさんは、硬直したように強張って、身動きが取れないようだった。

 フェンリルって伝説の魔物じゃねえのか?

 なんでこんなところに、こんなデッカイのがいるんだよ!!やっぱり魔王の力が増してる影響なのか?


 オマケに、同種族同士ならそれが普通なんだろうけど、ユニフェイの尻の匂いを嗅ぎだしたので、俺は思わずイラッとした。

 巨大なフェンリルはひとしきり匂いを嗅いだあとで、チョコンと座って小首を傾げたかと思うと、前足を振って、おいでおいでのような仕草をした。


 ユニフェイはローマンさんの腕から飛び降りると、巨大なフェンリルを無視するかのように、アダムさんの足元、つまり俺のそばに来てチョコンと座った。

 そんなユニフェイに再び近付くと、巨大なフェンリルはユニフェイに顔を近付け、前足をチョイチョイと振っている。

 自分のほうに来いって言ってんのか?


 「──これは俺んだ!!」

 俺もアダムさんの腕から強引に飛び降りると、ユニフェイを抱き上げて巨大なフェンリルを睨んだ。

「た、匡宏さん、あまり刺激しないほうがいいです……。フェンリルはAランク以上、Sランクの魔物ですよ……。」

 ローマンさんが震えた声で言う。


「仲間にしたいだけなら、ユニフェイがいる限り攻撃して来ないんじゃないですか?

 ユニフェイも嫌がってるわけだし。

 いいから無視して行きましょうよ。」

 俺はユニフェイを抱いたまま、スタスタと歩き出した。アダムさんとローマンさんも、後ろを気にしながら俺について歩き出す。


 だが巨大なフェンリルは、ゆっくりと歩きながら、俺たちの後ろをいつまでもついて来る。しつっこいな!!

「仲間というよりも……、番いにしたいとかじゃないんでしょうか?あれ、オスですよね?フェンリルは数が少ないでしょうし。」

「確かに……。それなら貴重なメスだと思ってしつこくしてもおかしくないですよね。」


 アダムさんとローマンさんが、呟くようにそう言ってくる。

 ──なんだと!?あいつユニフェイを口説いてやがったのか?だから諦めねえのか!

「しつっけえなあ、さっきから俺のだって、言ってんだろーが!それにコイツはもともと人間なんだよ!これから人間の体に戻りに行くの!お前と同じ種族じゃねえんだよ!」


 俺は足を早めてスタスタ歩くも、同じ速度でデッカイフェンリルが後をついて来る。

「──ついてくんな!!」

 ユニフェイと違ってホンモノの魔物だからか、言ってることが分からないのか、単に聞き分けが悪いのか。巨大なフェンリルは、ついて来るのをやめようとはしなかった。


「匡宏さん、あそこに逃げましょう!」

 アダムさんが指差す先を見ると、ぽっかりと口をあけた巨大な木の根元が、うろみたくなってて、そこがなんだか緑色と黄色っぽく交互に光って見える。確かにあの大きさなら俺らは通れても、コイツは無理だろうけど。

「ええ?危なくないですか?」


 光ってる大木ってとこがなんかアヤシイ。

 どこか変なところにつながってたりしないんだろうか?ワープポイントみたいなさ。

「──あれはダンジョンの入口です!どんなダンジョンかは分かりませんが、木の根元の光るうろは、レアなダンジョンの入口の証なんですよ!入らない手はないです!」

 ローマンさんがそう言う。


 ダンジョンか!!確かに、森に入ってダンジョンを見つけたら、誰が見つけたんでもいいから入ろうと話してあったのだ。ノアに教えて貰ったサクリファイスは、地下ダンジョンにしか生息しないと言う。異界の門を簡易ダンジョンにする為の、鍵をドロップするという唯一の魔物。それがサクリファイスだ。


 俺たちがレベル上げをしたり、必要なアイテムを探すのに必要不可欠なもの。サクリファイスの鍵でしか行かれないダンジョン。

 そこにたどり着く為の鍵。特にSレアの鍵をサクリファイスのダンジョンボスを倒してドロップする。それがこの旅における、俺たちのもう一つの目的でもあるのだ。


「行きましょう!ダンジョンの中へ!!」

「はい!!」

「おおっとぉ!!」

 俺たちは全速力で走った。ユニフェイを抱きかかえた俺、アダムさん、そしてローマンさんが、次々に、緑色と黄色に交互に光る、木のうろへと飛び込んで行く。ちらりと後ろを振り返ると、木のうろの入口の外で立ちすくむ、巨大なフェンリルの姿が見えた。


「うわあああああ!!」

 ──中に入ったとたん、足元には何も無かった。予想外に突然空中に放り出された俺たちは、どこまで落ちて行くのかも分からない暗闇の中、ただただ不安定に、だが予想よりは遅いスピードで真っ逆さまに落ちて行く。

「──イテッ!!……て、あれ?

 そんなに痛くない……?」


 ポフン、と何かがクッションになり、俺たちはその上に弾みを付けて落ちた。地面も周囲も、緑色と黄色に交互に光る、モフモフとしたコケのようなものに囲まれていた。外の光はこれが放つ光だったのかな?

 そんな天井から落ちて来た俺たちを、目の前の屋台のような店で食事をしていた一人の男が、驚いて見つめていた。


 こんなところに屋台……?でもどう見ても屋台だよな。店主に客だ。誰かの家のリビングに落ちて来たってワケじゃあなさそうだ。

「あれ……?あんた……確か……、獣人の国の──そうだ、アシュール名物のザシャハ料理屋で、俺の隣の席に座ってた人じゃね?」

 オデコにバンダナ姿の金髪の男。確かにそうだ、間違いない。


 そう言った俺の姿を見て、バンダナ姿の男はギョッとしたように目を見開く。確かにこんなところで会ったらびっくりするよな。

 そもそもダンジョンの中にある店なんて、知ってる奴らは限られるだろうし。俺がコイツの立場だったとしても、偶然隣に座っただけの奴に変なところで再会したら同じ反応をするだろう。少しでも話してれば別だけど。


「あ、ああ。そういやそうだったな。

 俺に水をくんでくれたんだった。

 こんなところに何しに来たんだ?」

「アンタも同じじゃねえのか?俺たちはここのダンジョンを攻略しに来たんだ。

 こんな風に店が出てるってことは、結構有名なダンジョンなのか?ここ。」


「いや、有名なのはここの店さ。色んなダンジョンの中で屋台を開いて移動してるっていう流しの店でな。俺はこの店を探してここにたどり着いたんだ。ここの店のザシャハは世界一って言われてんのさ。食ってみたほうがいいぜ、俺が言ってる意味がすぐ分かる。」

 オデコにバンダナ姿の金髪の男は、そう言って俺にニヤリと笑った。


「まじかあ〜!!そういや腹が減ったな。寝てるところを襲撃されて、慌てて逃げて来てから、そういやなんも食ってねえ……。」

 いい匂いに刺激されて、俺の腹が空腹を訴えだす。アダムさんとローマンさんの腹も続けて鳴り出して、まるで輪唱みたくなってしまって、思わず全員で笑った。


「こんなとこまで、わざわざ店を探して食べに来るとか、よっぽど好きなんだな。」

「ああ。俺はザシャハに目がないのさ。」

 俺はバンダナ姿の金髪の男の隣に腰掛けると、ユニフェイをおろしてやって、俺もザシャハを注文した。バンダナ姿の金髪の男がずれて席をあけてくれたので、アダムさんとローマンさんも、俺の隣に腰掛ける。


 ダンジョン攻略前に、まずは腹ごしらえだな!ザシャハは大きな塊肉の乗った、太い麺の麺類で、一見ソーキそばみたいだけど、さすがに醤油がないから、味は魚介と塩の出汁に、なにかの柑橘系をお好みで絞って食べるものだ。最初に食べた店もかなり美味かったんだけど、この店のは段違いだった。


「──うんめえええええ!!!!」

 まず麺のコシが違う。讃岐うどんのような歯ごたえのある麺の噛みごたえが気持ちよくてたまらない。いつまでも食べ続けていたくなる。それにこの味……、醤油に似てるけど少し違う、けど、食べたことのある味だな、──そうだ、いしるだ!!


 いしるは魚醤のひとつなんだけど、ナンプラーとは全然違くて、醤油みたいに使うことの出来るものだ。日本三大魚醤なんて言われてる。大豆アレルギーの人でも醤油みたいな味付けの料理が食べられる。実は大豆を使った醤油よりも歴史は深いらしい。こっちでこんな味付けのものが食べられるなんて!!


 俺はどんぶりを分けて貰って、少しだけザシャハの麺と肉と汁を移し、フウフウして冷ましてから、足元のユニフェイにもやった。

 すぐに食べてしまっておかわりを要求される。うんうん。日本人なら食べたいよなこれは。けど、熱いまま食べたら、お前舌火傷すんだろ?冷ましてやっからちょっと待て。


 おかわりを貰って先にどんぶりに少し移してやってから、俺の分を先に食べながら冷ましていると、背中にまとわりついて急かされる。だああああ!可愛いけど、火傷すっから駄目だっつの!そしてまたフウフウしてから地面に置いてやる。結局ユニフェイと2人で4杯も食べちまった。アダムさんとローマンさんもおかわりをしてた。……満足じゃ。


「あー……。満足過ぎて動きたくねえ……。

 あと帰りにも食いに来てえ。」

 俺は腹を撫でながらそう言った。

「ダンジョンをクリアしに来たんだろ?

 ダンジョンはクリアすると消えるから、その時には店畳むだろ、店主も。」

 とバンダナ姿の金髪の男が言う。無口な店主が俺を見てコックリとうなずいた。


「あー、そっかあ。そうなるのかあ……。」

「残念ですけど、仕方がないですね。またどこかで見かけたら必ず立ち寄りたいです。」

「次はどこの場所に行くとか、公表しないんですか?駆け付けるお客さんいますよ?」

 アダムさんとローマンさんも、すっかりこの店の味の虜になってしまったようだった。


 そう言うと、店主は嬉しそうに頬を染め、細い目を更に細くして微笑みながら、俺たち一人一人にキーホルダーに付けるチャームのようなものをくれた。

「これ。常連さんだけに渡してる。1日1回場所示す。良かったらまた来て。」

「おお〜!!やったぜ!」


「絶対また来るぜ!ありがとな!店主!」

 バンダナ姿の金髪の男も大喜びしているようだった。

「あ、そうだ。良かったらこれに付けて持ち歩けよ。そこの先端にこの鎖紐通してさ。なんかに結びつけときゃ、なくさねえだろ?」

 俺はアイテムボックスから鎖紐を出して男に渡した。前に道具を作った時の名残だ。


 バンダナ姿の金髪の男は、俺と鎖紐を交互に不思議そうに見たが、

「ああ。あんがとな。」

 と言って、鎖紐を受け取って笑った。

「俺たちはこのままダンジョンに潜るけど、お前はどうすんだ?」

「俺は店に用事があっただけだからな。先を急ぐぜ。ここでさよならだ。」


「そっか。じゃあ、またどっかでな!」

「ああ!また!」

 バンダナ姿の金髪の男は、俺たちとお揃いになったチャームを揺らして見せながら、笑顔で去って行った。

「──あ!そういや名前聞くの忘れてたな。

 俺も名乗れば良かったぜ……。」

 俺は頭に手を当てながらそうぼやいた。


 ──その頃、アプリティオでは、江野沢の親友、但馬有季が、アプリティオ国王の秘書としてデビューする為、マリィさんに連れられて王宮の敷地内を歩いていた。ジルベスタに教えて貰ったメイクを施し、マリィさんチョイスの大人っぽい服に身を包んでいる。

「おかしくないですかねえ。」


 但馬は恥ずかしそうに後れ毛に触れながらマリィさんに尋ねた。着慣れない服装、慣れないメイクに、但馬は落ち着かなそうだ。

「大丈夫ですよ、頑張りましょう。」

 マリィさんが頼れる先輩らしく、ニッコリと但馬に微笑みかけた。

「はー、でも緊張します。」


「そうですね、誰でも初めてはそうですよ。でも、アプリティオ国王はお優しい方ですから、きっと大丈夫です。」

「そうですね、特に女性には優しいですもんね、うちの国王様。女好き丸出しだけど、どこか憎めないっていうか。一人だけ先に社会人になるなんて、正直不安で怖かったけど、あんな人が上司で良かったです。」


 2人が水たまりの上に足を踏み入れる。但馬がそのまま話しながら歩いて行く後ろで、水たまりの中から突如伸びた、糸の束のような、しなるベルトのムチのような、触手のような無数の何かが、マリィさんをとらえて口を塞いだかと思うと、──そのまま水たまりの中に、一瞬で音もなく引きずり込んだ。


「緊張しますけど、今日は頑張りますね!」

 ピチョーン……。

「……マリィさん?

 ──マリィさん?」

 返事が返ってこないことに、但馬がいぶかって振り返ると、周囲を見渡すも、マリィさんの姿はどこにも見当たらなかった。

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