閑話Ⅵ
世界になった母とその子供
かつて、混沌があった。
それは全てである。ありとあらゆる存在がそこにあり、しかしそれには明確な形はない。
在るのにそれが分からない。見えるのに見えない。聞こえるのに聞こえない。触れるのに触れない。
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混沌は自らをそう名付けた。
それは偶然なのだろう。混沌自身が意志を持って名乗ったわけではない。様々な要因、様々な偶然、多くの時間、多くの施行。サルがタイプライターを叩いて戯曲を作り出すような、そんな偶発的なはずみ。
名付けと同時に、混沌を納める器が生まれた。器は形。混沌を納める形。それは世界という存在になる。最初の形は光なき空。荒れ狂う嵐。海と土が混ざった泥。混沌を形にしたような、そんな世界。
混沌は天と地を作った。
混沌は光と闇を作った。
混沌は静と動を作った。
混沌は剛と柔を作った。
混沌は生と死を作った。
多くの概念を形とし、そして最後に混沌は6人の子供を作った。
「シュトレイン」
生命を司る子を。
「ギルガス」
バランスよく管理できる子を。
「アンジェラ」
無から有を作り出すことができる子を。
「テンマ」
荒々しい天候を象徴する剛毅な子を。
「リーズハルグ」
技巧を重んじる柔軟な子を。
「リーン」
心の在り方を重んじる優しい子を。
「世界を、この世界を良き形にしてください」
その思いを込めて、混沌は自らを細分化し<ステータス>と呼ばれる存在になった。この世界で生まれた者に宿り、それに形を与える存在となった。その者が正しくその
努力したモノには
混沌は……後に3柱の神と3柱の悪魔を生み出した母は、そうしてこの世界の底に沈んだ。呼べば返す程度の『自分』だけを残し、世界を守るための
6人の子供は母の遺志を継ぎ、世界を回していく。
多くの生命が生まれた。今では魔物と呼ばれる存在。それらが世界を跋扈し、時に開墾していく。力強い生命が自然の中を生き、そして多種多様の生命が生まれる。
「でちゅからアンジェラはやりちゅぎなんでちゅ。なんでそこに角を生やすんでちゅか? 出産する時に引っかかるでちゅよ。生まれてから生えるほうがいいでち」
「角カッコいいじゃろ!? 生まれた時に闇のオーラと共に角で威嚇とかぞくぞくするじゃろ!? 分かれシュトレイン!」
「けっ! 毎日鍛錬とか、リーズハルグは努力フェチだな。素振りなんざ才能のない奴のすることだ。天才のテンマ様には必要ないぜ」
「全くな。天才に追いつくには努力するしかない。武器もいい物を作るしかない。小さな努力でも重ねればいつかは天才に届くもんだせ」
「オーガの食性を考えればこのあたりに草食系動物を多く生息させておいた方がいいな。どう思う、リーン?」
「それはあくまで食う側だけの意見ですギルガス。バランスを重んじるのもわかりますが、食われる側の意見も考慮してください。身を隠すための木々を求めます」
時間や空間の概念などない6柱は、休むことなく自らが生み出した母の世界を運営していく。混沌は形を得て世界になり、そしてその世界に――後に神と呼ばれる3柱が『人間』を生み出した。
自らに似せた生命。6柱の代わりに、この種族にこの世界を任せようと神――ギルガスとリーズハルグとシュトレインは言う。世界に新たな変化を与えるために。神はそれを発展と称した。
後に悪魔と呼ばれる3柱――アンジェラ、テンマ、リーンはその意見に反対した。人間の中にある悪意がこの世界――自らの母を穢す未来を予測していたからだ。神が言う『変化』は、母を汚らしく変質させることだと罵った。
「世界はお母様そのものです! それを歪ませるなど納得できません!」
「歪みではない! 確かに大きく形は変わるだろうが、それでも母はその中でも生きている!」
「人間などにこの世界を任せられるか! 今まで通りで何が悪い!?」
「変化のない世界は停滞ちて、ちょのまま腐ってちまうでち。そうならないためにも――」
3柱と3柱はいがみ合い、そして神は混沌から<ステータス>を奪って人間達に授けた。神は自らを削るように多くの力と知恵を人間に授け、天の城に身を休めるために存在を移した。
混沌は抵抗すらせずにそれを見守ったという。その気になれば――今この瞬間でも人類の繁栄を止めることができるのに。それが母の意思だと悪魔は愕然とする。母が人間の存在を受け入れたのだと。
それでも納得できずに悪魔は人間の悪を訴えた。この世界から排除すべきだと。変化など不要だと。勝手なことをする神に鉄槌を。人間に滅びを。
「我が子よ。その怒りを許しましょう。しかし我らが直接人間に手を加えることは許しません。人間もまた、我が内にある存在なのだから」
母は――この世界を醜く歪ませるだろう人間に対しても一定の慈愛を持っていた。同時に自分を歪ませるだろうことを危惧する我が子にも愛を持っていた。
「法令を定めます。我が生み出し6子は、この世界の理をもってのみ人類に手出しすることを許します。
世界にある生物、この世界にある理不尽、この世界にある不運。それ以外の手段で人類に手を出すことは許しません。この世界を愛し、この世界を謳歌し、この世界を憎み、この世界に絶望する。
人類もまたこの混沌より生まれた我が子なら、この世界の摂理により滅びるべきなのです」
母を思う気持ちを考慮し、悪魔が人間を滅ぼそうとすることを止めなかった。そして同時に、この世界に生まれた生命を母は愛していた。
アンジェラはその言い分を理解し、しかし納得できずにいた。ただ引きこもり、人を滅ぼす器具と魔物を作り出していた。
テンマはその言い分を理解も納得もできなかった。しかし母に逆らうこともできず、母の
「ああ、お母様」
リーンは理解し、そして納得していた。
「それでも、人間は醜い」
ただ、人間が許せなかった。
欲望にまみれ、他人から奪い、知識を刃に変える存在。狡猾な魔物はいるが、それでも一定の矜持はある。人間は己の器を理解せず、欲望のままに成長する。神はそれを良きとし、悪魔はそれを唾棄した。
だからリーンは、その欲望を利用した。人間の欲。アンカーと呼ばれる部分を最大限に利用し、欲のままに人間を滅ぼすと決めた。人間は欲により滅びるべきだ。神にもその危険性を理解させてやる。
なんて皮肉。世界を歪ませる忌むべき人間に頼るなんて。でもそれぐらいは我慢できる。この世界のために。お母様のために。千年ぐらいなら問題ない。二千年続くかもしれないけど、耐えよう。三千年続くのなら、いろいろストレス解消しなくては。
「お母様こそ、この世界を支配するに値します。お母様が作った美しい世界を。歪んだ世界を正す支配者を」
魔王<ケイオス>、そして皇帝<フルムーン>。支配者の名前に母の名を組み込んでほしいと嘆願したのはリーンだ。テンマもアンジェラも、何も言わずにそれを了承した。
名前を付けられれば、そこに器が生まれる。
もしかしたらそこに、お母様の意思が宿るかもしれない。
今は世界の最奥でステータスを管理するだけとなったお母様。名前に引きずられ、そこにお母様の意思が宿るかもしれない。名前には意味がある。名付けには意味がある。お母様が生まれたことも、お母様が私を名付けてくれたことも、意味があるのだから。
だから、許せなかった。
『何度でも何度でも苦しむがいい。拒否などない。愚民ごときが皇帝に逆らえばどうなるか。それを身をもって味わうがいい。はははははははは!』
母の名を冠した存在が、忌むべき欲望をむき出しにする姿が。
『皇帝<フルムーン>? 何よそれ。<フルムーンケイオス>から、名前持ってきたの、見え見え、じゃない。そんなありきたりな、名前つける時点で、ネーミングセンス皆無なのよ。
それでやることが、子供に蹴られた復讐とか、そんなセコイ心のくせに、世界を支配するとか笑っちゃ――』
分かっている。アサギリ・トーカは皇帝の行為を罵ったのであって、母を罵ったのではないことを。名前ではなく、皇帝なのにやっていることが笑えると言いたかったことなど、わかっている。
「貴方に……貴方に言われるまでも……!」
言われるまでもない。人間は愚かで、そんな存在にお母様の名前が付いた魔物を紐づけている時点で、名前と共に罵られても仕方ないことは。こんなのはただの感傷でいつも通り人間は愚かだと受け流すことだと。
「この名前を、お母様の名前を馬鹿にすることは……それだけは!」
ああ、それでも。それでも我慢できなかった。
気が付けばアサギリ・トーカの頬を叩いていた。
そのことで自分が罰を受けることもわかっていた。それでもいいとさえ思った。それを見過ごして笑顔の仮面をかぶることだけは、耐えられなかった。
自分を作ってくれた母。名前を付けてくれた母。その後、世界の為に自らを細分化した母。
撫でられたことなどない。褒められたことなどない。人間における愛を受けたことなどない。生まれ、そして世界を任されただけの関係。親愛を結ぶ時間は悪魔や離反した神の方が間違いなく多いけど。
それでも、リーンにとっては母なのだ。
「ごめんなさい。私は、お母様に、この世界を――!」
お母様に、この世界を、楽しんでほしい。触れてほしい。
世界の奥底ですべての生きとし生ける者の為にシステムとなっている貴方に。貴方が作ったこの世界を体験してほしい。何時か人間を滅ぼし。私達が作ったこの世界を味わってほしい。支配して、感じてほしい。
かつて、混沌があった。
混沌は名付けられて、世界という形になった。
ならば母の名前が付いたモノに、母の意思が宿るかもしれない。
数千、数万、数億の年月の果てに、偶発的に宿るかもしれない。動物が戯曲を生み出すかもしれない確率で。それよりも薄い確率で。1よりも低く、しかし0よりも多い確率があるかもしれない。かもしれないのだ。
皇帝<フルムーン>はそれを愚かだと唾棄した。然もありなん。人間の視点からすれば、理解できない感情だろう。ありえないと言える確率のために自らを殺すのだから。
それでも、リーンにとっては譲れない想い――
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