第78話 リリィ・ララの初恋②




 それから四ヶ月経って、ミィお姉さんが妊娠した。


 トージス家とオキ家だけでなく、タマソン村の全員が喜んだ。


 すっかり涙もろくなった僕はもちろん、斜にかまえがちなソージ君も、泣いて喜んだ。泣クナヨと言っていた兄さんも、釣られて泣いた。


 何も知らなかったイッサさんは、すっかり筋骨隆々になった二の腕で涙を拭っていた。


 いやイッサさん、すっかり姿が変わってしまった。すごく頑張ったし頑張らせた。顎の肉はもうない。皮の下はわずかな脂肪と水分、すぐに筋肉と骨だ。だっぷだぷだった腕も太腿も二の腕も、固く引き締まっている。


 戦闘面でもすごく強くなった。防御重視であまり動かないが、動く時は速い。さらに長距離の持久走ばかりやっていたおかげで、超絶スタミナまで得た。依然ステータスが下がったままの僕は、倒しきれない。


 超獣化はあれ以来出来ていないが、十分だろう。あと拙者とか言わなくなったし、古のオタク喋りもしなくなった。


 顔から脂肪がなくなり、鼻筋は通って精悍な表情をするようになった。最早、誰だお前は。


 ワイルドになった美男は、鼻水まで垂らしているのでくしゃくしゃに泣いているので台無しだが。優しそうな目の形は変わっていない。


「だびだづま゛え゛に゛、じあ゛わ゛ぜを゛の゛ごじ……、うぉぉおーー!」


 腕は細くなったけれど、筋肉だけで僕の胴に近いくらい太い。兄さん以上に恵まれまくったガタイと腕で、兄さんを一人で胴上げというより投げ飛ばした。


 投げ飛ばされた兄さんは、宙でクルリと回って体勢を立て直し、足首に膝、腕まで使ってふわりと着地する。


「アぶナイナ。イッササン」


 なんて言って、着地しながら余裕をもって笑えるほどに。鍛え続けた兄さんの腕や背中も、一回り大きくなった。


 兄さんは元々バランス型で正統派に強かった。そのそれぞれのステータスが伸び、イッサさんともソージ君とも組手を繰り返した結果、色々な戦い方にも対応出来るようになった。勇者であることも関係あるのかもしれない。僕とは戦えないが、三人の組手で一番勝率が高いのは兄さんだ。


「よがった……。姉さん」 


 隣で涙を隠しながら言うソージ君も。とにかく速い。SPDは僕と並んでいるし、時々思い付きでとんでもない攻撃をする。ただし、幼いからかその思い付きが安定しなくて、防御が全然崩れないイッサさんには通じにくく、冷静な兄さんは直前で捌いたりする。要は相性が悪いのだが、勝つときは驚くほど一瞬で勝つ。


 戦闘経験を積んでいくだけでも強くなりそうだけれど、HPもDEFも食事でマシになったとはいえ低いから、守りだけは注意が必要だ。頭がいい子だから魔物相手に無理な思い付きは実践しないだろうと、とりあえずの安心はしている。


 兄さんはイッサさんもソージ君も、僕も勇者の旅に誘ってくれてはいない。それでも、もう焦ってはいなかった。リリィ嬢のおともの兵士も、ララ家の兵士も見ただけで僕達の方がはるかに格上だということがわかったからだ。


 もう、勝手についていっても文句は言わせない。なんなら、三人で兄さんをタコ殴りにしてだってついていく。


 だから怖い問題は、あと一つだけだ。夜、ソージ君と二人で抜け出してララ家に行くことにした。




「そう……、なんですね」


 僕の《隠密LV7》のあとを、ソージ君が追った。速いし器用なソージ君と、足音も立てずにリリィ嬢の部屋にたどり着いた。ここがあの女のハウスね、とソージ君に言うと、弟は知ってんでしょ? と首を傾げれた。いいもん。


 リリィ嬢に兄さんの結婚の話をすると、受け入れはした。一ケ月おきに会っていて知っている。いい子なのだ。だからせめて、突然兄さんに知らされる前に心の準備くらいはさせてあげたかったというのも、来た理由の一つだ。


 部屋は豪奢だった。十二歳のリリィ嬢が暮らす部屋なのに、映画で記憶があるヨーロッパの貴族そのものの暮らし向きのよう。ララ家の町はそこそこ大きいからさもありなんな印象なのだが、お母さんの料理が美味しいからかトージス家の食卓が楽しいからか、今となってはそんなにうらやましくもない。


「お二人が、わたしのヒジカ様とのお話を時々さえぎっていたのは、そのためだったのですね」


 さすがに気付いていたらしい。そんな力の抜けた声で軽い皮肉を言われると、また心が痛くなった。


 かわりに、たくさん食べて美少年になったソージ君を差し出そうかとも思ったが、さすがにそういう問題じゃない。同い年だし、ピンク髪美少女と金髪美少年っていいと思うんだけど。


「……はい。二人は惹かれあっていたので」


 同じ理由なんだ。かわいかろうと美しかろうと、その時惹かれていなければ。


「ということは、わたしの気持ちはバレていたのですね。お恥ずかしい」


「ヒジカさんはわかっていなかったと思います! ボク達が勝手にやってただけで――」


 焦り気味に言うソージ君を、リリィ嬢はかすかにクスと笑う。


「でしょうね。あの方はー、わたしのような小娘のことなど、気にもかけてらっしゃらなかったです」


 それでもお慕いしてたんですがと、俯く。ソージ君と同じ年なのだろうに、教育のせいか言葉や態度は落ち着いていた。お父様とやらも同じいい人であると期待したいけれど、それは難しいだろう。


「――僕は少し、怖かったのです。兄さんとリリィ様がうまくいったとして、あの執事さんやお父様が、兄さんを――ヒジカ・トージスを殺しはしないかと」


 探りを入れたが、リリィ嬢は笑った。


「そうは、なり得ませんわ。たしかにお父様は亜人の方々を好んではいませんが、国に指定された勇者様を殺そうなんて大それた真似はできません」


「……そう、ですか」


 ソージ君は、息を吐いて胸を撫で下ろした。


「僕が気になっていたのは――、最初に執事が言っていたことです」



『反論なんてことはこそ許されません! あなたと共に戦うのはこの亜人ではなく――』



 あの言葉が、気になっていた。文脈からいって、お父様とやらの方針がこういうことなのだろうが、どういう行動なのかが皆目わからなかった。


「あぁ。あれは……、お父様の与太です」


「与太、といいますと」


「ヒジカ様には国に出発の挨拶だけさせて、実際にはララ家の選りすぐりとわたしで、魔王を倒す旅に出させようと考えたみたいです」


 ……その程度なら、安心だろう。ララ家の兵士なら、十人に囲まれても僕達の誰でも倒せる。


 何より、兄さんを巻き込んだ話じゃない。


「わたしが夕食中、絶対にヒジカ様と旅立つと言ったら、もう二度とその話はされませんでした」


 リリィ嬢が胸をフンスと張る。その誇らしげな態度が微笑ましくて、少し笑う。


 お嬢様のお願いの効力はわからないが、兄さんと一緒に行かせないのは、お嬢様の身の安全と功名心がお父様の目的だろう。なら、最悪そうなってもいい。勝手にやってください、だ。


 安心して、帰ることにする。


「しょせん、叶わない恋に憧れる小娘の想いですから、お気になさらず。結婚式には、ヒジカ様と奥様のドレスを持っていくようにさせます」


 そういうリリィ嬢にお礼を言って、去った。ちゃんとしたドレスは、あの美男美女の夫婦には似合うだろう。




「案外、大丈夫そうでしたね」


 夜の草原を走る帰り道。ほっとして笑うソージ君に、そうだねと応える。


 タマソン村で、純粋な思いは見てきた。


 今ごろ、泣いてるんだろうなと思った。



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