第17話 呪い【上】

 まあ、そりゃそうよね。分かるわけないわよね!? あれで『さみしい』って打ち間違ったんだ、て分かるなんて……そんなことあり得ない、とは私も思ってたわよ。

 でも……でも……ほんのちょっと、以心伝心――なんて囃し立てくる葵の言葉を真に受けていたところがあって。そうだといいな、なんて思っていた部分があったのは否めなくて。実際、今、少し……だけど、がっかりしているのがその何よりの証拠で。


「そういう意味って……どういうことだ? 他に、どんな間違い方があるんだ?」


 すぐ隣から、少し心配するふうにそんなことを訊かれ、ぎくりとしてしまう。


「べ……べつに!?」咄嗟に、逃げるようにふいっと顔を背けていた。「なんにも無いわよ! 刺身は刺身よ! 親にお刺身、リクエストしてたのよ! それ以外に何があるっていうの!? バッカじゃないの!?」

「なんで、お前はいちいち俺を貶すんだよ」


 本当にね……!?

 ああん、もお……! なんで、こう……素直に言えないんだろ!? 本当は『さみしい』って送りたかったんだ――て、会えなくて寂しかったの――て、擦り寄っちゃえばいいだけなのに。もう何も怖がることも無くて。間違いなく……百パーセント、幸祈は受け入れてくれる。絶対、抱きしめてくれるのに。どうして、口を開けば憎まれ口ばかり!? 本当はもっと甘えたいのに! まさか……これもハンペンマンの呪い!?


「あ――もしかして、今夜、食いに行くのか?」


 何を? ああ、お刺身ね? 生モノ大っ嫌いだけど?

 もう投げやりっていうか。はは、と諦めたような乾いた笑みを漏らしつつ、


「そーよ。お店の生簀いけす、空っぽにしてくるわよ。悪い?」

「いや、まあ……お店の人には悪いんじゃね? 分かんねぇけど」


 困惑した様子でぼそっとそう漏らしてから、「まあ、でも……それなら納得だわ」と幸祈は気の抜けた声で続けた。


「納得?」


 なんの話? 全部嘘なのに……何に納得するわけ?

 怪訝に思って振り返り、「何が?」と訊ねると、


「なんで、そんな格好してんだろ、て思ってたんだよ。あとで、家族で出かけるんなら納得だな、て思って」

「な……」


 目を見開き、私は固まってしまった。

 なんで……そんな格好してんだろ……!? なんで、そんな……格好してんだろ!? なんで、そんな格好してんだろ……!? ――ぐわんぐわんと頭の中で、幸祈のその一言が除夜の鐘の如く何度も木霊した。

 嘘……でしょ。まさか……ずっと、不思議に思ってたの? 私の格好を――幸祈との初デートだから、て張り切って選んできたこの服を――何事だろう、て思って見てたわけ!?

 恥ずかしいやら、悔しいやら……激しく荒ぶる感情がぐわっとこみ上げてきて、かあっと顔が熱くなる。


「あ……あんたに関係無いでしょ!? 悪かったわね、変な格好して来て!」


 バカ――て心の中で叫びながら、再び、顔を逸らした。今度は……泣きそうな顔、見られたく無くて。

 もう……何が以心伝心よ!? 自惚れも甚だしいわ。『さみしい』も伝わってないどころか、幸祈……何も分かってないじゃん! いっそのこと、バスローブでも着て来てやればよかった、なんて心の中で自嘲交じりに吐き捨てると、

 

「いや、変な格好っていうか……」


 困ったように頭を掻く姿が目に浮かぶような――少し戸惑ったように幸祈が言うのが聞こえて、


「可愛いな、て思ったけど」


 可愛いな、て……思ったの!?


「ほんと!?」


 思わず、満面の笑みで振り返って、きょとんとする幸祈とばっちり目があった。

 一瞬の間があって……全身がぼっと火がついたように熱くなる。


「あ……違……今のは、別に……そんな、思いっきり喜んだわけじゃ……」


 あわあわしながら、必死にごまかそうとする私を幸祈はしばらく興味深げに眺め、「お前って……」とふっと微笑んだ。


「ほんと、『可愛い』って言われるの好きなんだな」


 やめてぇええ!


「は……はあ!? 何……言ってんのよ!? このヘンタイマン!」

「なんでだよ!?」

「か……勘違いしないでよね! 別に、『可愛い』って言われるのが好きなんじゃないから! 幸祈に褒められるのが好きなだけだから!」


 焦りやら羞恥心やら、一緒くたになって襲いかかって来て……まるで追い立てられるように、夢中でそうして――ハッとする。

 あ、しまった……と思ったときには、幸祈はにんまりと生暖かい笑みを浮かべていて、


「ああ、そう。――分かった」

「な……何が!? 何が分かったの!? わたし、なにもわからない!」

「片言、上手だな」

「はあ!?」て泣き叫ぶように上げた声は見事に裏返った。「い……いい加減にしてよね! そんなこと褒められても、全然嬉しくないし!」

「すごいニヤけてるけどな」

「も……モナリザだって、微笑んでるようで微笑んでないし!?」

「お前はモナリザか?」

「――てか、着替えるんじゃなかったの!? ブレザー脱いだだけじゃん!? 早く着替えなさいよ!」


 もう力業だ、とばかりに無理やり話題を変えれば、「ああ」と幸祈も思い出したように自分の服を見下ろした。


「そうだった」とおもむろに立ち上がり、「着替えてくるついでに、何か飲み物取ってくるわ。何がいい?」

「水……でいいけど」


 答えながら、小首を傾げる。

 取ってくる、て……。


「ここで……着替えないの?」

「ここで着替えて……いいのか?」


 ジト目で私を見つめ、意味深に……含みを持たせた言い方で問い返してくる幸祈。なに……? なんでそんなこと、わざわざ訊いてくるわけ? 別に、幸祈の部屋なんだし……好きに着替えればいいじゃない。もう付き合ってるんだ。私に何も遠慮すること無い。私が居ようと気にせず、さっさと制服脱いで楽な格好に――て、制服を!?

 そういうことか……て、その瞬間、幸祈の気遣いに気づいて、 


「裸はまだ無理!」

「裸にはならねぇよ!?」

「あ……そう……だよね。そう……なんだけど……」


 確かに。着替えるだけだし。裸にはならないんだろうけど……それでも、やっぱり……すぐ傍で、服を脱がれるというのは……想像しただけでも、とてつもなく緊張するというか、恥ずかしいというか――付き合っているからこそ、する。

 ふしゅーって頭から煙でも出るようだった。もじもじとしながら、私は俯いて、


「待ってる……お水」


 すると、ため息交じりに「分かった」と幸祈は優しく言って、


「じゃあ、着替えてくるわ。バスローブに」

「なんで、バスローブ!?」


 ばっと顔を上げれば、幸祈がくつくつと笑っていた。

 完全に……おもしろがられてる……!


「わ……忘れてよ、バスローブ!」

「いや、無理だろ。忘れられねぇわ、バスローブ」

「なんでよ!?」


 手遅れだペン、ほなみちゃん――て夢に見たハンペンマンの小憎たらしい声が、どこからともなく聞こえてくるようだった。

 ああ、もう……とぎゅっと拳を握り締める。

 ハンペンマンめ! ペンペンペンペン……うるさいなあ! そんな変な語尾ついてなかったはずなのに。『ハンペンはいかがですか?』とか村人に言う、もっと礼儀正しいキャラだったじゃん。

 だめだ。やっぱり、あの人形……完全に呪われてる! 長年、幸祈ん家の押入れに閉じ込められて、変な念がこもっちゃったんだ。どうにかしないと……また、邪魔される。

 やっぱり、お祓いに行くしかない――と決意を固めた、そのときだった。


「あ、そうだ。帆波――」


 ふと、幸祈が切り出して、


「最近……どっか行きたいとことか、あんの?」

「――神社」


 覚悟しなさいよ、ハンペンマン、とほくそ笑みながら、私はきっぱりとそう答えていた。

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