Have a Thick Skin

 僕はひとまず謝った。そして、先輩としてさとすように言った。


「特別な扱いをした覚えはないよ。自分で言うのもなんだけど、僕は八方美人なところがあるんだ。勘違いはしないでくれ」

「…………ひどい言い方ですね」

「すまん。僕には上手い言葉が思いつかないよ」

「うそっ。普段はもっと優しいのに……」


 嘘だった。

 本当のところは、都梨子とりこにだけ特別な扱いをしていた。先輩として後輩に接する態度としては、あまり相応しいと言えるものではなかったと自覚していた。


 都梨子とりこは優秀だった。将来は、エースとして外事課を引っ張って欲しかった。

 都梨子とりこは繊細だった。きめ細やかな段取りは、一緒に仕事がしやすかった。

 都梨子とりこは綺麗だった。周りの男が色目を使って寄ってくるのが気に入らなかった。


 僕は戸惑っていた。

 本当に、都梨子とりこ以外の後輩にも優しく接していたのだろうか? 僕自身は「そんなことはない」と思っていた。でも、彼女は「新人の優奈ちゃんにも特別扱いをしているんじゃないか」と疑っている。



「そんなことないよ……」



 と、言葉が漏れてしまった。

 それを都梨子とりこは間違った解釈をした。ありありと目に涙を浮かべて「ひどい、ひどいよ……」と小さく呟いてから、速足でその場を立ち去ってしまった。


 僕は追いかけることができなかった。

 追いかけて、その手を掴んで「誤解だよ」と言えなかった。その勢いで都梨子とりこを抱きしめ「好きだ!」と告白することも妄想だけで終わってしまった。それをやってしまったら、僕は外事課を辞めなければならない。職場に恋愛はご法度だ。やってる奴らもいたが、当時の僕は仕事と恋を両立させられるほど器用な男ではなかった……いや、単に自信が無いだけだった。


 その日以来、僕と都梨子とりこは擦れ違いの多い日が続いた。先輩と後輩という間柄も薄くなり、僕は引き続き優奈ちゃんを育成し、彼女は新しい相棒と組むことになった。それぞれが別の捜査に当たることも増え、いつしか外事課の中でも別の組織で働くようになってしまった。

 後輩の模範であるかのように接し続けてくれた優奈ちゃんから、一度だけ告白めいたことを言われたことがあった。でも僕は、やんわりと「今まで通り、先輩と後輩の間柄でいよう」と断った。その時も、優奈ちゃんからは「都梨子とりこ先輩ですか?」って問い詰められたっけ……都梨子とりこに対する後ろめたさが無かったと言えば噓になるけれど、僕は能面のような顔をして「違う」と答えたのを覚えている。


 一年、二年と月日が過ぎ、都梨子とりこは外事課のエースへと伸びた階段を順調に昇っていた。僕の所属していた二課から、当時の花形だった三課への異動が決まり、女性職員として初の三課の幹部候補とも言われる存在となっていた。彼女は僕の手の届かないところまで行ってしまった……でも、それが僕の願いだったし、それで良かったんだと諦めがついた。

 その数ヵ月後に、僕はジェーンとマリアに出会った――。


「……んぱい! 関川先輩!?」

「ん? あ、あぁ、すまない」

「また、何かとぼけようとしてたでしょう?」

「あはは、参ったなぁ。違うよ。ちょっと例のことを考えてただけさ」


 僕は残りのコーヒーを飲み干して、都梨子とりこに向かって右手を差し出しひらひらと催促した。依頼をしていたものを受け取ったら、すぐにこの場を去ろう。そう思い、左手で伝票へと手を伸ばした時、彼女から「ほーら、やっぱりとぼけてる」と言われてしまった。伝票は僕から遠ざかり、彼女の指に挟まっている。


「先輩を揶揄からかうもんじゃないぞ」

「調査書類、欲しくないんですか? せっかく久しぶりに会ったんですから、もう少しお喋りしましょうよ」

「話すことなんか何もないぞ」

「私は話すことがいっぱいあるんですよ」


 やっぱり上司にゴリ押しでお願いすればよかった。彼も人が悪い。都梨子とりこのどこが「適任」なんだか……面倒の種が増えただけだよ。仕方がないので、僕はウェイトレスを呼んで「コーヒーおかわり」と伝え居住まいを正した。


「それで? 話ってなんだい?」

「そうそう、頼まれていたマリアさんのことなんですけど……特に変なところはありませんでしたよ」

「そうか。それならそれで良かったよ。おかしな犯罪に手を出してるようだったら、僕まで捕まってしまうからね」


 おかわりのコーヒーが運ばれてきたところで、都梨子とりこはバッグから書類の入った封筒を取り出し「どうぞ」と僕に渡した。中身を見ずに去ろうと思っていたが、彼女はまだ何かを話したそうだったので、とりあえず「ありがとう」と礼を言ってから中身を引っ張り出しテーブルに書類を広げた。

 書類はマリアの身辺調査書だった。昔の調査内容は僕が担当していたので把握しているが、ここ最近の……マリアが前職を辞め、ホテルの料理人と別れ、新たにフィリピンの観光客向けの仕事に就いているあたりの細かな調査情報は、手にしておらず欲しかったのだ。


「仕事を辞めた後のビザが少し不透明だね」

「そこは、関川先輩が昔から気にかけていた人ですから」

「そうか。目黒さんも知っているんだね」

「当たり前です。っていうか、目黒さんの指示ですよ」


 僕の上司だった目黒さんが、こうして直々に動いてくれているなら心配は無さそうだ。身辺調査書の他に入っていた数枚の写真を眺めながら、新たに運ばれてきたコーヒーをすする……ん? この顔に見覚えがあるな。


「なぁ、この女……琥珀こはくじゃないか?」

「え? まさかぁ。んー、でも似てますね」


 僕は問題の写真を都梨子とりこに向けて、トントンと指を鳴らした。それは、マリアが職場の事務所から出てくるところの写真だったが、そこから数メートル離れた先の電柱の陰で、彼女から隠れるように写っている女がいたのだ。

 サングラスはしているが、ショートボブにカットされた黒髪に赤いメッシュの入った女は珍しい。服装も派手で、とても隠れて何かを探るという格好には見えない。何よりも、この女は僕の知っている……だけではない、外事二課の頃から捜査員の皆が目を光らせている対象者だった。


「関川先輩が言うんじゃ……間違いなさそうですね」

「まぁ、僕も退いてるから、大きなことは言えないけどさ」

「この写真だけ、改めて預かってもいいですか?」

「もちろんだ。また何かわかったら、すぐに教えてくれ」

「わかりました! 目黒さんにも伝えておきます」

「頼むよ。直接マリアにも僕が聞いてみるから」

「え? それって大丈夫ですか? もし、二人が関わっていたら、関川先輩……殺されちゃいますよ」


 その可能性があった。僕は顔色を変えて「そんなことは無い」と言い切る自信が無かった。よくよく考えてみれば、マリアが僕の目の前に現れたタイミングも良すぎたのだ。何か目的があって僕をめようと……もしくは操ろうとしている、そう疑った方が賢明なほど、琥珀こはくという女は危険だった。


 都梨子とりこが「関川先輩」といぶかしそうな目付きで僕を見た。

 静かにしかめっ面をしていたから、何か外事課でも知らないことを隠しているんじゃないかと思われたかもしれない。僕は「あぁ、そうだな。すまない」と表情を崩し、コーヒーを取ってクイっと飲んだ。


「マリアさんがだと決まるまでは、おかしな行動はしないで下さいね」

「わかった。問題の無い子だと思っていたんだけどな」

「私も書類を渡すまでは昔から変わらない良い子だと思ってましたよ。しかし、よく見つけましたね、さすが関川先輩です!」

「素直に喜べないなぁ……」

「偶然かもしれないし、これから接触する可能性もあります。色々な方向から調べてみますので、彼女には何事も無かったように接してあげて下さいね」

「わかった」


 都梨子とりこが席を立とうとしたので、僕は慌てて「おい! ここは僕が払うよ」と制したが、彼女はそれを振り切って会計のカウンターまで行ってしまった。居心地の良い店だったので、受け取った書類でも眺めながら三杯目のコーヒーを飲もうと思っていたけど、そうもいかなくなってしまった。


「なんだか悪いね。ごちそうさま」

「いえいえ、この店へ来てもらうよう呼び出したのは私の方ですからね。ここだったら関川先輩も気に入ってもらえるだろうと思って」

「いやぁ、とても良い店だよ」

「それに、こうなってくると……まだ、私にも可能性が残ってそうですね! 彼氏を作らないでおいて良かったかも。ふふふ」

「は? 何を言って……」

「じゃっ! また連絡しますねー!」


 結局、都梨子とりこに再会して謝りたかったことや、言いそびれたことは一つも出せなかった。それどころか、新しい疑惑と大物の捕獲という難題が増えただけじゃないか。しかも、あいつ……。


 僕はきびすを返して、さっきの喫茶店へ再び入り考え直すことにした。

 別れ際に都梨子とりこが放った「あ、そうそう。関川先輩って、やっぱり鈍感なんですね」という言葉が、ずっと頭から離れなかった――。

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