第13話 失言【上】
幸祈の部屋のドアを開けると、西日が差し込み、どこか侘しい雰囲気のある赤みがかった景色の中、見覚えのある学習机とベッドが置かれていた。でも、もう恐竜とか、新幹線とか、ハンペンマンとか……幸祈らしいと思えたものは、壁にも床にも、本棚からも綺麗さっぱり消えていて。きっちりと片付けられた簡素な部屋は、別人の部屋のようだった。
ただ……部屋に足を一歩踏み入れると、たちまち、良く知る香りに全身を包まれて、懐かしい、と思った。間違いない。幸祈の部屋だ、て実感して、途端にホッと安堵した。
まるで、一気に過去に引き戻されるようで。
ベッドに背をもたれ、床にちょこんと座って――スマホも無く、やることも無くて――ぼうっとしながら、思い出していた。
もうずっと昔――こうして、幸祈の匂いに包まれながら、幸祈と一緒に布団に潜って過ごした夜のこと。
共働きで、昼夜土日も構わず、働き詰めだった私の両親。幸祈のおばちゃんの『ウチで預かるわよ! 幸祈も遊び相手がいて喜ぶから、遠慮しないで〜』という言葉に甘えきって、私のことは幸祈ん家に任せっきり。私にとって、『帰る家』はずっと幸祈ん家だった。
とはいえ、休みが取れれば、両親は罪滅ぼしとばかりに甘やかしてくれたし、どことなく後ろめたそうにしているのは幼心にも感じ取ってたから、両親が『仕方なく』、私を預けていたことは理解できていた。幸祈のおばちゃんは優しかったし、幸祈と遊んでいるのは楽しかったし、広幸さんも私のことを実の妹みたいに甘やかしてくれて……その状況に不満を覚えたことは一度も無かった。
でも、やっぱり寂しいことは寂しかった。
どんなに、平気だ、と口では言っても――そう自分に言い聞かせようとしても――夜になると、思い出したように心細さが襲いかかってきて、涙が溢れそうになった。
そんなとき、傍にいてくれたのが幸祈だった。一階の和室で一緒に布団にくるまりながら、私の手を握り締め、母が迎えに来るのを一緒に待ってくれた。
それだけで、力が湧いた。大丈夫だ、て思えた。一人じゃないんだ――て思えた。
そうして、いつも傍にいてくれる彼のこと……幸祈のことを、特別な存在だと感じるようになっていったんだ。
――そんなことを思い出しながら、郷愁に浸っていたら、いつの間にか眠っていてしまっていた……らしい。
ふと目を覚ませば、誰かの気配がして……顔を上げたら幸祈が居た。そして、まだ夢現つのまま、咄嗟に――条件反射みたいに――思わず口から飛び出していたのは、いつもの
我ながら呆れた。
オシャレして、準備万端。カノジョとして部屋で幸祈を出迎えて、『おかえり』って言うんだ、て決めてたのに。ずっと、その瞬間を心待ちにしてたのに。
ここまで来て、『広幸さんに会いに来ただけ』なんて……最低だ。あり得ない。――そう自分でも思うくらいなのに、幸祈は怒るどころか、隣に座ってくれた。今まで、ずっとそうだったみたいに……。私がどんなに憎まれ口叩いても、呆れながらも傍にいてくれるんだ。
――兄貴の部屋なら隣だぞ。
そんな風に冗談っぽく言ってきた声も、相変わらず、優しくて、慈愛に満ちて……。
ああ、好きだな――て苦しいほどの実感が胸を締め付けて、身体中が熱くなった。
今も、そう……。
ようやく、『おかえり』って言えた。その達成感だけでも胸いっぱいだっていうのに。そんな私をじっと見つめる彼の顔は、苦しげにも思えるほど真剣そのもので……そして、今までよりもずっと近くにあるように感じて――。
「な……なに?」と思わず、たじろいでしまった。「そんなに見つめられると……困る」
すると、「えっ……」と幸祈は我に返ったように目を見張り、
「いや、悪い! ただ、その……やっぱ、可愛いな、と思って……」
「かっ……」
かわいい? かわいい……て、言った!?
「い……いきなり、何よ!? 困るってば……!」
かあっと一気に顔が赤らむのが分かって、ふいっとそっぽを向いていた――って、なんで!?
違う、違う〜! ああ、もお……何をしてるんだ、私は!? せっかく、かわいい、て言ってもらえたのに……かわいい、て言って欲しくて、こんな格好して来たくせに……ここは『ありがとう』でしょ!?
「あー……」と案の定、困ったような幸祈の声が聞こえて、「厭なら、もう言わないようにする……けど」
ええ!? 言わないの!?
「厭じゃないから」慌てて振り返り、私は縋るような声を張り上げていた。「――もっと言って!」
「へ……」
ぽかんとする幸祈の顔は目の前にあって――ああ、やっぱり、近い、と思った。気のせいじゃない。今までと違う。今まで、幸祈が隣に座るとき、そこにあった障害物のような……まるでもう一人『誰か』がいるような、ぎこちない距離がもう無い。ちゃんと幸祈のパーソナルスペースの中に居る。昔と同じ――一緒に布団の中で過ごしたあの頃みたいに……。
そんな懐かしい距離で、幸祈は不意ににんまりと笑った。怪しく、意地悪く……してやったり、といったような――それは、違和感を覚えるほど、幸祈らしからぬもので。なんで、そんな顔……とぼんやり思った瞬間、脳裏にカッと閃光でも走ったかのような感覚があって、唐突に思い出した。
あれ? そういえば……さっき、私、なんて言った? 厭じゃないから――なんて……!?
「そっか。――もっと言っていいんだな?」
もう手遅れだから、と言わんばかりに……意味深に幸祈がそう呟いて、「あ……」と気の抜けた声が漏れた。
顔……どこらじゃなくて、全身から火が出るようだった。
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