閑話Ⅷ

皇帝は世界の力を得る

 トーカとコトネがグランチャコを旅立つ頃――


「聖杯に沈め」


 皇帝<フルムーン>はその勢力を大きく広めていた。


 手にした聖杯から流れる赤い液体。そこから生まれる魔物は並の人間では太刀打ちできず、鍛錬を積んだ騎士でようやく太刀打ちできるほどだ。ほとんどの街は防壁をつみ、堪えるのが関の山。


 籠城戦に耐えきれず、陥落する街は日に日に増えてくる。皇帝<フルムーン>の魔物はその強さもあるが、補給なしで動き続けるのが強い。痛みも飢えも感じない兵士達。昼夜問わずに戦い続ける兵士が尽きることなく襲い掛かってくる。それだけで、防衛する側は心が折れる。


 皇帝軍が占領した土地は赤い沼となり、生きている者は全てそこに沈む。人も魔物も差別はない。囚われた者は皇帝に支配され、死ぬこともなく血税として皇帝の一部となる。


「皇帝の血になることを喜ぶがいい。支配されることを喜ぶがいい。汝らは言葉通り我が皇国の礎となるのだ」


 赤き土地で皇帝が笑う。沼に飲み込まれた者達のステータスからレベルを奪い、それを力にするのが皇帝のアビリティ。得た力を使って皇帝は新たな魔物を生み出し、赤い沼を生み出して勢力を広げていく。


 人も魔物もすべてを食らい、そして支配する。それが皇帝<フルムーン>。トーカとコトネのレベルを食らった後、破竹の勢いでその勢いを広げていた。


 ……否、破竹というのは間違いだ。攻めきれない場所もある。


「チャルストーンはまだ堕ちぬか」


 居城ともいえるオルストシュタインからすぐ近くの街、チャルストーン。皇帝が即位してからずっと攻めている街。しかし陥落の兆しもない。抵抗は激しく、多くの手勢を返り討ちにしている、周囲の魔物は食らいつくしたが、街そのものは健在だ。


「天騎士ルーク。夜使いトバリ。まさか貴様らが余に刃を向けるとはな」


 怒りの声をあげる皇帝。チャルストーンが抵抗を続けることができる理由の一つに、二人の英雄の存在がある。


 稲妻と聖なる力を持つ剣を振るう天騎士。翼をもって戦場を飛び回り、こちらの軍勢を薙ぎ払う存在。皇帝の軍勢を機動力と破壊力をもってかき回し、チャルストーン防衛に一役買っていた。


 天騎士の機動力を搔い潜ってチャルストーンに迫った血の騎士を兵士するのが夜使いだ。その一刀はまさに死神の一閃。刃を交わすこともなく通り過ぎ、そして無に帰す。硬い鎧も頑強な肉体も意味をなさない。死を恐れぬとはいえ、死から復活する術はない。


 さらに言えば、チャルストーンの背後にいるヤーシャから多大なる援護を受けているらしい。山を越えての物資輸送。人員派遣。国境を超えた支援に反対する声もないという。高い結束力で進軍を許さず、間近な街だというのにいまだに突破できずにいた。


 攻めきれないで言えば、アウタナもそうだ。国も軍隊もない場所だというのに、想像以上の反抗がある。聖地と呼ばれる山に踏み入る者は何人たりとも許さないとばかりにそこに住む者達に阻まれる。相手は斧を持つ未開部族だというのに。


 音楽の都ムジークも軟弱な音楽家アイドルばかりだというのに思うように行かず、小さな島国のアズマアイランドは高品質な服を着たニンジャ軍団に手を焼いている。


 アウタナではニダウィが、ムジークではアミーが、そしてアズマアイランドのニンジャの服を作っているソレイユが。皇帝<フルムーン>の進軍を阻んでいた。


「無駄な抵抗を。聖杯がある限り、余の兵力は無尽蔵だというのに」


 聖杯から流れる赤い液体。そこから生まれる赤き兵士達。それが尽きることはない。


 しかし、いかに無尽蔵とはいえ無敵ではない。兵の強さと一度に生み出せる数は皇帝の強さに比例する。レベル90を超える英雄達を手こずらせる兵士を多数生み出すことはできない。


 しかし並の兵士には荷が重い。尽きることのない攻勢は物理的にも精神的にも疲弊する。抵抗の激しい箇所を除けば、皇帝の進軍は確実に進んでいた。無駄な抵抗、というのはあながち間違いではない。


「余に従うことは、世界の摂理。皇国に支配されることは、生きとし生ける者の幸せなのだ」


 世界の摂理。この世界において、正しい事。


 これもまた、根拠なきことではない。


 皇帝<フルムーン>は、この世界の子供であるアンジェラが生み出した最高の創作物だ。


 皇帝<フルムーン>は、この世界の子供であるリーンとの深い契約でなし得た存在だ。


 そして皇帝<フルムーン>が持つのは、この世界の子供であるテンマの因子を持つ武器。トーカからレベルとアイテムをドレインした時に奪ったものだ。


 この世界の子供である悪魔。その三子の力を受けている。そして――


「そうであろう、天秤神ギルガス。そして武器神リーズハルグ。余こそ神と悪魔の力を受け継ぎ、この地上を支配するのにふさわしい存在であろう」

「然り。汝にはその資格がある」


 独白するように天に向かって語り掛けた皇帝<フルムーン>の言葉に答えるように、天から声が響いた。天秤神ギルガスの声が。


「汝は確かにギルガスとリーズハルグの神格者ディバイン条件を満たしている」

「『人間の殺害数が0である』『力持つ存在を20体倒す』……そして人の極みともいえる領域まで自らを鍛えている」

「ゆえに汝に力を貸そう。神格者ディバインとして、この世界を救うがよい」


 神は静かに告げる。皇帝に世界を救えと。


 皇帝<フルムーン>は力を得た後、赤き液体を広げることで多くの人間と魔物を取り込んだ。そしてそれを自らの血肉とした。ドロドロの液体の中に在る存在は、生きているともいえるし死んでいるともいえる。


 ゆえに皇帝は人を一人も殺していないと言える。故に皇帝は力ある魔物を多く殺しているとも言える。曖昧ではあるが、そう判定することができる状態だ。少なくとも『過去に神格者であった』コトネよりは理屈としては正しい。


 無論、判断を下すのは神だ。皇帝<フルムーン>の行為は、明らかに簒奪だ。人から生活を奪い、世界の人口を大きく減らしている。文化の発展を止め、世界そのものを我が物にする行為だ。


 神はそれを理解できないほど愚かでもない。皇帝<フルムーン>の赤き液体が世界全土を覆えば、そこに待つのは完全な停滞。人類も魔物もすべて聖杯の液体に沈み、死すら訪れない永遠の赤。


『しかし、それでも人類は滅んではいない』

『悪魔に人類が根絶される未来を回避できるのなら』


 最悪の未来を回避するため。どういう形であれ、人類という種族を残すため。


 この選択を選ぶほど、神は切迫していた。文明の発達を諦め、赤き液体の中で保存されて支配されるだけでも生きている。生きているか死んでいるかすらわからない混沌な状態ではあるが、それでも終わりではない。


 世界の子供である悪魔の三子。世界の子供である神の二子。


 それが皇帝<フルムーン>の力となっている。世界が直接生んだ存在が力を貸している。


 誰も皇帝を止めることはできない。無駄な抵抗もいずれは終わる。確実に、世界の支配は進んでいる。それは神の視点から見ても確実だ。


「ああ、世界を救おう。全てを支配しよう。神も悪魔も余に力を貸すがいい。このミルガトースを聖杯の赤き沼で満たし、飲みほそう。そして――」


 皇帝の顔は愉悦に歪む。


「アサギリ・トーカ。貴様に永劫の苦しみを与えてやろう。死ぬことも、狂う事もできず、終わりなき地獄の中で苦しませてやる」


 世界を統べた後に行う戯れに。

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