第26話 今を視る

 家に着いた。

 壱加の着ている服がボロボロなことに、もしかしたら壱加のところにも敵が現れたのではないか、と思った巡だが、壱加の場合はただ単に暴れたのだろうとあまり深くは考えなかった。


 鳥巻の用意した夕飯をみんなで食べる。

 ――みんな、と言っても昨日と同じだ。他に、本来ならばいるであろうメンバーはいない。

 全員が仕事だった。

 その内、全員に会ってみたいなと思いながら、巡は鳥巻の得意料理を口に運ぶ。


 特別なことがあるわけでもなく、特別なことを話したわけでもなく、食事はあっという間に終わった。話の内容は『学校はどうだった』とか、『もう慣れたか』とか、そんなもの。どこにでもある、家族のような会話だった。

 自分がもうこの家族に馴染めているのだということは、巡としては嬉しかったりもする。


 だからこそ、聞いておきたいことがあった。

 知りたいことがあった。

 その話は、三人目がいる場所で話したくはない。話すなら二人。自分と一元と――だ。


 真夜中と言える時間だった。

 もうみんな、寝静まっただろう。確証はないが、物音が聞こえないということは、そういうことだろう。巡は慌てずにゆっくりとドアノブを捻り、自室のドアを開いた。

 キィ、という音は仕方ない。

 それをどれだけ響かせないかが重要となる。


 地面を踏む音も、階段を下りる音も、

 できるだけ立てないようにして、一階へ辿り着くことができた。


 食事をした部屋――、居間が明るいことに気づいた。電気の消し忘れ、じゃないだろうな……人の気配がする。夜だからなのか、自分の心境が特殊だからなのかは分からないが、敏感になっているようだった。


 ゆっくりと歩いていき、居間の前へ。

 そして、廊下と居間の境界線を越えた。


 居間には一人で煙草を吸っている、一元がいた。

 ふー、と息を吐けば、白い煙が天井に向かっていく。一元はそれを眺めながら――と、上を向いていたからか、そのまま首を真後ろへ向けた。

 ぐるん、と、逆さまの視界の中で、一元は巡の存在に気づく。


「やっと来たか。待ちくたびれたぜ、巡ちゃん」

「気持ち悪いから、ちゃん付けで呼ばないでくれる? あと、下の名前で呼ばないで」

「……まぁいい」


 一元はそれ以上、からかうことはしなかった。予想はついているのだろう。これから巡がなにを話すのか、その内容を。

 だからこそ、ここで待っていたのだろう。

 みんなが寝静まった頃、巡が重大なことを訊ねてくると予想して。


「座れ、立ってても仕方ない」


 一元に言われ、巡は腰を下ろした。

 一元の前に座る。目と目がしっかりと合う。


「聞きたいことがある。過程を話しても仕方ないから言わない。

 ……聞きたいこと、知りたいことを直球で聞いた方が早いと思うから」


 一元が煙草を灰皿にぐりぐりと押し付けた。

 聞く、話す準備は万端だという意思表示だった。


「今日、襲麻が平気で人を殺そうとしてたわ。しかも、殺すことにおいて、なんの躊躇いもなかった。まるで殺すことが当たり前だとでも言うように。

 ――毎日の日課だとでも言うように。

 これは、あなたたちが仕組んでやったことなの? あんな人格の襲麻を意図的に作り上げたってことなの? それとも、勝手にああなったって言い訳をするつもりでいるの? 

 あんたは、親として、なにをしてきたのよっ!」


 声は静かだった。けど、怒りを見てみれば、燃え上がっているのは誰の目にも明らかだった。

 そして、一元の方は冷静だった。

 こう言われるのが、分かっていたように――ふう、と息を吐く。


「そんなものの答えは、ずっと前から決まっているよ。――襲麻がああなったのは、誰のせいでもない、とは言えない。俺のせいではあるし、あいつ自身のせいでもある。

 あとは、生まれ育った環境のせいってのもあるな。

 でも、結局それは、俺のせいに入るんだろうけどな……、だからお前の問いに答えるとすれば、俺のせいだ。けど、仕組んだわけではないし、もちろん意図的なものでもない」


 襲麻の人格が生まれた環境を作ってしまったのは仕方ないにしても、やはり一元のせいだ。それを責めるつもりは巡にはなかった。けど、どうして放っておいたのか、小さな子供になぜ血が舞う世界を見続けさせたのか、それが許せない理由だった。


「仕事のせいでもあったのは、分かるけど……、普通は子供に見せないでしょ。

 子供が本来、過ごすであろう日常で生活させてあげるのが、親じゃないの? 

 やりようはいくらでもあったはずよ」


「ああ。あったな。いくらでもあった。本人がそちらにいきたいと言うのなら、喜んでいかせたさ。普通がいいって言うなら、離れ離れでもがまんできたさ」


 けど、襲麻は言わなかった――と、一元は静かに言った。

 普通の子供が望むようなこと、過ごしたい生活など、全てを無視して。

 それらを捨ててまで、こちらの世界にいたいと言ったのだ。

 殺しが毎日、必ずと言っていいほど起こる、裏の世界を望んでいた。


「あいつはもしかしたら、最初から異常だったのかもしれない。親を見ればな……納得だ。その可能性は、あり得る。……止めようとしても無駄だったんだよ。俺たちがいくら突き放そうとしても、あいつは俺たちの世界に踏み込んできたんだ。

 まだ小学生にも上がっていない子供がだ。おかしいだろ? 笑うだろ? でも、俺は、俺たちは嬉しかった。だって嫌われると思ってたんだぜ? 

 それなのに、あいつは俺を好きでいてくれていた。そんなあいつを、違う遠い所に行かせたくなかったんだ。ただの俺のわがままだ。いい奴に育ってくれたとは言えない。俺のせいなんだ。

 でも、後悔はしていないと、俺は自信を持って言えるぜ。これは本当だ」


 もしも今の襲麻を否定してしまったら、今までが間違いになってしまう。

 そんな思い出を、ダメなことだと括りたくはない。


「あれが襲麻だ。殺すことを普通と捉えている奴だ。でも、あいつだって、無差別じゃないさ。

 お前や花に銃を向けたことがあったか? 殺意を向けたことがあったか? あいつにだって、自分の中にある正義に従っているはずだ。

 巡、お前みたいに、殺しを許せないと思う心と同じようにさ」


「……壱加には向けてたけど」


「死なないと分かっているからこそじゃないのか? 喧嘩するほど仲が良いって言うじゃないか。あいつだって本気で殺そうなんて思って……、ないとは思うがな。

 その辺は俺も知らないよ」


「じゃあ、私は動いてもいいの?」


 巡の言葉に、一元は驚いたような顔をした。

 巡の信条を知っているのならば、どう動いてどうするかなんて、分かっているはずなのに。

 理解はしていても、信じることはできないのかもしれない。

 一元から巡を見て、積極的な女の子には見えていなかったのだろう。


「襲麻の殺しを、無理やりに変えてもいいの? 

 襲麻が襲麻の正義に従うように、私が私の正義に従うのは、ダメなこと?」


「ダメじゃないさ。そういう心と心のぶつかり合いってのは、あっていいんだ。それをして初めて分かることだってある。あいつに教えてやってくれると嬉しい。

 殺しとは別の考えを、植え付けてやってくれ」


 巡は、なにも言わずに居間を出た。

 一元が巡に全てを託したのは、一元には説得力がないからだろう。

 人殺しが「人を殺してはいけません」と言ったところで、言われた側は呆れるのみだ。なにを言っているんだコイツは――と笑われる。

 けど、巡には人を殺した経験なんてない。あっては困るのだが、もちろんないのだ。


 だったら、説得力はある。

 殺しから生まれた悲劇を味わった者が言う「殺しはダメだ」という言葉は、重いだろう。


 襲麻に届くかは分からない。届かないならば、ぶつかればいい。

 反対意見を持っている者同士、これから先、過ごすのは苦痛かもしれない。だから、そういう決着は早めにつけておくべきだ。

 後先なんて考えない。

 巡はただ真っ直ぐに自分の思いを届けるだけだ。


 そう決めた瞬間、眠気がいきなりやってきた。

 意志の決定は、安心に繋がる。

 安心はすぐに休息に繋がる。


 繋がって繋がって――巡は、明日へ渡っていく。

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