第39話 会議(2)
結局、垣添さんはゴールデンウィークが始まる前にバドミントン部を辞めた。新入部員や大会のために練習が本格化する前に見切りをつけたらしい。
帰宅部を優先したというよりは、やはり人間関係が面倒になったようだが、一通り話し終えた後、垣添さんは「よろしくね」と照れたようにはにかんだ。
一体何をよろしくされたのだろう。そもそも一緒に遊ぶ約束はしていないし、もしそれを期待して辞めたのだとしたら、ちょっと重たい。
ただ、少なからず私たちに期待して部活を辞めた子を、「いや、無理」と突き放すことは出来ないし、そうはしないというのが帰宅部ミーティングで決まった方針だ。それに、私が突っぱねると垣添さんは孤立してしまう。そうはしたくないし、私は別に垣添さんといる時間が嫌いではない。
「まあ、今はゆっくりお休み。私は垣添さんの心の温泉になるよ」
テキトーにそう言うと、垣添さんは明るい笑い声を立てた。
「野阪さん、本当に表現が謎だね」
「西畑式・改」
「西畑さんは、野阪式だって言ってたよ?」
「心外だ。あの女、今度こっそり、赤のボールペンの中身を黒に変えてやる」
「地味にダメージの大きい攻撃だね」
そう言って、垣添さんは可笑しそうに顔を綻ばせた。
その日の帰りは、長井さんチームに垣添さん、私たち3人。今日は涼夏がバイトで、絢音はバンドの練習がない。長井さんは学校を出てからずっと、垣添さんの話を聞いている。そういう、みんなと満遍なく接するところは偉いと思う。私は相手への興味が露骨に態度に出てしまう。
前にそんな話をしたら、広田さんが「逆に、朋花は誰にも興味がないのかも?」と、難しいことを言った。ポジティブな意味なのか、それとも皮肉なのか。まるで理解できなかったが、深く突っ込まない方がいいと判断して、「なるほど」と曖昧な相槌を打っておいた。
その広田さんは岩崎君と喋っている。今日は川波君はいない。江塚君と帰ると言っていた。クラスが変わっても付き合いがあるようだ。
江塚君というと、今こうして時々一緒に帰るようになった状況を聞いて、涼夏への告白を早まったと後悔しているらしい。良くも悪くも涼夏はまったく気にしていないので、輪に入りたければ来ればいいと思うが、今のところ参加していない。
駅が近付いてきて、今日は何をするのかという話題になったので、古沼で勉強だと即答した。元々私と絢音は、二人の時は勉強していることが多く、極めて平常運転である。
長井さんは「勉強か」と少しだけ考えるように呟いた。広田さんは何も言わないことで、帰る意向を示した。元々逆方向の上、バイトもしていないので、毎日電車代を払って遊ぶ余裕はない。
岩崎君が長井さんの様子を窺うように、「俺は行ってもいいけど」と言うと、広田さんが「一緒に帰らない?」と軽く岩崎君の袖を引いた。
何となく涼夏を見ると、涼夏もチラッと私を見て笑顔を見せた。
「考えてみると、私が絢音の塾のない日にバイトを入れてるから、その勉強会に参加できない。だから私だけ成績が悪い」
今そんなことは聞いていない。予想外すぎて笑っていると、岩崎君が「野阪さんが笑うの、初めて見た」と意味のわからないことを言った。
「いや、笑うし。笑ってるし」
「そうだったかなぁ」
岩崎君がおどけながら首を傾げる。垣添さんは「なるほど」と感心した様子で頷いたが、生憎今のは涼夏の冗談だ。3人でいる時も、涼夏は勉強という選択肢を選ばない。
垣添さんは、学年の秀才と勉強も悪くないと乗り気だったが、長井さんは少し気が乗らない様子だった。岩崎君と二人で遊びに行くことをお勧めしたいが、広田さんに恨まれたくないのでその言葉を飲み込むと、絢音が天才的な解を投げた。
「退屈だろうし、長井さんは岩崎君と遊んだらいいよ。たまには逆方向に行くと、広田さんとも遊べるね」
確かに、何も毎回、二人が長井さんに合わせる必要はない。バイトをしている長井さんが一番経済的に豊かだし、長井さんが二人に合わせるというのは極めて現実的な提案だ。
結局長井さんはその案を採用し、駅で別れた。涼夏が3人の背中に手を振りながら笑った。
「天才だな」
「ごく普通の提案だよ」
「壮絶な女の戦いが始まるかと、ハラハラした」
そう言って、垣添さんがほっと息を吐いた。広田さんが岩崎君を好きで、岩崎君が長井さんを好きなのはもう把握しているようだ。
涼夏がなんでもないように絢音の体を引き寄せて、軽く抱きしめた。すぐに離して、ホームに向かいながら明るい声で話し始める。
「私はどっちかって言うと、絢音たちと遊びたいけど勉強はしたくないって葛藤してる朋花が面白かった」
「葛藤してた? 気付かなかったよ」
絢音が天然っぽい台詞を吐くが、正直私も気付かなかった。
「帰宅部の活動内容の方を変えて欲しかったんだと思うよ? だけど、千紗都も絢音も嫌なら来なくていいってスタンスなのは明らかだからね」
涼夏がそう言いながら、今度は私を抱きしめる。電車に乗り込んで、私たちはひと駅で降りた。もう少し涼夏と喋りたかったが、今日はバイトなので仕方ない。また夜に電話しよう。
「ハグ、西畑さんからだけじゃなくて、みんなするんだね」
古沼の駅を出てから、垣添さんが呆れたような口調で言った。とてもさり気ない仕草だったが、さすがに気が付いていたようだ。
「まあ、帰宅部の共通ムーブだね」
テキトーに答えながら、近くの安いファミレスに入った。御用達というやつだ。テキトーにつまめるものを注文してから教科書を開く。その前に御用達について調べると、思った意味と微妙に違った。
「自分から行く店に対して御用達っていうのは誤用? 御用達だけに」
「今のは、『懐かれてる。奈都だけに』の応用?」
「そう」
「まあ、今は行きつけのって意味で使うのが一般的なんじゃないかな。適用」
「誤用の対義語って、適用なの?」
「どうかな。調べてみよう」
興味深そうにそう言って、絢音がスマホをいじった。一連のやり取りを眺めていた垣添さんが、感嘆の声を漏らす。
「二人の成績がいい理由がわかったよ」
「わかり手だね」
「何それ」
「歌ってみた、踊ってみた、わかってみた。動画サイトを席巻するジャンルだよ」
私がさも当然のようにそう伝えると、垣添さんはキョトンとしてからくすくすと笑った。私たちは日常的にわかっているので、垣添さんにもわかる喜びを知ってもらいたい。
その日は新しい教科書を何冊か、ピラピラと全ページめくってみる「予習」という勉強方法を実践した。終わった後、垣添さんが「これが予習か……」と唸った。きっとこれまでの勉強の概念が変わるような、新鮮な感動を覚えたのだろう。
「学校の授業自体が復習になる、禁忌の勉強法だから、他の人に言ったらダメだよ?」
絢音が可愛らしく口の前で指を立てると、垣添さんは「わかった」と神妙に頷いた。なかなかいいわかりっぷりだ。
垣添さんとは方向が同じなので、駅で絢音と別れる。絢音は垣添さんがいるのも気にせず私の体を抱きしめると、何を思ったのかいきなりお尻を鷲掴みにした。
「ひぃっ! 何するの!?」
「ムラムラした。じゃあ、また明日」
平然とそう言って、絢音は笑いながら背中を向けた。私たちもイエローラインのホームに歩き始めると、垣添さんが困ったような呆れたような顔をした。
「西畑さん、ムラムラするんだね」
「ムラムラしがちな子だね」
「ムラムラしがち!」
ツボに入ったのか、垣添さんがお腹を抱えて笑う。楽しんでくれたのなら何よりだ。
恵坂で垣添さんとも別れて一人になると、ぼんやりと今日一日を振り返った。
あれはあれで悪くなかった気がする。垣添さんは元々同じクラスで、涼夏や絢音とも友達だし、大人しい子で誰かとぶつかることもない。私としても友達になりたい子だ。
ただ、前に涼夏が「久しぶりに1時間チャレンジがしたい!」と喚いていたが、本当に最近、涼夏や絢音と二人だけの時間が取れていない。土日は帰宅部だけで遊んでいるが、家には親がいるのでもっぱら外で遊んでいる。スキンシップが足りていない。
いざとなれば用事があると嘘をつくこともできるが、私たちが私たちだけで遊ぶことに罪悪感を覚えるのもおかしな話だ。
まったく贅沢な悩みである。中学の時、いつもぼっちで奈都に引っ付いていた私が、随分偉くなったものだ。
謙虚に生きよう。減る分には全力を出すが、増える分には、無理に拒むこともあるまい。
垣添さんとも、普通の距離感で付き合っていこう。頭のおかしい愛友しかいない私には、ああいう子も貴重だと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます