第93話 死んだ筈の男
俺は次の日、寵妃からスキルを奪う為に、真っ昼間っから、隠密と消音行動で、チムチ王宮に潜入していた。
王子宮にわざわざ愛人を住まわせているというのは、愛人の為に離れを作るわけにもいかなかったからだろうか。
息子と愛人を同じ建物内に住まわせてるとか、環境が悪いにも程があるな。
俺なら絶対お断りだし、思春期の子どもがいるにもかかわらず、堂々と愛人を囲う父親と仲良く出来る気もしない。
この国の男性は9割が同性愛者だから、父親が本当に愛している相手と、一緒にいられたほうがいいと思っているのだろうか?
アスタロト王子の様子を見ている限り、愛人を囲っている父親に反発している様子はないし、むしろ懐いているように見えた。
アスタロト王子も、いずれは世継ぎの為に女性と結婚して、男性の寵妃を持つつもりなのかも知れない。だから気にしないんだろうか。
俺は白けた表情をしていた王妃殿下を思い出していた。王族としての権力こそあるものの、お飾りの、子を産む為だけの妻の立場。
自分を愛さない、同性愛者と分かりきっている夫。まだアプリティオの方が、愛はなくてもお互い自由に恋人を作れるという分、楽かも知れなかった。
だってほとんどが同性愛者のこの国の男性の中で、王妃殿下を愛してくれる人がいるとも思えない。
アスタロト王子は自分の母親のことをどう思っているのだろう?産みの親だから大事に思ってはいるのだろうけど、パーティーの最中も一切会話をする様子がなかった。
アシルさんがチムチを最も妻子を置くのに安全な国だと言っていたのは、治安の問題だけじゃなく、女性に興味のある男性がほとんどいないっていうこともあるのかもしれなかった。
この国の女性たちはどう暮らしているのだろう?この国の男性と結婚するとなると、愛のない結婚しかない。
だけど女性の方が少し割合が少ないとはいえ、結構な人数がいるのに。それとも長年こういう国だから、それを当たり前として、男性に愛を求めないのだろうか?
人口は多いのだから、子どもはたくさん産まれているわけだ。
同性愛者でも、性欲が相手に対してわかないってだけで、男性は身体構造的に異性と子どもを作ることも出来るし、実際そういう風に女性と暮らしている同性愛者の男性も、前世でもたくさんいた。
結婚と恋愛は別として、愛や性生活よりも生活水準を優先する女性も多かった。
この国は今まで見た国と比べるととても裕福で生活水準が高い。それがあるなら別に愛されなくても気にしないのだろうか。
アプリティオとはまた違った意味で、とても不思議な国だと思った。
警備の兵士は定期的に巡回してたけど、寵妃の部屋の前には警備の兵士はいなかった。聞いていたとおりだ。
寵妃が嫌がって人払いしたことで、寵妃の部屋には使用人すらいない。必要な時に呼ぶだけだ。
姿を見られなければ侵入だけなら容易だった。問題はここからどうスキルを奪うかだ。俺は慎重に部屋の中と寵妃の様子を窓の外から伺った。
チムチの寵妃は俺が想像してたのとは大分違っていた。
アダムさんやカールさんみたく、マネキンみたいなキレイな顔と体をしてるんだとばかり思ってた。
確かにかなりハンサムな人だった。
けど、髭面で、ゴツくて、胸毛もあって、筋骨隆々の、男性以外の何かに見えない見た目。
──なのに。
女物のドレスを着せられていた。
男性にまったく興味のない人だとアダムさんたちが言っていたから、これが本人が望んでしている格好だとは思えない。
恐らく国王の趣味なのだろう。
さすがに髭とかまでは本人が拒絶したのかも知れないけど、無理やり女性扱いされ、女装までさせられている。
俺は男性の体で生まれてしまい、性転換手術をしたイトコがいる関係で、自分が認識している性別と違う服装を無理やり着せられる苦痛というものが、なんとなく想像出来てしまう。
無理やり寵妃にした挙げ句、こんな格好を強いるチムチ国王に、俺はめちゃくちゃ腹がたった。
今は王族と表立って事を構える事が出来ないけど、いつか必ず助けます。俺は心の中でそう呼びかけた。
寵妃の部屋の扉がノックされる。寵妃の部屋には侍女も何もいなかったので、寵妃が直接扉を開けた。
外は常に警備の兵士が徘徊しているから、別に危なくないということなのだろう。
「──アスタロト王子。」
訪ねて来たのはアスタロト王子だった。
「……相談があるんだけど、ちょっといいかな?」
何やら珍しく深刻そうな表情をしている。
「構いませんよ、どうぞ。」
寵妃は見た目に似合った低くて艶のある、声をはってるわけでもないのによく通る声をしていた。
一瞬女物の服装を着せられていることを忘れるくらいの、堂々とした男らしい印象だった。
どんな服装をさせられようと、矜持を忘れない。そんな人だと感じた。
寵妃の部屋にはテーブルと椅子があるんだけど、それは1人分しかない。アスタロト王子は慣れた様子で寵妃のベッドの上にあぐらをかいて、寵妃がその横に腰掛けた。
「珍しいですね。
そんな顔をして私に相談とは。」
「まあ……、ちょっとな。
イエルにしか答えらんねえことだと思ってさ。」
「私にだけ……ですか?」
寵妃の名前はイエルさんと言うのか。あまり聞いたことがないけど、これもドイツ人の名前なのだろう。
「俺さ……。
好きな奴が出来てさ。」
俺は思わずギクッとして消音行動を使っているにも関わらず、息を潜めた。
「でも、よその国の奴なんだ。
旅行者で、いずれこの国からいなくなっちまう。
その前になんとしてでもモノにして引き止めたいんだけど、ソイツ、男に興味ないらしくってさ……。」
やっぱりまだ諦めてなかったか。俺は変な汗をかいた。
「王子が旅行者に誘惑のスキルを使ったことは聞き及んでいましたが……。
その方が、その……?」
「……一目惚れだったんだ。
こんなこと初めてで、何でか、あいつだけは特別なんだ。
ずっと一緒にいたくてたまらない。
俺は王子だから、寵妃にするなら、外国人相手でも、モノにさえしちまえば、この国の法律があいつを逃さない。
けど、男が好きじゃない可能性を考えてなかったんだ。
イエルも父上の寵妃になる前、男に興味なかったんだろ?今はどうなんだ?
少しくらいは、父上のこと、好きになれたりしてんのか?」
イエルさんは真剣な面持ちでアスタロト王子を見つめた。
「……いいえ王子。
私は国王様を愛してなどいません。
王子や国王様が女性を愛せないように、女性を愛する男が男性を愛せるようになることはありません。
まったくないとは言いませんが、とてもまれなことでしょう。
脳の構造の問題ですから、人として好きになれても、性欲がわかないものはどうしようもありません。
それでも体の関係を持とうとしたら、国王様が私にそうしているように、アスタロト王子も毎晩その方に誘惑のスキルを使用して無理やりその気にさせることになりましょう。
ですが、そうして体を重ねれば重ねる程、その方はアスタロト王子の事を嫌いになるでしょうね。」
「──いやだ!!
それは……困る。
……好きなんだ。」
絞りだすみたいにアスタロト王子が言う。
「あいつと一緒にいるだけで、嬉しくて楽しくてたまらないのに、あいつが笑ってくれなくなるのは嫌だ。」
「……ならば諦めることです。
私は先代の国王様にこの世界に呼ばれました。私を生かす為に今の国王様が寵妃にして下さらなかったら、魔族の国に向かわされた仲間たちと同様に、私も命を落としていたでしょう。
命を救って下さったことには、感謝しています。
ですが、それと愛情は別のものです。」
「どうにもなんねーのか……?」
「ええ。」
「そうか……。」
アスタロト王子は目線を落としてうなだれた。俺も窓に背を向けながら、目線を落としてそれを聞いていた。
だから気付かなかったのだ。アスタロト王子が窓の方に近付いて、突然窓を開けたことに。
突如背中に衝撃を受けて、俺の隠密がとける。目を見開いて俺を見るアスタロト王子。その時イエルさんの部屋の扉が叩かれた。
「──イエルや。私だ。」
「まずい、父上だ。
2人っきりでイエルといると、息子の俺でもヤキモチ焼いて、後で大変なんだ。
……このまま逃げるぞ!」
「えっ?」
アスタロト王子はそう言うと、自らも窓の外に出て、バルコニーの柵に乗ると、窓のひさしに指をかけて上に上がる。
「──早くしろよ、みつかるぞ!」
声を潜めながら俺にそう言うアスタロト王子に、俺は慌ててあとについて上にのぼる。
「ここから城の屋根に上がれるんだ。」
慣れた手付きでスイスイと登っていくアスタロト王子。アスタロト王子に腕を引っ張られて、チムチ城の屋根へと上がった。遠くに城を囲む城壁と見張り塔が見える。
「ダチか好きな奴が出来たらさ。
ぜってーここに連れて来ようと思ってたんだよな。
ここから一望出来るんだぜ、この国が。
スゲーだろ?」
この国で最も高い建物は王宮だ。
その屋根から360度、チムチの国が見渡せる。確かに凄い眺望だった。連れて来られた理由が引っかかったけど。
「──おまえ、勇者って知ってるか?」
アスタロト王子が突然言い出した言葉にギョッとする。どういう意味で聞いてきているのだろうか?
「イエルはさ。
……父上の寵妃になる前は、おじい様……先代のチムチ国王に、この国に召喚された勇者だったんだ。
勇者ってのは名ばかりのもんで、魔族の国を人間が支配しようとして送り込んでんだ。
送り込まれた奴らは、もれなくほとんど帰って来なかった。
父上は、……イエルを死なせたくなかったんだ。
この国にイエルを残す為には、寵妃にするしかなくて……。
無理やりものにしたって言ってたけど、イエルは男に興味ねえからさ。この城での生活が辛いみたいで、小さい頃から時々話し相手になってたんだ。」
城の屋根の上にあぐらをかきながら、目線を落としてアスタロトが話し始める。俺も並んで屋根に腰掛ける。
「おじい様が亡くなって、この国には今勇者召喚が出来る人間がいないから、母上は昼夜構わず父上の寝所に来ようとしててさ。
父上はそのたびイエルのところに逃げて来てんだ。それでさっきも部屋に来たのさ。
それか俺に嫁を取らせようとしてくんだ。
父上は復活のスキルを持ってるから、最悪俺に国王の座を譲って、教会に逃げようかって思ってるらしくて、母上もそれに気付いててさ。
そりゃ、いずれはそうしなきゃいけないのは分かってっけど、勇者召喚の力を持つ子どもなんて俺も父上も作りたくねんだ。
俺も父上も、魔族の国を支配なんかしなくても、この国は豊かだし、そんなの必要ないと思ってる。」
意外な話だった。勇者召喚を嫌がる王族がいるとは。
「──人の欲望って、望みだすと際限ねえもんだ。
人がこの手につかめるもんなんて、限界があんだよ。
たくさんを望んだって、掴みきれなくて指の間からこぼれちまう。
俺はこの手に持てるだけの幸せが掴めりゃあ、それでじゅうぶんなんじゃねえかって思ってんだ。
他の世界の奴らや、魔族の国を犠牲にしてまで、望んで得られるもんてなんだ?
それは求めるべきもんなのか?
──俺は違うと思う。
だからチムチじゃこの先、勇者召喚はしねえ。
おじい様が亡くなられた時に、俺と父上で決めたことだ。
けど、贅沢がしたくて嫁いできた母上に理解されなくてな。
……あんま仲良くねえのさ。」
やっぱりアスタロト王子は恭司に似てる。考え方も、行動も。
恭司がこの国の王子なら、きっと同じことを言ったであろう言葉を口にする。
国王までもが同じ考え方だとは思わなかったけど。
「……だから、だからさ。
俺はいずれどっかの女を嫁に迎えるけど、寵妃になって、俺と一緒にこの国をささえてくんねーか?
俺はお前しか考えらんねーんだ。
何でかわかんねーけど、はじめて会った時から、ずっと特別なんだ、お前が。」
真剣な眼差しで俺を見つめるアスタロト王子。
なら俺も、真剣に答えなくちゃならない。
「……俺、好きな子がいるんだ。
結婚するなら、いつかその子とって思ってる。子どもの頃からずっと俺のことだけを好きでいてくれて、俺にはそいつ以外考えらんねーから。
……ごめん。」
「そうか……。」
アスタロト王子は寂しそうな表情をしていたが、
「よっし!」
そう言って立ち上がると、
「まあ、しゃあねえやな。
他に好きな奴がいんなら。
この国を離れるまで、まだ時間あんだろ?
案内してやるよ。
この国を覚えといてくれよ。
──そんで、忘れねーでくれ。」
俺のこと。と言われているような気がした。
「……ああ。」
俺はアスタロト王子に手を引かれて屋根から立ち上がった。
アスタロト王子は普段から街に遊びに出ているらしく、街の人たちはみんなアスタロト王子のことを知っていた。
次々に声をかけられては、食べ物を渡される。
こんなに食い切れねーよ、と言いながら、2人でそれを頬張る。アスタロト王子とまわる観光は楽しかった。
2人でイタズラをしては追いかけられて、まるで元の世界で恭司といた時のようだと思った。
俺と恭司は、よく人からイチャイチャしてんなよ、と言われる。お互い性欲を感じないからそういう対象にならないだけで、日本人男性は、海外の人たちから見ると、男同士の距離感が近いのだそうだ。
年配になるほど、特に人前では、男同士でしかイチャつかないのが、日本人男性の特性にも思う。
俺と恭司がこの国に生まれてたら、初対面でいきなり親友になったように、初対面でいきなり付き合い始めてたのかも知れない。
恭司によく似たアスタロト王子も、俺に性欲を感じなかったら、俺と親友になっていたのかも知れない。
そんな風に思った。
「この先に、この国の聖樹って呼ばれてるデッカイ木があってさ。そこになってる実がマジうめーんだ。
ここでしか食えないから絶対食おうぜ。」
「おう。」
俺とアスタロト王子は小走りに舗装されてない道を走る。巨大な木は遠くからでも見えて、確かに何か赤っぽいオレンジ色の実がなっているのが見えた。
「──てか、聖樹の実って、食べても大丈夫なのか?なんか触れるのも禁止されてるようなイメージあんだけど。」
「駄目ってことにされてっけど、どーせ鳥が食うか落ちて腐っちまうんだ。
毎年食ってっけど、別にどうってことねーぜ?
──けど、一応ナイショな。」
イタズラするのが楽しくて仕方がない表情で笑いながら、口の前に指を立てるアスタロト王子に、俺も思わず笑いながら、おう、と言った。
近付くにつれて、聖樹の下の木陰に誰かが寝そべっているのが見える。
「──珍しいな?人がいやがる。
告げ口されっとめんどくせえんだけどな。この国の奴か?
旅行者なら別にかまわねーけど。」
アスタロト王子がそう言いながら、寝ている人の前に近付いて顔を覗き込む。俺も同じように覗き込んだ瞬間ギョッとした。
「ゆ、ゆ、ゆ、幽霊……?」
その男は確かに、俺がニナンガ王国でユニフェイ──江野沢と再会した夜に、最初にスキルを奪った死体寸前の男だった。
月明かりに照らされた、あの日の青白い表情とは違い、血色のいい肌をして、腹から血も流してはいなかったけれど、間違いなくその男だった。
この世界には同じ見た目の人間は存在出来ない。その理屈からすると、目の前の男はあの日死にかけて、次の日死んでいた男そのものなのだ。
「どうしたんだよ、そんなに震えて。
──コイツのこと知ってんのか?」
「知ってるも何も──。」
「やっべ、待ってたら寝ちまった。」
「うわあああ!」
俺たちが騒ぐ声で目を覚ましたのか、そう言いながら、男がムクリと起き上がって伸びをした。
「あ、ホントに来たよ。
大したもんだな、予知ってのも。」
──予知?なんの話だ?
「どっちだ?
スキルを大量に持っていやがる子どもってのは。」
俺が思わずビクリとする。
「──お前か。」
青ざめた顔の時はそこまで分からなかったけど、キレイな顔をした男は、俺を見ながら楽しそうに微笑んだ。
「なんだよ、お前。
コイツになんか用か?」
アスタロト王子が俺を庇うように、スッと前に出て男を睨む。
「へえ?お前もなかなか可愛いな?
──うん、決めた。
お前の姿も貰う。
なあ、賭けをしようぜ?
俺とお前、──どっちが死ぬか。
2分の1の勝負さ。」
「は?何言って──」
男がアスタロト王子に触れた瞬間、
「お、俺!?」
目の前の男の姿がふっとアスタロト王子に変わり、ニヤリと笑いながらアスタロト王子を見る。そして次の瞬間、
「──ぐはっ!!」
アスタロト王子の腹が裂け、口から腹から血が吹き出す。
「はい、俺の勝ち。」
男は楽しそうに無邪気に笑っていた。
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