#15 ≪終≫
体を休ませても僕の頭は眠れなかった。どれくらい経ったのだろうか。目を閉じても暗闇を見つめてもあれこれ考えてしまう。さっき深川君が言ったことが離れない。
「多分、本当は俺、普通科が合ってると思うんだよね」
その時の僕は彼の話をただ大人しく聞き流してしまったけれどその場できちんと否定すれば良かった。
君は毎日絵を描いている。授業以外でも描いていることを知っている。苦手なようだけど美術以外の勉強だって頑張っているのを僕は見ている。努力ができる人だ。深川君は紛れもなく美術科の生徒だと僕がわかっている。
僕は絵を描けないし美術の知識もないからそんなこと言ってもただのお世辞になってしまうだろうか。薄っぺらい言葉になってしまうかな。思えばじっくり深川君の作品を鑑賞したことがない。夏休みが始まる前にスケッチブックを見ようとしたら強く断られてしまった。いつか君の自信作が立派な額縁に飾られる日が来てきちんと感想を伝えられるといいな。
君は何をどう感じて絵を描くんだろう。毎年バースデーカードをもらっている弟さんが羨ましいよ。
ふとカーテンの隙間から明かりが差しているのに気づいた。朝だ。暗くてぼんやり感じていた寝ている深川君の影もはっきり見えた。タオルケットをかぶっている。クーラー寒かったかな。僕は設定温度を上げた。
うちの学校に美術科があってよかった。そこに深川君が入学してくれてよかった。もちろん僕も音楽科に入学できてよかった。自分なりに努力を続けたつもりだ。深川君の言うように僕も何か持っているのだろうか?音楽が好きだって気持ちの他に。
両親が音楽を愛する人でよかった。習い事に通わせてもらえてよかった。僕も諦めなくてよかった。
広い校内、狭いプレハブ小屋にいた深川君を知れてよかった。親しくなれてよかった。嬉しい。
深川君が僕をからかって笑うのも、僕の食べる物を一口食べたがるのも全部。何もかもよかった。深川君の全てがよい。
目が好きだ。笑うときゅっと細まる大きな目だ。対象をしっかり捕らえて絵を描くんだ。でも深川君の目を見ると僕は耐えられず遠くへ行きたい気持ちともっと近くで見たい気持ちでいっぱいになる。息さえできなくなってしまった。
今、彼は目をつむって寝ている。すーっと深川君の寝息が聞こえる。心地いいリズムで呼吸をしている。落ち着く。なのに僕は眠れない。君の存在で僕はゆっくり歩いて散歩をするような安らかな気持ちになったり、駆け足で待ち合わせ場所へ急ぐような気持ちになったり忙しない。落ち着かない。それが嫌ではない。
「…深川君」
ベッドから降りて彼を呼んだ。少し声がかすれた。反応はない。
「朝だよ」
「んー」
うつ伏せの状態だけど苦しくないのかな。
「家の近くに美味しいパン屋あるんだ。朝一番に買いに行こうよ。出来立て食べてみたい」
「………」
うんともすんとも言わなくなり動きもしなかった。
「深川君、起きて。深川君」
僕は夏になって短くなった彼の髪に触れてみた。寝癖で全体的にぼさぼさになっているけれどやわらかい。
「深川君」
「あ~」
僕とは反対側に寝返りを打つ。寝顔は見えないけど頬をつついてみる。
「深川君、起きてるでしょ?」
無反応だけどこんなにうるさくしてれば起きるだろう。僕の声はよく通るんだ。子供の頃のたくさん褒められた声はもう出せないけどこれは変わらない。
「深川君、深川君」
「………」
「深川君、お〜い」
「………」
「ねえ、深川ひので君」
「………」
「ひので君」
「はい…」
ゆっくり僕の方を向く。何だか決まりが悪そうな顔をしていた。
「お前、パン好きだねぇ」
「そうなのかも。あんまり考えたことなかった」
「焼き立てのパンかぁ…」
「雑誌にも載ったことあるんだって。絶対に美味しいよ。一緒に食べよう」
僕は自分で思っていたよりパンが好きなのだと知った。ご飯も好きだけど。ひので君はいつものようないたずらそうな顔をする。
「いいよ。行こっか」
タオルケットから出てきたひので君が自分で立ち上がる前に僕は両手を彼の前に出した。ひので君は僕の手のひらを見ると握り返してくれた。その力を受け入れて僕はひので君を引っ張り上げる。少しふらついて立った彼と目が合ってどちらからともなく僕たちは笑った。
簡単に準備して朝の街へ繰り出した。まだ静かな住宅街で僕たちだけが大はしゃぎしていた。
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