第49話 沖縄 2

 梅雨はいつの間にか明けて、いつの間にか蝉が鳴き始め、いつの間にか夏休みになっていた。絢音は今年はサマセミで演奏しなかったが、帰宅部の三人で生徒として講座を受けに行った。石垣についての講座を受講したら、これがなかなか面白かった。

「大人になったら、百名城巡りとかしてみたいね!」

 私がそう声を弾ませると、涼夏が魂の抜けたような顔で私を見つめた。

「私は千紗都を愛してるから、千紗都がどうしてもって言うなら、前向きに付き合うよ」

「すごい平坦だったよ? 声のイントネーションが」

「まあ、千紗都となら何だって楽しめる。私にはわかる」

 まるで自分に言い聞かせるかのようだ。そんな涼夏を見ながら、私は絢音と顔を見合わせて肩をすくめた。

 そんなこんなで沖縄に行く日がやって来て、前日の夜はさっさと眠りについた。旅行の前は忘れ物が気になってしょうがないが、航空券は涼夏が持っているし、最悪お金さえ持っていればそれでいい。

 去年買った水着とビーチサンダル、日焼け止めと化粧品、着替えと帽子とタオル。それだけでリュックがいっぱいになってしまった。土産を入れるスペースなど無いし、これに生理用品も必要だったらとても入らなかった。いいタイミングで生理が終わってくれたことに感謝する。親にはリュックが小さいのだと呆れられたが、旅行に行く文化の無い野阪家には、生憎大きなサイズのリュックがなかった。

 翌朝、こっちは快晴。現地の天気予報は曇り時々晴れだが、南国の天気予報などあてにならない。雨さえ降らなければよしとしたい。

 最寄り駅でそわそわしながら奈都を待つ。グループメッセージで、全員無事に起床したのは確認したのだが、何故だが不安になる。大体、毎朝学校に行く時、奈都の方が先に来ている。この私を待たせるとは何事だと、スマホを見ながら待っていたら、大きなリュックを背負った奈都がやって来て、驚いたように声を上げた。

「おはよ。早いね」

「おはよ。来ないんじゃないかって心配した」

「いや、待ち合わせよりだいぶ早いから」

 奈都が呆れながら歩き始める。隣に並ぶと、奈都がチラリと私を見て、不思議そうに首を傾げた。

「リュック、小さくない? 全部現地調達?」

「パンツは奈都のを使う」

 真顔でそう言うと、奈都が顔を赤くしてブンブンと大袈裟に首を振った。

「自分の分しか持って来てないから!」

「どうして? 私にノーパンで過ごせって?」

「そうして」

 奈都がはっきりとそう言って頷いた。冗談の返し方も上手になってきた。

 イエローラインを中央駅で降り、レッドライナーに乗り換える。駅で二人と合流すると、陽気な花柄のシャツをラフに着た涼夏が、楽しそうに笑った。

「これで全員揃った。旅の準備は整った」

「チケットは大丈夫?」

「五十回は確認した」

「過剰だね」

 奈都が呆れたように笑う。

 中央駅から空港までは電車で一本。全席指定の特急だと早く着くが、高校生には高価な乗り物だ。一部特別車の特急に乗ると、二人がけの席に座った。当たり前のように涼夏と絢音が一緒に座るのを見て、奈都が私の隣に座りながら二人に言った。

「この旅行中、たぶん何回もペアに分かれるタイミングがあると思うけど、そのたびに私にチサを譲ってくれなくていいから。私がいることで、二人がチサと一緒になれないのは、私にとっても嬉しいことじゃない」

「そっかー。じゃあ、早速今日は千紗都と同じ部屋にしよう」

 涼夏がわーいと子供のように手を打った。ツインが二部屋なので、暗黙の了解で私と奈都になっていたが、奈都は思うところがあったらしい。別に涼夏も絢音も気にしていないと思うが、確かにこの状態が続けば、もしかしたら自分は誘われなくなると奈都が思うのは自然だし、気も遣うだろう。

 冗談を許さない声音だったので、何も言わずに事の成り行きを見守っていると、三人が仲良く私の配分について話し始めた。もっと沖縄の話をしたいが、この旅でさらに涼夏と絢音と仲良くなりたいと思っている奈都の邪魔をしてはいけない。

 私は三人とも同じくらい大好きなので、三人の中にしこりが残らないように決めてくれたらいい。そして、わざわざそれを声に出す必要もないようだったので、黙って奈都の横顔を見つめた。

 みんなの私。去年の夏、丁度ファーストキスをした時に、奈都がそんなようなことを言っていた。受け入れるのが難しい概念だったようだが、この一年で随分とそういう考え方になってきたように思える。

 是非これからも、継続して頑張っていただきたい。帰宅部の部長としては、みんなで仲良くしてくれるのを願うばかりである。


 空港に着くと、スーツケースを持ったたくさんの人たちと一緒にホームに降りた。平日だからか、若い人たちが多い。もっとも、最年少は自分たちという気がしないでもない。

「空港に着いたら、まずチェックインします」

 改札を出ると、絢音がツアーの添乗員のように手を広げた。駅と空港は直結していて、動く歩道に乗ると自動的に空港の入口に到着した。

 来たことがないので、涼夏と二人で「へー」とか「ほぉ」とか感嘆の声を漏らしながら、キョロキョロと辺りを見回した。上手く表現できないが、開放的な作りで広々としている。

 向かって右側が国内線、左側が国際線。絢音がLCCのチェックインカウンターまで導いて、涼夏から何かの紙を受け取った。予約票をプリントアウトしたもののようで、QRコードがついている。

 それをチェックインの機械にかざすと、あっさりと搭乗券が発券された。有人カウンターは列になっているが、預け入れ手荷物の無い人は、これだけでいいらしい。

「簡単すぎて拍子抜けです」

 涼夏が残念そうにため息をつく。隣で奈都が静かに首を振った。

「保安検査を通過するまで油断しちゃいけない。飲みかけのジュースは全部飲まなきゃいけない」

「あれ? ペットボトル、持ち込めなかった?」

 奈都の言葉に、絢音が首を傾げた。奈都が可愛らしく指を立てて、軽く唇の下に当てた。

「確か。グアムに行った時はそうだった記憶があるけど」

「そりゃ、グアムはそうかもしれないけど」

 素人には難しい会話だ。結論としては、国内線はペットボトルの持ち込みは可能だった。国内線と国際線で違うどころか、そもそもそんなルールがあることすら私は知らなかったので、ただ言われるまま付き従う。

 お店に入る時間はなかったので、さっさと保安検査を通過した。何か反応しないか不安だったが、無事に止められずに済んだ。

 お腹が空いたので、パンを買ってから搭乗ゲートの前に移動する。改めて搭乗券を並べると、席は見事にバラバラだった。窓側の席が二つあったので、せっかくだからと経験者の二人が私と涼夏に譲ってくれた。

「絢音も沖縄は初めてなのに、ありがとうね」

 涼夏が感動したように目元を拭うと、奈都が慌てた様子で自分の顔を指差した。

「私も初めてだし!」

「ナッちゃんはグアムに行ったことがあるからいいの」

「関係ないし!」

 奈都がいちいちオーバーなリアクションをして、涼夏が楽しそうに笑った。

 発券から搭乗、着陸までの流れは一通りインターネットで予習したが、いざこうして空港に来ると、やはり臨場感が違う。窓側の席ということは、通路に出るのに声をかけなくてはいけないから、基本的にはフライト中は席を立ちたくない。

 フライトは二時間ちょっと。長いのか短いのかはわからないが、国際線でヨーロッパに行くと十時間も十五時間もかかるそうだから、飛行時間としては短い方だろう。

 パンを平らげて、念のためもう一度トイレに行って戻ってくると、搭乗ゲートに人が並んでいた。混雑緩和のために、後ろの方や窓側の席から順番に機内に入るらしい。私はすでに並んでもいいようだ。

 絢音が私の手をギュッと握って、心配そうに私を見つめた。

「何かあったら、遠慮なく私の席まで来てね」

「うん。電話する」

「今すぐ機内モードにして」

 もちろんただの冗談で、忘れるといけないからすでにスマホは機内モードに設定してある。

 せっかくなので、涼夏と一緒に並んでゲートをくぐった。涼夏がレシートのような搭乗券を眺めながら、苦笑いを浮かべた。

「安いのは正義だけど、初めての飛行機で席がバラバラっていうのも、不思議な感じだな」

「着いたら感想を言い合おう」

「天気いいけど、揺れたりするのかなぁ」

「酔ったりしないといいね」

 私より前の座席の涼夏と別れて、その少し後ろの席に移動する。見様見真似でリュックを上の棚に入れると、何故かもう座っていた通路側の人に声をかけて通してもらった。こういうことにならないように、窓側の席の人から入れていると思うのだが、LCCの客層に期待してはいけないと、事前に絢音先生から教えられている。

 座席は思ったよりもずっと狭かった。前の座席との間隔も狭いが、ほぼ女子高生の平均身長の私には問題なかった。大きな男の人だと大変そうだし、隣で膝を開いて座られたら嫌だなぁと思っていたが、隣に来たのは外国人のお姉さんだった。

 シートポケットの案内や冊子を眺めていたら、ドアが閉まったとアナウンスがあって、飛行機がゆっくりと動き始めた。乗務員が酸素マスクや非常用設備の使い方を説明してくれるが、使う機会がないことを祈りたい。

 滑走路で一度停止して、ものすごいエンジン音が響き渡る。飛ぶ気概を感じる。

 思わず身構えた私を乗せて、機体がふわりと持ち上がる。窓の外で、あっという間に管制塔が小さくなる。

 隣に友達がいてキャーキャー言えないのは残念だが、安いのは正義だ。後で涼夏とキャーキャー言えるように、しっかりと景色を目に焼き付けておこう。

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