第60話 花は夜毎に狂い咲く(7)
志織の言い分はこうだ。
そもそも、美桜との婚約を許可したのは、伊織に思いを寄せるご令嬢たちのせい。
美桜がそばにいることで、呪い付きの贈り物をプレゼントされることも少なくなり、さらには婚約者がいるからと諦めてもらう口実にもなるからだ。
本気で結婚させようだなんて、考えていなかった。
それに、東堂からの報告によれば、伊織を呪い殺そうとしていた輩はもう呪いをかけるのをやめたとのこと。
だったら、美桜を婚約者にしておく必要はもうない。
何より、志織は冨樫のファンだった。
つい先日、冨樫が帰国の挨拶に月島グループの本社を訪れたらしく、その時娘のアリスを一目見て気に入ってしまったらしい。
美桜とはお友達として、もし何かで呪いにかけられた時には助けてもらえばいいじゃないか——と……
(ふざけるな! あのババァっ!!)
伊織は芳彦から事情を聞いて、怒って志織の部屋に乗り込もうとした。
しかし————
「待て、伊織」
芳彦が腕を掴んで伊織を止める。
「やっぱりお前、あの子のことが本気で好きなんだな?」
「当たり前だろ! じゃなきゃ、言いくるめて婚約者にするわけがない……!」
「わかった。それなら、一旦落ち着け」
「は!? 落ち着いていられるかよ!!」
「いいから、俺に考えがある————」
(考え?)
「とにかく、明日だ。月島ロイヤルホテルに来い」
* * *
その夜、急に雪が降った。
しかし、不思議なことに美桜が立ち止まっていた桜の木の周りだけは、避けるように。
ぽっかりと縁を描くように、外側だけが白に染まってゆく。
木の上にいる何かは、美桜の方を見るとふわりとその温かな風にのって音も立てずに美桜の前へ着地する。
一見、人の形を成してはいるが、それが人ではないことは美桜にはわかっていた。
桜色の衣を着て、顔には無表情な女の能面をつけている。
「だ……だれ?」
美桜が尋ねると、それは無言で両手を伸ばして、美桜の頬に触れる。
「愚かにも、神になろうとしている者がいる————」
(え……?)
「その者を止めよ。月が呪いで欠ける前に————と、仰せだ」
何重にもエコーのかかったような不思議な声で、それはそう告げた。
「目覚めの時は近い————……花は夜毎に狂い咲く」
何を言っているのかわからない。
しかし、先ほど聞いた自分の出生の話が頭をよぎった。
それはおそらく、神の言葉だ。
それは美桜からそっと離れると、後ろに飛んだ。
宙に浮き、空に向かって姿をけした。
美桜は追いかけようとしたが、不思議なことに体が動かなかった。
声も出せなかった。
(なに……それ、どういう意味?)
さっぱり意味がわからず、戸惑っているといつの間にか雪は桜の木にも降りかかり、枝を白く染めていく。
「月が呪いで欠ける……?」
意味はわからない。
何が起きたかわからない。
だが、なぜか美桜の脳裏には伊織の顔が浮かんでいた。
(月——……まさか、ね……)
その時、美桜のスマートフォンに着信が入る。
見知らぬ番号だったが、不思議なことが起きたすぐ後で動揺していた美桜は電話に出てしまう。
「も……もしもし?」
『もしもし、吉沢美桜さんの電話で間違いないかしら?』
「は、はい。そうですけど……?」
(だれ……?)
電話をかけてきたのは女性だった。
最初は伊織の姉である佳織に声が似ているかと思ったが、佳織より年が上のように思えた。
『私、月島志織といいましてね、イオちゃ……——伊織の母です』
「へっ!?」
(つ、月島くんのお母さん!?)
『突然で申し訳ないのだけど、あなた、伊織と別れてくれるかしら?』
「……はい?」
こちらもこちらで、突然わけのわからない話だった。
『今とってもいい縁談のお話があるのよ。だからね、仮の婚約者とはいえ、イオちゃんに他に女がいるなんて、先方に失礼でしょう?』
「え、と、その……え?」
志織は美桜の話なんて聞く気がないのか、それとも美桜が話そうとしていることに気づいていないのか、ただ一方的に話し続ける。
相手のお嬢さんがとても可愛らしくて、ついつい甘やかしてしまいたくなってしまうとか、お嫁に迎えたら娘以上に可愛がってしまいそうだとか……————
永遠と話し続け、そして、美桜の了承も得ずに……
『——ということで、あなたとの婚約の話はなかったことにするから、うちのイオちゃんには近づかないでね』
そう言って、一方的に電話を切った。
「…………は?」
(なに、今の……? なんなの!?)
美桜は腹が立って、伊織に電話をかけた。
しかし、その頃伊織は芳彦と話をしていたため、美桜からの着信には気づかない。
「出ないし!!!!!!」
美桜は怒ったまま自分の部屋に戻っていった。
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