第15話 分かってない【上】

 ば……ばかじゃないの!?

 じっとしてろって――そんなこと言われなくても……こっちは動けないんだってば!

 どうしよう? なんなの、この状況? どうしたらいいの? いきなり、こんなことになるなんて……。

 まだ数分よ? 幸祈が帰ってきてほんの数分で、幸祈にことになるなんて――!

 しかも……しかも……。


「帆波……」


 はわああああ!?

 近い、近い……! 吐息……吐息が……耳にかかって……!

 ああ、もう無理。蕩けそう――なんて言葉が頭に浮かんで、恥ずかしさのあまりに悶絶しそうになる。


 だめだ。限界だ。


 心臓が激しく鼓動を打って、今にも壊れてしまいそう。身体中が火照って仕方なくて、お腹の奥底まで熱が流れ込んでいくのを感じる。全身がむずむずと疼いて落ち着かなくて。逃げ出してしまいたい、と思うのに、腰には力が入らなくて、足も竦んで立てそうにもない。

 まるで、自分の体じゃないみたい。全然、言うことを聞かない。もう幸祈にされるがままだ――。


 思わず、ごくりと生唾を飲み込む。


 これから、どうなるんだろう――と漠然とした疑問がぽかりと頭に浮かんだ。

 幸祈は……どうするつもりなんだろう? どういうつもりで、抱き締めてきたんだろう? ただ、抱き締めてきただけ? それとも……今朝、葵の言ってた通り、このまま最後まで――。

 その瞬間、ぶわあっと頭の中まで茹で上がりそうになった。

 最後まで……!? 本当に? 今から? いきなり? まさか、そんな……さすがに、無いよね!? 幸祈がそんなこと……て否定しようとした思考がぱたりと途切れた。


 いや――と冷静な声が聞こえた気がした。


 幸祈がそんなことするわけない……なんて分からない。私には、もう分からないんだ。を、私はよく知らないから。だって、昨日まで私に興味も無さそうで。ちょっと冷めた感じがあって、一歩引いてた。頑なに私と距離を置いて、近づこうとしてこなかった――そんな幸祈しか、今まで私は知らなかったから。

 こんな……躊躇い無く、後ろから抱きしめてくるような幸祈を私は知らない。

 耳元に感じる、少し荒くて熱い幸祈の息遣いを私は知らない。

 だから、分からない。何をされても、もう不思議じゃないんだ――。


 きゅうっと鳩尾の奥が締め付けられて、息も出来なくなった。

 そのときだった。


「――怖い?」


 そっと耳元で囁かれたその言葉に、ハッと我に返る。

 へ……と目を丸くして、しばらく茫然とした。

 怖いって……なに、突然? なんで、いきなりそんなこと訊いて来るの? やっぱり、このまま、つもりで……。まさか……最終確認!?

 ぞわっと緊張が全身を駆け抜ける。

 ど……どうしよう? そりゃ、この先のこと考えたら、怖い……けど。


 たまらず、俯くと……ぎゅっと私のお腹を抱く手が目に入った。


 いつのまに、こんなに大きくなってたんだろう。逞しくて、骨ばった硬そうな手。子供の頃、繋いでいた手とはまるで別人のものみたい。

 この手が……私に触れるのかと思うと――私の身体を弄って、私も知らないようなところにまで触れるのかと思うと……怖くないと言ったら嘘になる。でも、だからこそ、幸祈がいい、て思うんだ。幸祈なら……いい。

 

「は……はあ?」とすっかり萎れた虚勢を奮い立たさせ、私は必死に毅然とした声を絞り出す。「なんで、私があんたのこと……怖がるわけ!? 別に……今更、幸祈に何されたって平気……だし」


 だから……好きにすれば――て続けようとしたそのとき、「あっそう」と耳元で幸祈が呆れたように笑うのが分かって、


「お前、やっぱ……あんま分かってねぇよな」


 分かってない……?

 なにが――て訊き返す間も無く、するりと幸祈の手が解かれて、お腹に感じていた圧迫感が消えた。そして、


「そろそろ……着替えて来るわ」


 着替えて来る……!?

 その瞬間、ぱっと脳裏をよぎったのは、バスローブ姿の幸祈で――、


「バスローブに!?」


 やっぱりそうなの!? とぎょっとして振り返って、そんなことを思いっきり訊ねてしまっていた。

 あ……と思ったときには、目の前にはぽかんとする幸祈の顔があって。一瞬の……なんとも言えない気まずい間があってから、ぷっと幸祈は噴き出した。


「んなわけねぇだろ。なんで、バスローブ……!?」


 さっきまでの緊張感に満ちた密な時間はどこへやら。両手を後ろについて、珍しい、ていうくらい、幸祈は大笑い。


「そういや、昨日もバスローブがどうの、て言ってたな。俺がバスローブ着て、どっか行く夢見た……んだっけ? どんだけ、トラウマになってんの」


 さっきとは違う恥ずかしさがかあっとこみ上げてきて、「う……うるさいわね!」とふいっとそっぽを向いていた。

 そんな私に「大丈夫だよ」と宥めるように言って、幸祈はぽんぽんと私の頭を撫でてきた。


「部屋着に着替えるだけだ」


 よ、と私の体を持ち上げるようにしてどかすと、幸祈はおもむろに立ち上がった。

 ちょこんと床に置かれてしまって、私は肩透かし食らったみたいにぽかんとしてしまった。

 幸祈はさっさとクローゼットに向かって、ブレザーを脱ぎ出している。まるで、何事も無かったみたいに……。

 あっさり、ていうか……え? もう

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