Secret Talk
ルナが作ってくれることになったとはいえ、全てを一人でやらせるのは酷というもの。僕はそれぞれの材料をレシピの順番通りに並べて、彼女をサポートする側に回った。
玉葱の処理はびゅんびゅんチョッパーのコツをマスターしたルナに一任し、僕はそれ以外のタネとなる材料を用意することにした。本には載ってないけど、混ぜ合わせる素材の中にナツメグも添えた。これは、ハンバーグを作るには欠かせないスパイスだからね。胡椒も粗く挽いたものを出して、塩の横に添えてみた。さらにおまけとばかりに、粉末状のクミンもこっそり紛れ込ませた。
玉葱を細かくする作業を終えたルナは、用意された食材を一つにまとめ、最初に見せたお手本を忠実に真似てしっかりと捏ね始めた。手本が良かったから……というよりは、彼女に料理の才能があるのだろう。華奢な姿からは想像できない力の入れようと手の動きに、僕は正直言って驚いた。
「上手いじゃないか。そろそろ大丈夫だね。次は形を整えていこう」
「…………」
褒められて気を良くしたルナは、自分の掌に収まらないほどのタネを取り、僕の動かす手を見ながら真似るように形を整え始めた。整えていくうちに、結局は掌サイズへと落ち着いてゆくのだが、それでも僕が作った見本よりも大きなものができあがっていた。
「凄い大きいのができそうだね。それはルナが食べるんだぞ」
「…………!」
両手の塞がっているルナが「ひゅっ!」と軽く口笛を吹いて、スマホ内蔵のLUNAを立ち上げた。ダイニングテーブルの辺りから「これは、フタヒロさんのハンバーグだよ!」と、彼女の
ボウルにあった肉を全て成形し、あとは焼くだけというところで、
「お久しぶりです、目黒さん」
「こうして会うのは、いつ以来だ? 元気そうで何よりだ」
かつての上司で、誰よりも信頼できる男。外事課で華々しいキャリアを積んできた彼は、今や公安部の部長になっている。組織の身内でもなかなかお目にかかることのできない雲の上の存在なのに、
上司だった頃は細身な人だったけど、今じゃすっかり恰幅が良くなっている。貫禄がついた、と言うべきか。昔の方が、近寄り難い印象だったかもしれない。
「やぁ、君も元気になったみたいじゃないか。話せるようにもなったんだって?」
「…………(こ、こんにちは)」
ルナがスマホ越しで話すことは、既に目黒さんには伝えてある。出会った頃のぎこちない距離感は消え、今ではすっかり懐いてくれていることも話してあった。まだ報告してないことといえば……例のシステムくらいか。
その件で目黒さんに直接報告しようと、今日は
何はともあれ、まずはハンバーグだ。
目黒さんと
「オーブンで十分くらい焼けば、フタヒロハンバーグの出来上がりだよ」
「…………」
「いや、今回はルナハンバーグだね。きっと美味しいぞ!」
「…………!」
食べる寸前には
「おぉ! 豪勢じゃないか! ウチの女房にも見習ってもらいたいくらいだよ」
「何を言ってるんですか、目黒部長。涼子さんに告げ口しちゃいますよ?」
「わはは!
「みんなのアイドルだった月村さんも、よく目黒さんを選びましたよね」
「言ってくれるな、関川。全ては俺の魅力しかないだろう」
目黒さんの奥さんは、僕と
そんな彼女を、目黒さんが口説き落としたのだ。いい歳したオジサンが、二十代のメダリストを妻にしたというのは青天の霹靂で……いや、世間からすれば涼子ちゃんの結婚相手がいい歳したオジサンか。ともかく、昨年の十大ニュースに入るほど、メディアも騒ぎまくった中での入籍だった。
「ソースは何種類か用意したので、好きなものを選んで下さい。少しずつ、
「ほう、ハンバーグのソースなんて、最初から上にかかってるもんだと思ってたが」
「まぁ、それが普通ですよね」
「フタヒロさんはスパイスの魔術師だから、一つの料理でも色々な
「まったく……すっかり料理人じゃないか」
「い、いやぁ……」
そんなつもりは無いと言いかけて止めた。
考えてみれば、最近の僕は本当に料理ばかりしている気がする。プロの研究家だった頃よりも、料理に打ち込んでいるかもしれない。でも、それが嫌だとは思っていない。ルナも
ルナと一緒に作ったハンバーグのおかげで、食事中は仕事の話や例のシステムなどの話題も出ず、
片付けも一段落し、食後の休憩を挟んでもらってる間に、僕はデザートの用意を済ませて「じゃあ、この後は頼むね」と
バーボンとロックグラス、そして氷を持って、目黒さんの向かいに座った。
こうして目黒さんとサシ飲みするのも何年ぶりだろう。僕は手際良くグラスにバーボンを注ぎ、彼の前に置いて乾杯を促した。
「…………」
「…………」
沈黙のまま、二つのグラスがぶつかり合う。
しばらくは、何も語ることなく飲み続けた。
「目黒さん、ルナのことですが……」
「あぁ」
「彼女、凄いですね」
「そうだな」
まだシステムのことなどは一言も喋っていない。何を以て「凄い」と同感できるのか、彼の表情からは読み取れない。
「俺のところに迷い込んできた時は、どうしたもんかと思ったけどな。お前に任せて良かったよ」
「ルナの方から近づいてきたんですか?」
「あぁ、仕事を終えて、さぁ帰ろうって時にだよ。俺の車へ寄りかかるようにしゃがんでたんだ」
「車に……」
という事は、ルナは一人で警視庁の地下駐車場まで潜り込んでいたということになる。警備員もいた中、どうやって潜り込んで目黒さんが来るのを待っていたのだろうか? しかも、その車が彼のものと知ってか知らず……いや、車の保有者を調べるくらいは、ルナにとっては朝飯前か。
「どっから来たって聞いても喋らねえからさぁ。警備を呼んで保護してもらおうとしたら、俺にこんな紙切れをくれたんだよ」
いったんグラスを置き、懐からくしゃくしゃになったメモ用紙を取り出し、僕の前に差し出して軽く上下に振った。受け取れという合図だ。
目黒さんの手から紙が落ちそうになったので、僕もグラスを慌てて置き、メモ用紙を受け取った。シワを伸ばして見てみれば、そこには『関川二尋』としか書かれていなかった。
「これを……ルナが?」
「あぁ、最初はお前の隠し子かと思ったよ」
「ちょっ! どうしてそうなるんですかっ?」
「うははっ! でもよ、お前にそんな度胸は
「何か分かったのですか?」
「いや、全く分からねぇ。気持ち悪いくらい何も出てこなかった。だから、お前に丸投げさせてもらった……ってわけだ」
目黒さんの情報網だって尋常じゃない。ルナが現れなければ、彼こそがナンバーワンの情報通だった。それを以てしても手掛かり無しだったのだから、僕が彼女を預かったところでどうにもならないと思うけど……。
「そしたら、進展があったって聞いてよ」
「そう……でしたか」
なんとなくだけど、久しぶりに手柄を立てたような気分になった。
そろそろシステムの事を話す頃合いだろう。僕はグラスに残ったバーボンを飲み干して、一息吐いてからルナの凄さを語り始めた。翻訳ツールのアレンジを越えた言語変換システム、その機能を軽く越えた検索機能と監視システム、さらにその上を越える行動分析の正確性など、実際に見て聞いて、体験したことを包み隠さず話した。
目黒さんは表情を変えることなく、ずっと僕の話に聞き入っていた。途中「ほう」とか「なるほど」と相槌を打っていたけど、心はそこにあらずと言ったような感じに見えた。既に頭の中では、ルナのシステムをどう使えば効果的なのか、自分の立場を優位にする算段を弾いているのだろう。
全てを話し終えたところで、僕は空いたグラスに手酌でバーボンを注ぎ足した。目黒さんは、グラスを握りしめて黙ったままだった。僕の期待するような返事は出ないと思うが、そろそろ何かを言い出す頃合いなのは、長年の付き合いでわかっている。
「そうか」
「…………」
「惜しいな」
「え?」
「お前のいう事しか聞かないってことだよ、関川」
「いや、それは……」
そう願いたい。
正直言って、覚醒したルナとLUNAを目黒さんのところへ戻すのは気分が乗らなかった。乗るとか乗らないとかで決まるようなことではないけど、彼女との間に家族のような距離感が芽生え始めている今、僕は彼女を手放したくなかった。
「どうであれ、まずは本人の気持ちが最優先かと思いますが」
「ははは、俺を見くびるなよ。あの子の気持ちは既に決まってる」
「そう……でしょうか?」
「警察や政府が手を付けようものなら、笑いながらシステムを自分で壊すだろうよ」
「…………」
「関川、お前はあの子の面倒をみる覚悟ができているのか?」
「それは……」
「これは依頼でも提案でもない。命令だ。あの子を守れるのは、お前しかいない」
ようやく目黒さんの持っていたグラスに動きがあった。クイっと中身を飲み干してから、それを僕の目の前に突き出す。次いで、懐から煙草を一本取り出し火を点けようとしたので、慌てて「すいません。ここは禁煙です」と言って彼を制した。
「あぁ、すまん。まぁ、そういうこった。あの子はお前に任せるよ」
「目黒さん」
「もちろん、何かあったらすぐに言えよ。いくら世間に隠し通していても、いつかはバレちまうもんだ。そうなったら、欲しがる奴らは一気に増えるからな」
「……わかりました」
注ぎ足されたバーボンを目黒さんが一気に飲み干し豪快に笑ったところで、この話はお終いとなった。もっと色々と確認しておきたいこともあったけど、話の終わりを告げる高笑いが出た後は、もう何を言っても真面目で固い話はしてくれない。そういう人だった。ともかく、鍵となるメモ用紙は僕が預かることにした。
「んで? 心当たりはあるのか?」
「心当たりですか?」
「母親だよ」
「ありませんっ!」
緊張の糸が切れたというのか、目黒さんはすっかり詮索好きの酔っぱらいに変貌していた。これはこれで、気を緩めることができない。こういう時は、
「そうだ。言い忘れてたが」
「何でしょう?」
「それな、鑑識にも回したんだよ。特に何も出なかったけどな、筆跡は女だ」
「心当たりはありませんよ」
「そうだった、そうだった。わはは!」
このメモ用紙を僕がルナに直接見せたら、どんな反応をするだろうか。再び心を閉ざすような態度に出ることは無いと思うけど、想像もしてないような何かが起きそうで胸の辺りが痒かった――。
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