32:聖女は皇帝に出会う
朱色の空。血の足場。
目を開けば赤の世界。それがクライン皇子……皇帝<フルムーン>の世界。全てを支配し、自分のものにしたいという圧力を強く感じます。
でも――
「大丈夫よ。アタシがあんな奴蹴っ飛ばしてやるから」
私の手を引いて先導するトーカさん。握った手から感じる温もりが、私に勇気を与えてくれます。前に進む力を与えてくれます。
「…………はい」
最初は引っ張られるままでしたけど、少しずつ自分の足で歩けるようになりました。
「アタシが魔王<ケイオス>で倒したの知ってるでしょ? 同じようにサクッと倒してやるわ」
「……はい」
「だから泣くな! アタシがいるんだからどうにかなるわよ!」
「はい」
頷き、涙を拭きます。
怖さから生まれた怯えの涙ではなく、
「トーカさん」
こんな私の手を引いて歩いてくれる、大事な人の事を想って流れる涙を。
「無理しないでくださいね」
「無理じゃないわよ。よゆーなんだから」
「相手の強さとか分からないんですよね? トーカさん、データが分からない相手には戦わないって言ってたじゃないですか」
「はん。皇帝ってぐらいだから部下を沢山出して襲わせてくるんでしょ。あとは聖杯? そっから流れる血の攻撃とかそんなのよ」
靴が浸るぐらいまで登ってきた血液の中を進みます。水よりも粘性が高く、多少進みにくいです。
「アンタの知識的に、聖杯からなんかヒント出ない?」
「範疇が広すぎます。キリスト教だけで絞っても儀式で使われるカリスから、最後の晩餐で使った聖遺物まであります。最後の晩餐で使った杯は、分かっているだけでも4つほどありますし」
「何で世界に一つしかないはずの者が4つもあるのよ」
「どれが本物かはわかっていませんから。諸説紛々です。
物語の聖杯伝説まで幅を広げれば途方もありませんよ。ヨーロッパにはアーサー王伝説を始めとして、聖杯を求める物語は多数あります」
「ゲームとかでもいろいろあるし、武器の一つってことで頭に留めといたほうがよさそうね」
離宮の中に入り、階段を駆け上がります。赤水が流れてくる方に皇帝がいる。居場所は明白です。そして――大きな部屋に出ました。クライン皇子の部屋なのでしょうか、かなり調度品のある部屋です。
「この日を皇位元年とし、世界の始まるを告げる鐘を鳴らそう」
そしてその中央には映像で見た皇帝が演説をしています。正面にある目玉のような魔物に体を向けて朗々と演説中です。あれが映像を投影する魔法を使っているのでしょう。それをリアルタイムで巨大な映像としてこの国の人に見せているようです。
――あ。
クライン皇子――もはや皇帝<フルムーン>となったその姿を見た瞬間に、私の体はこわばります。あの声、あの目、あの動き。全てが恐怖となって私の体と心を縛っていく。呼吸の仕方を忘れる。
握っていたトーカさんの手が離れます。待って、離さないで、私を見捨てないで――
「さあ祝福せよ。世界全ての生きとし生けるもの。この日を讃え、そしてひれ伏すがよ――」
「いきなりきーっく!」
どっかーん。
トーカさんの飛び蹴りが決まりました。一気に走って、跳躍してのキック。着ていた忍者服が捲れて、太ももとか思いっきり露出しています。いろいろはしたない……。
完全に不意打ちだったのでしょう。そんなコミカルともいえる音をあげて、皇帝<フルムーン>は吹き飛びました。その場に着地するトーカさんは、私の方にくるりと振り返ります。
「こんな奴怖くないわ! アタシのケリも避けられないよわよわアホ皇子なんだから!
だから怯えない! アンタがシャキッとしないと、アタシも張り合いがないの!」
多分、呆けていたんだと思います。だって、だって――
「あの、トーカさん。仮にも一国の皇帝を足蹴にして、言うことがそれですか?」
「いーのよ。ラスボスだろうがエキストラボスだろうが神様だろうが、不意打ちできるときには不意打ちする。それがアタシよ。敵に遠慮してたらキリがないわ」
「いえ、止めないといけない相手なのは間違いありませんけど、その……場の空気というか……せめて名乗りをあげません? いろいろ放送されているみたいですし」
自分でも場違いな事を言っている自覚はあります。今やるべきことは皇帝<フルムーン>を止めることで、むしろここで追撃するのが正しいことも。ですけど――
「そうですよ。放送されてるんです! 思いっきり太ももとか放送されたのかもしれないんですよ! もしかしたら下着とか見られたんじゃないですか!?」
「あ。まあそういう事もあるんじゃない?」
「あ、じゃありません! 恥じらいとか持ってくださいよ、トーカさん! ああ、もう!」
分かっています。そんなことどうでもいいなんて。いえ、どうでもよくはないんですけど、今優先すべきは皇帝<フルムーン>だと分かっているのに。この世界のために重要なのはそっちなのに。
「もう! もう! もう!」
「痛い痛い痛い!」
トーカさんをぽかぽかと殴りながら、叫びます。ああ、情けない。きちんとしないといけないと分かっていても、トーカさんの方を優先してしまいます。世界なんかよりも、トーカさんの方が大事なんだって自覚してしまいます。
体はいつも通り。トーカさんと一緒なら、大丈夫。
『コトネ殿、現在の貴方達のやり取りが巨大映像で写されておりますのでその辺りでお控えいただけると……周りの皆様の緊張がほぐれたので、結果的にはプラスですが』
『コトネもトーカも変わらないナァ。みんな、笑ってるゾ。もっとヤレ!』
フレンドチャットから流れてくるヘルトリング様とニダウィちゃんの声。……その声に冷静になりました。……見られてる、んですね。今の様子。恥ずかしくはないんですが、その、皆さんにいつものトーカさんとのやり取りを見られたと思うと、その……こほん。
「皇帝<フルムーン>。いいえ、クライン皇子。戯言はそこまでです。正式な戴冠式を行わない即位など誰も望みません」
「今更取り繕っても遅いと思うけど」
「誰のせいで空気が滅茶苦茶になったと思ってるんですか」
半分ぐらいは私のせいでもあるんですが。
「……アサギリ・トーカ……! 貴様、皇帝の顔を足蹴にするか」
起き上がった皇帝<フルムーン>は蹴られた部分を押さえながら怒りの声をあげます。痛いというよりは蹴られた羞恥で怒っているようです。
「アンタが皇帝になろうが乞食になろうが勝手だけど、アタシがいろいろ気に入らないから蹴っ飛ばしただけよ」
「……なんでそんなメチャクチャな理由なんですか……?」
「うっさい! アンタが……その……あんなんだから……とにかくコイツが気に入らないからよ!」
私の顔を見てごにょごにょいうトーカさん。私が戦う理由に関係しているんでしょうか?
「そうだ……アサギリ・トーカ。貴様には恨みがある。かつて余を蹴った恨み。貴様のせいで余はこんなところに閉じ込められたのだ……!
アサギリ・トーカ、アサギリ・トーカ、アサギリ・トーカァ! 貴様がいなければ、余の統治は続いていた! 貴様を嬲り殺すために悪魔と取引さえした! なのに捕まえることはできず、そして余の顔をまた蹴るとは!」
皇帝<フルムーン>には先ほどまでの『支配者』のような顔はありません。高慢で人を見下す顔ではなく、トーカさんを憎む歪んだ表情になっています。
「はっ、ご愁傷さま。そのまま大人しくざまぁされてればよかったのよ。無理して復活してもまたアタシに蹴られてお・し・ま・い。皇帝即位からの最速退位RTAとかで記録に残るだけなんだから」
あーるてぃえー、というのが相変わらず何の略語なのかはわかりませんがここぞとばかりにトーカさんは煽ります。
「あぶなくなったら逃げる。できるだけデータを集める。その方向で行くわよ」
私にだけに聞こえるような声でトーカさんが言います。さっきも言った通り相手の強さはまるで分りません。トーカさんもそれは理解しているでしょう。相手の強さをある程度推し量ったら離脱。それが最善です。頷き、聖杭シュペインを構えます。
「皇帝に逆らう愚かさを貴様に刻んでくれる。アサギリ・トーカァァァァ!」
怒りと執着。皇帝<フルムーン>の声が場を震わしました――
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