第53話 月は見えずとも(完)
美桜が蟲を消してしまったことで、陸はもうこれは自分にはどうすることもできないと悟ったようだ。
最初はとても悔しそうな顔をしていたが、騒ぎを聞きつけた他のクラスの生徒や教師たちが集まってきて、流石にこれはまずいと思ったのだろう……
陸は鞄から香炉を取り出すと、おもむろに火をつけて一気に甘ったるい香りの煙が教室中に充満する。
そして、その煙を吸った生徒や教師たちが一斉にバタバタとその場に倒れ出した。
「ちょっと! 何してるのよ!?」
美桜は何が起きたのかわからず止めようとしたが、陸は香炉をゆっくり下敷きでと仰ぐ。
「大丈夫や、これは呪いとかじゃないから……ちょっと眠ってもらうだけ。起きた時には今見たこと全部忘れてみんな元に戻ってるようにしといたる」
(何それ、そんなことできるの……!? 本当に、何者なのよ)
「僕が何者か、知りたいんだやろ? 教えてあげる……ドクちゃんをあんなに簡単に消してしまうミオちゃんには、かなわんからな……とりあえず、どこでもええから席に座りぃ。いつまでも床の上に座っとるわけにはいかんやろ?」
香は美桜には効き目がなく、見える薬を飲んだせいか伊織は少し眠い程度で済んでいる。
呪いの塊をかけられ、倒れた時におもいっきり打ったせいで痛む背中をさすりながら伊織は美桜が座った椅子の隣に椅子を引っ張ってきて座った。
陸は、二人が座ったのを確認すると、黒板の空いているスペースにチョークで『蘆屋会』と書く。
「蘆屋道満っちゅう、有名な呪術師のことは知っとるやろ?」
美桜がコクリと頷くと、さらに続ける。
「蘆屋道満の子孫と弟子が作った呪術師の組織や。まぁ、簡単に言うと、呪いで人を殺すことを生業にしとる一族がその中心なんやけど……僕はそれの分家の人間なんよ」
陸の話によると、蘆屋会の人間は占い師や宗教団体を隠れ蓑にしているらしい。
そういうところに相談に来た金や地位のある人間から、呪い殺す依頼を受けている。
代々血統を遵守する蘆屋会は、今は本家の
分家の子供である陸の方が力が強く、本家の力で
「————で、その呪殺ができんと今回僕のところに回って来たのが、月島くん……君や」
「俺!?」
急にビシッと指をさされて、伊織は驚いた。
確かに、今まで呪われてきたものの呪具には蘆屋の文字が刻まれていたが————
「なんで、俺が……やっぱり、月島家の長男だから————か?」
「まぁ、僕もそこまで詳しい事情までは知らん。そこに興味はないしな。ただ、本家からもらった資料に書いてあったんよ……呪い逃れで生まれた子供だと」
「そうだ……そのノロイノガレってやつは一体なんなんだ?」
「うーん、やっぱり自覚なしなんやな……」
陸は黒板に『呪い逃れ』と書く。
「呪い逃れっちゅーんは、その名の通り、呪いから逃れて生まれて来た子供のことを言うんや。月島くんちって、女系家族やろ? もともと、女しか生まれない呪いがかかってんねん……でも、男の君が生まれた————」
陸のいう通り、月島家は莫大な財産と名声を得ているが、なぜか生まれるのは女性ばかりだった。
だが、だれもそれが呪いのせいだなんて思ってもいない。
ただの偶然だと思われていた。
「たまにあるねん。そういう、一族にかけられた呪いから逃れて生まれてくる子供が……でも、呪いから逃れられるのは子供のうちだけ……大人になるにつれて、いろんな呪いにかかりやすくなる体質になるんよ。普通ならそれで若いうちに簡単に死ぬんやけど……君の場合、生年月日から見ると強運の持ち主やねん。きっと、そのおかげで君が呪いを受けても助けてくれるミオちゃんがそばにおる……っちゅうことやな」
陸は、「お手やあげや」と呟いて両手を上にあげる。
いくら何でも、美桜のような強い力を持つ人間がそばにいる伊織を呪殺させることは、陸にはできない。
これはもう、きっとそういう運命なんだろうと……
「生年月日、あと、正確な生まれた時間の天候とか、星の位置とか、そういうのが全部綺麗に重なるとこういうことがあるんや……すまんかったな、月島くん。いくら本家から頼まれたとはいえ、呪ってもうて————……気のすむまで殴ってくれ」
陸は深々と伊織に頭を下げて、教壇から降りると伊織の前まできて自分の左頬を差し出して来た。
美桜は唖然とする……
(え、殴らせるの!? それで許されるものなの!?)
ちらりと隣の伊織を見たが、うつむいたままピクリとも動かなかった。
「……月島くん? 殴らないの?」
「…………」
伊織なら、すぐ殴りかかりそうだと思った美桜は驚いた。
今なら、他に誰も見ていないし、王子様モードでいる必要もない。
感情をあらわにして、声を荒げそうなものだが————
「……あ」
ところが、陸が気がついた。
「これ、月島くん寝てるんちゃう??」
「えっ!?」
陸のいう通り、よく見ると伊織は爆睡している。
寝息を立てて……
(なによ……びっくりしたわね!)
「香炉の効き目やなぁ……殴られるの覚悟しとったのに……ははは」
陸は笑った。
でも、その笑顔は、貼り付けたような胡散臭いものではなく、自然な笑顔だった。
「ところで、ミオちゃん、一つ聞きたいんやけど……」
「なに?」
「ミオちゃんこそ、何者なん?」
「……え?」
「触っただけで、僕のドクちゃん消せるとか、普通じゃないで?」
そう言われて、美桜はドキリとする。
今まで、考えたことがなかった。
(私が、何者か————?)
母親はわかっているが、本当の父親のことは何も知らない。
自分は誰の子供で、どうしてこんな力を持って生まれてきたのか……
ただの霊感が強いとかそういうレベルの話ではないのだろうと、こうして同じように呪いを見ることができる同い年の陸と対峙して初めて思った。
だんだんと不安になってくる。
この質問に、美桜は答えられない。
————ズルっ
「ヒヤッ!?」
困っていると、突然伊織の体が美桜の方に傾いて、美桜の太ももにこてんと頭が乗る。
「ちょ……ちょっと! なにして……!」
かなり寝づらそうな体勢ではあるが、伊織は気持ち良さそうに眠ったままで、美桜に膝枕されている形になっている。
美桜は力ずくで伊織の頭をどけようとするが、寝ぼけているのか起きているのか絶対に動かなかった。
「なんや……二人やっぱラブラブなんやな。イチャイチャしよって……まぁ、ええわ。今度、答え聞かせてな」
「いちゃいちゃって! ……そんなんじゃ……っ!!」
(
羨ましすぎて見てられないと言って、陸はひらひらと手を振って、教室を出て言ってしまった。
伊織の頭が重すぎて、どうにかして欲しかったのに…………仕方がなくため息をつく。
「はぁ……何なのよ、全く……」
(本当に、犬みたい…………)
愛犬のカンタも生きているときはよく、美桜がソファーに座っていると膝の上に中途半端に体を乗せて寝ていたのを思い出して、伊織の髪を撫でる。
(————……ご褒美に、よくこうして——……って、何してる私!?)
この後、伊織が寝返りを打とうとして床に頭をぶつけて目覚めるまで、美桜は自分の行動が恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしたまま動けなかった————
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