第56話
安浦は上村の頭から目を離さずに挨拶をしている。
「中村さんは下?」
私は安浦の手を取ると、上村の案内で駅前に止めてある中村の車まで歩く。
「安浦。今日一日は俺のことをご主人様って言うなよな。かなりややこしくなると思うし。頼むから」
私は改札口で念を押したことを、再び頼んだ。
「解りました。ご主人様」
「……」
駅前のロータリーに中村のボロ車が見える。その車の助手席に上村がさっさと座るが、私は少し待ってと言い。安浦とカラオケのドリンクは高いようなのでコンビニに少し寄ることにした。
「ご主人様。あたしコーラ飲みたい」
「俺は烏龍茶を買う。金出してやるよ」
「ありがとうございます」
ご主人様は止めてほしかったが・・・無理のようだ。私は中村・上村に何て言えばいいのかと考えながら、飲み物を二つ持ってレジの前に並ぶ。
レジは二つあって、そのどちらも二人か三人かが並んでいた。
すると、前にいた汚れた格好の浮浪者がレジを済まさずに私のところへとのそのそと来た。
異臭がするかと思い内心身構えるが、そうでもなく。服装は、何年も履いているように思える、色が変色しているジーンズと、夏物ではない赤いジャケットと元々は白だったシャツを着ている。やや痩せ気味。そして、目だけがギラギラとしている。生い茂る髭とぼさぼさの白い長髪の老人だった。
それでも、悪臭が何故かしなかった。
厳つい顔を綻ばせて、
「兄さん。もう一個。飲み物買おうか」
と、私に手に持っているサイダーを渡す。
私はこの浮浪者に目を白黒させられた。
「ご主人様。その人のも買ってあげましょうよ」
安浦の発言に私は「ま、いいか」と、受け取った。
三人分の飲み物をレジで精算した。
サイダーを受け取ると、途端に人懐っこい顔になり、にっこりして帰り際に浮浪者は、
「ありとがとな。あなたに主の恵みを。」
と、以外にもよく通る知的な口調で私に手を振った。
中村の自動車に安浦と私は、いい事をした時の気分の高揚感を抱えて、歩きだした。
カラオケ「にゃんこにゃんこ」は、休日のためか何人もの客が受付をしていて、なかなかに広かった。歌を歌う部屋が幾つもあるようで……普通のカラオケ屋だった。
私は初めて入るカラオケ屋なので、周囲をキョロキョロと見回していると、
「ご主人様。記念撮影を後でしましょうか」
安浦の提案をやんわりと断る。
レジの店員に中村・上村はお金を支払っている。その顔は私をご主人様と言っている安浦を気にいっている表情が見え隠れしている。
「ご主人様か……メイドごっこかい」
上村が特殊な冷やかしをしてくる。
「ええ。ちょっと」
私は照れて尻つぼみに言った。
どうやら、前払いのようだ。それと、私と安浦の分も支払ってくれていた。
「時間。何時間にするか?」
中村の勝手知ったる気楽な声に私は安浦の方を見る。
「3時間がいい。あたし歌えるもん。それとありがとうございます。」
「それじゃ、3時間で。楽しくなりそうじゃない。中村さんからマイクを3分置きに奪わないと。…彼女とメイドごっこ……羨ましいよ」
上機嫌の上村は私の肩を軽く叩く。
「メイドか……」
中村は意味深な表情を作る。
「俺。歌ったことがないけど……」
しきりにキョロキョロとするカラオケ初心者の私は、どうしていいか解らない。
安浦が自信満々で、
「大丈夫です。私もマイクを中村さんと上村さんから奪いますよ。ご主人様も手伝って」
どうやら、カラオケとはマイクの奪い合いをするところなのだろう。
防音がされているらしい個室に入ると、早速、安浦と中村・上村はマイク争奪戦をする。私は歌ったこともなく、また、知っている歌もなく。ただ、烏龍茶を舐める。
一番は安浦だった。
コロコロするような歌を歌いだした。どんな歌かも知らない歌なので、可愛いとしか思わない。
次の勝者は中村。悔しそうに光っている上村の頭は、しばらく置いておいて。
今度は中年の歌が流れた。……眠くなる歌……。
次の勝者はまたもや安浦、上村の頭は、置いておいて。
また、ころころした歌だった。こっちは眠くならない。
かれこれ3時間後……終わりが近ずくと、
「赤羽くん。一曲歌ったら」
中村がマイクを突き出した。私は断るのも後味がよくないので、
「解りましたよ。仕方ないっス。歌いますよ」
私はふざけて軽い口調を発した。
「きゃー! ご主人様の歌!歌!」
今まで何時間とマイクを奪い合っていた安浦が喜々とした。
「俺、全ッ然歌ってねー!」
上村の頭は、やっぱり置いておいて。
「何にしようかな?」
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