08◆淑女(レディ)の溜息

 テディは固辞したが、結局クワイエットが彼を抱えて帰った。


 人形たちはいずれも人間より高い身体能力を備えている。そしてクワイエットのほうがストローよりわずかに体格もよく、身体の大部分が木製であるためほどよい重量と頑丈さがあり、運搬役に適していると言えよう。

 とはいえ絵面はひと回りどころか、ふた回り以上も小さな少女に担がれる少年の図である。

 テディは終始恥ずかしそうな顔で俯いていた。


 そうしてようやくパンチ通りに帰った埃だらけのひとりと二体を、リチャードは涙ぐみながら出迎えた。


「おおテディ、無事でよかった……」

「安心するのは早いわよ。喉や腕に支障が残らないように、早いとこ医者に診てもらわなくちゃ」

「そうね。長時間あんな場所に吊るされていたのだし」

「……とりあえず、そろそろ下ろしてもらっていいかな、クワイエットさん。もう自分で歩けるからさ……」

「だめ。まだ脚が震えてるでしょ、転んで骨でも折ったら事よ。遠慮しないの」


 何はともあれ、テディは三日ぶりに自分のベッドに入ることになった。

 しかし医者を呼ぼうにもすでに夜だ。無理に呼びつけることもできなくはないだろうが、さすがにそこまでしなくてもいいとテディは言った。


「心配してくれるのは嬉しいけど、お医者さんを呼ぶのは朝になってからでいいから。

 それよりもう遅いからふたりとも泊まっていってよ。リチャードさんの仕事部屋にいくつか空の保管箱ケースがあるし」

「いえ、私たちは遠慮させてもら……」

「このひどい恰好で朝の通りを歩くのは嫌よ! あんたも今夜一晩くらい我慢して付き合いなさい」

「……キュー」


 ストローが恨みがましい眼で睨んだのを、クワイエットは無視した。




・・・・・+




 翌朝ストローが医者を呼びに行っている間、クワイエットはリチャードに手入れをしてもらった。

 さすがに元職人だけあって話が早い。道具類も手放さずに保管してあったそうで、クワイエットの要求はすべて通った。


 関節内に入り込んだ細かいゴミを除去するため、腕ごと肩から取り外される。

 老人の骨張ったひ弱な指が、見た目の頼りなさとは裏腹に手際よく繊細な処理をこなすのを、クワイエットは隣でじっと眺めていた。


「なかなか腕がいいわね。まだ現役でいいくらいだわ」

「……ふふ。それはどうも、お褒めに預かり光栄ですよ、静黙の淑女レディ・クワイエット

「才能と技術には敬意を表することにしてるの。

 だから愛称で呼ぶことを許すわ。これからはキューと呼んで」

「嬉しいけど、それではテディが拗ねてしまうね」


 リチャードは肩を竦めて笑ったが、クワイエットはふんと鼻を鳴らした。


「構うことないわよ。悔しければ腕を磨けばいいだけだもの。

 ……それに、彼に足りないのはまさにそこ」


 クワイエットはそっと目を伏せた。


芸能ショービジネスの世界でやっていくには気が弱すぎるのよね。あたしだって意地悪で突っぱねてるわけじゃないのよ」

「たしかに、あの子は優しすぎるかもしれないね……」


 明るく華やかな舞台の裏は、金と利権にまみれた欲望のるつぼなのだ。

 そこで生きるには今のテディは純粋すぎる。誰かに利用されて良いように使われるか、野心家の踏み台になってぼろぼろになるのは目に見えている。

 それがわかっているから、クワイエットも容易には首を縦に振らないのだ。


 決して彼の才能を認めていないわけではない。

 むしろ逆だからこそ、テディを自分の世界に引き入れるのに慎重になっている。


 矜持のない、ないし己の商業的価値に無自覚な才能ほど無防備なものはない。

 嫉妬や欲のために彼に群がる有象無象がいることをクワイエットは知っているし、自分だけでそれらからテディを守りきるのは不可能だともわかっている。

 彼がきちんと危険を察して回避するか、あるいは彼自身の意思で戦うのでない限りは、いつか負ける。



 そんな話をしていると、扉の陰に誰かが立っている。

 その人影の正体を確かめる必要はない。そして、この場に引っ張り出して説教しようという気も、クワイエットにはなかった。

 ……甘やかしてはいけないのだ。テディが自ら行動するまでは、待つと決めている。




・・・・・+




 その後、ストローが医者を連れてきてテディの診察が行われた。

 結果テディの身体にはなんら問題はないらしい。念のためしばらくは安静にしているように言われただけで、改めて検査や薬が必要だというような話にはならなかった。


 これでようやく一件落着、といったところだろうか。事件の調査は警察に任せておけばいい。


「それでは私たちはこれで失礼しましょう」

「ちょっと待って。リチャード、あたしの傀儡糸はどこ? 腕を外したときに抜いたのを戻してないわ」

「ああ、作業台の上だろう。取ってくるよ」


 作業部屋に戻ったリチャードと入れ替わりに、着替えてさっぱりしたテディが顔を出す。

 顔も洗ったらしくきれいになっていた。昨夜と比べたら血色もよく、たしかに心配なさそうだ。


 テディはだいぶ安定した足取りで二体に歩み寄った。


「言い忘れてたけど、ふたりとも色々ありがとう。命の恩人だ」

「ああ、そういえばそうなるわね。次からはああいうおかしな手合いにひっかかるんじゃないわよ」

「何かあっても深追いはせずに、すぐ警察に通報して」

「うん、気をつけるよ。

 ところであの……クワイエットさんは、その、すごく強かったけど……どうしてそんな機能というか、技術なんて……?」


 言いづらそうなテディの問いはもっともだった。


 クワイエットの本業は腹話術人形で、むろん芸の中心は口と手ぶりにある。

 そもそも自分は背中に通された軸棒で繰る形式の人形なのに、なぜ腕の中に人形繰り用の特殊強化糸が仕込まれていて、それを芸どころか戦闘技能として扱えるのか。しかもあれほどの練度で。


 対するクワイエットはというと、そういう芸よ、と簡潔に返した。


「『人繰り人形』っていう演目があるのよ。ま、たまにしかやらなかったけどね。

 戦えるのは身を護るため。あたしくらい有名になると変なのが周りをうろつくことだってあるの。盗もうとか壊そうとか、あと操演者パペッティアを殺そうってバカもいたかしら。まあとにかく、そういう輩をとっちめるために必要だったのよ」

「こ、殺そうって……」

「保険目当てとかね。あとは単純に嫉妬とか。世の中ろくでもない人間が山ほどいるわ」

「そうね。まともで善良な人もいるけれど、そんな人ばかりなら私のような人形は必要ないもの」


 さすがに呪いの人形が言うと説得力がある。ストローの静かな呟きに、テディ少年は黙って息を呑んでいた。

 その表情の陰りや眼差しの揺れを、クワイエットは注意深く見守る。


 けれどテディが何か言う前にリチャードが戻ってきた。

 もっとも、そもそもテディにこの件でこれ以上喋る気があったかはわからない。決意の表明なりなんなりを期待したのはクワイエットのほうだったのかもしれない。

 だから誰にも気づかれないように、口の中でそっと溜息を吐いた。――人形なのにそんな芸当ができるほどの高級品だ。


「はい、糸だよ。自分で仕舞えるかい?」

「ええ。むしろそのほうが使うときに不都合がないわ」

「そうか。……あとストロー・ガール、よければこの手袋をもらってくれないかね。たぶんきみのと同じ品だと思うから。それは破れてしまってるだろう」


 リチャードはそう言って小さな白い手袋をストローに差し出した。

 たしかに彼女の手は同様の手袋で覆われていて、テディを拘束から下ろす際に右手の手のひら部分が裂けてしまっていた。破れ目から藁や麻糸が覗いている。

 そして老人の言うように、手袋は同じメーカーのもので、サイズもぴったりだった。


「……ありがとう。でも、どうして同じものとわかったの?」

「そこの製品は現役のころよく使ったからね。経営者が変わってからは質が落ちてしまったが……これは初期のものだ。他にも部品はまだあるから、何かあったらいつでも言っておくれ」

「そう……」


 どこか寂しげに頷きながら、ストローは手袋を付け替えた。


「ところでリチャードさん、その手に持ってる箱は何? それは替えの部品じゃないよね」

「そうだが、これも作業部屋にあってね。私のじゃないからお嬢さんがたの持ちものかと思って持ってきたんだが」


 テディが指摘したものは、リチャードの大きな手の中にあると懐中時計くらい小さく思えた。

 しかしそれは、あの人喰いパペットの体内にあった動力源だ。いくら小さくとも中身の禍々しさには変わりはないだろう。


 こうして明るい場所で改めて見ると、その表面が真っ黒に汚れているのがわかる。

 煤と機械油と、それから、恐らくは人間の血で。


「……それはあのパペットの心臓エニグマレルね」

「え、持ってきちゃったの?」

「だって警察がどれくらいあてになるかわからないでしょ? 検証とかいってあいつの身体に戻されでもしたら危ないもの。

 っていうか今気づいたけど、リチャードに何も説明してなかったわね」


 ぽかんとしている老人に気付いたクワイエットは、ざっと事のあらましを今さらながら彼に伝えた。

 テディを攫ったのは彼の危惧どおり、児童連続誘拐殺人事件と同一犯だったこと。さらにその正体は暴走した野良人形であったこと。

 そして今まさに己が手にしているのがその残虐な人形の一部と知って、老人は俄かに青ざめた。



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