Confession and Declaration

 僕はマリアの話に耳を傾けることにした。

 出会いの場が事件現場だっただけに、保護をしてからのマリアとジェーンの生い立ちは簡易的だが調べてあった。その情報は外事課に保管され、目黒さんや都梨子とりこ以下捜査関係者も閲覧できるようになっている。しかし、二人の幼少時代の情報は全く蓄積されていなかった――。


 二人の出自については、以前の聴取で記録した通り、父親と母親が誰なのか分からない。でもマリアには、母親についての記憶が少しばかりあるらしい。ただ、その母親もマリアが生まれて何年かした時に失踪してしまったとのことだった。その後、を失ったマリアは、隣に住んでいたルリコ婆さんの伝手つてで老人ホームのスタッフから養護施設のスタッフへと話が行き渡り、ついには児童保護施設で彼女を預かるという話をもらうことができたという。


「短い間だったけど、ルリコお婆ちゃんの作ってくれた麦茶は美味しかったわ」

「ルリコさんに麦茶って……その人は日本人だったんだね」

「そうよ。だから私、その時に決めたの。いつか日本に行くんだって」


 日本へ行けば、心優しいルリコ婆さんのようなお年寄りがいっぱいいる。そんなお年寄りたちに育てられている若者たちだって、きっと優しいに違いない。なんて希望に満ちた国なのかしら、日本って! と、夢を見ながら施設での暮らしが始まった。


「そこで、私はジェーンと会ったの」

「そうだったんだね。そんな早くから二人は知り合ってたんだ」

「良いお姉さんだったわ。施設に入りたてで何もわからず不安だった私に、いつも寄り添ってくれたの。本当の姉さんのようだった……」


 マリアの表情が少し硬くなった。でも、僕は何も言わずに話の続きを促した。

 施設での暮らしは快適だったらしい。きちんとした規律のもと、差別やイジメのような類も無く、食料などにも事欠かない状況が続いていた。夢への第一歩である日本語の勉強も叶い、入所してからの数年間は何不自由なく過ごすことができたそうだ。


 しかし、全てが順調とはいかなかった。

 フィリピンは台風大国だ。年に数回、とてつもない雨風あめかぜに襲われ、街ごと呑み込まれる地域もしばしばあった。今までは進路が逸れて大した被害も受けてこなかったが、ついにマリアの過ごしていた施設も災禍に遭ってしまった。

 強風や大雨に耐えうる造りでも、基盤ごとさらう土砂崩れにはどうすることもできなかった。多数の死者も出してしまう中、命からがら難を逃れたマリアとジェーンは、施設のオーナーの助けを借りて隣町の避難場所へと転がり込むことができた。


 仕方のないことだが、避難生活は苦しいものだった。もちろん苦しいのは二人だけではない。周りのみんなも同じ条件で、行方不明の家族を案じたり、不衛生な現状を目の当たりにしてストレスを溜めたり……中には、苦境に耐え切れず発狂してしまう女性もいたとかなんとか。

 それでも二人は「この状況が、ずっと続くわけではない」と信じ、手を取り合って励まし合った。ジェーンが居れば心強い、マリアが居れば寂しくない。そんな事を言い合いながら、笑いの絶えない避難生活を過ごしていた。


 やがて、二人に転機が訪れる。

 施設のオーナーの友人だと名乗る男が避難施設に上がり込み、じっくりと値踏みをするような目つきで見回しながら「あいつとあいつ、そしてこいつもだ」と部下に指示して指名された者たちを部屋の中心に集めていた。マリアとジェーンも、その中に入れられた。

 部屋には若い男女が集められていた。二人は若いと言うよりも部類で、同じような年齢の子供は少なくなかった。ジェーンを含めた周りの若者たちは「何が起こるのだろう」と不安がっていたが、マリアは逆に「何か凄いことが起こりそうだ」と密かに心を躍らせていたらしい。


 不穏な空気が漂う室内に、軍服を着た屈強の男たちがズカズカと入ってくる。十数人の男たちが整然と並び終えると、最後に軍人のリーダーとおぼしき男がゆっくりと部屋へ入ってきた。オーナーの友人と名乗っていた男だった。赤いベレー帽を被り、精悍な面持ちで頼り甲斐のありそうな雰囲気を醸し出していたが、鋭い目付きにはどことなく鋭利な刃物を思わせるものがあった……その人は「ヘイク=ロー様」と周りから言われていた。


「ヘイク=ロー……か。懐かしい名前だ。あいつに連れて来られたのは、が初めてじゃなかったんだね」

「うん、最初にコンテナ船に乗った時は、嵐で沈没して遭難しかけたの」


 ヘイク=ローは、フィリピンの若者へ「働き口がある」とそそのかし、日本へ秘密裏に入国させていた黒幕だった。元軍人で、現役の時に武器の横流しが発覚し除隊。その後は、裏社会で上手に渡り歩く傭兵として名が知れ渡っていた。主に密輸や人身売買の分野で頭角を現し、フィリピンの一地域では熱狂的な支持も受けていたほどの悪人だった。

 僕がヘイク=ローを逮捕したのは、伊香保のフィリピンパブで大捕おおとものを演じた時だった。そこで二人を発見したわけだが、当時はもう二十になるかならないかの頃合いだった。今ここでマリアが僕に話しているのは、もっと前の子供の頃の話……そんな前から、ヘイク=ローの横暴に付き合わされていたのかと思うと心が痛む。

 ちなみに、水族館のデートの時に「海は好きだけど泳げない」と言っていたのは、遭難しかけた時のトラウマが原因だとも言っていた。


「何度か日本へ向かう船を出していたのよ」

「その間ずっと、あいつの言いなりだったのかい?」

「そう……ね。でも、私は落ち込んだりはしなかった。だって、夢見てた日本だったもの! 日本に入ってしまえば、今まで大変だったことも全て報われる……そう信じて船の中で我慢してたわ」

「ジェーンも同じ思いだったのかなぁ」

「それは……わからないわ。ずっと一緒だったけど、いつもジェーンは不安な気持ちを隠して私を励ましてくれてたから」


 ジェーンならそうするだろう……優しかったもんな。ましてや、妹のような存在のマリアを不安がらせないよう気丈に振る舞っていたなんて容易に想像がついた。


「二人とも、僕が想像していた以上に大変な思いをしてきたんだね」

「私よりもジェーンの方が辛かったと思う。ヘイク=ローに気に入られていたから」

「気に入られていた?」


 マリアもジェーンも、そして他の女の子たちも、年頃になるとヘイク=ローに目を付けられ一時の慰みにてがわれていたのだ。気に入られれば良い生活も保証されたので、えて媚びていた子もいたようだが、ジェーンは絶対に媚びるような真似はしなかったそうだ。それでも、向こうに気があれば夜伽よとぎの相手をする機会だって増えるもの……月日がち気が付けば、彼女の明るい笑顔は消えていた。

 フィリピンパブの小部屋で見つけた時、ジェーンは不安と恐怖が入り混じった複雑な表情をしていた。彼女を保護してからは少しずつ距離を縮めて恋人のように接してきたけど、むちゃくちゃしていた間はどんな思いで僕の相手をしていたのだろう。もしかしたら、悦に浸るなまめかしい笑顔の裏でヘイク=ローの嫌な面影を重ねていたのかもしれない。


「ごめんね。私の子供の頃の話だったのに、だんだんジェーンのことばっかりになっちゃって」

「いや、いいんだよ。いつも一緒に居たんだから、ジェーンの人生はマリアの人生でもあったんだ。今のマリアは幸せかい?」

「うん、あの時とは比べものにならないくらい幸せ。ジェーンもフタヒロに助けられた後は、とても幸せそうだったよ。私が嫉妬しちゃうくらいにね」

「なんだよそれ。マリアだって、別の恋人がいたじゃないか」

「そうなんだけどねぇ……」


 再びマリアの表情が硬くなった。

 色々な経験をて巡り会った僕ら三人。ジェーンが亡くなった今、そろそろ複雑な関係にも終止符を打たなければならない。


「マリア……」

「ん?」

「僕たち、恋人同士を解消しないか?」

「…………」

「結婚……しようか」

「えっ?」


 どういうことなのか状況を掴めていないマリア。

 僕はブランコから降りて彼女の正面に回り片膝を付いた。そして改めて「結婚しよう」とキッパリ言った――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る