31:メスガキは皇帝の即位を知る

「私がここに出てきた意味です。貴方達に警告をするために来ました。

 すでにクライン皇子は新たな支配者となりました。これ以上進むのなら、その事を覚悟したうえでお進みください」


 巨乳悪魔は言って笑う。


 これってあれよね。『ここから先はボス戦だから、セーブなどの準備を整えてください』っててきてそんなことヤツ。そう考えると確かに警告よね。わざわざ出言ってくれるなんてじつは優しいんじゃない?


「って、そんな警告しに来るタイプじゃないでしょ、アンタ。むしろアタシらが不用意に近づいて死んでくれたほうが嬉しいくせに。

 わざわざそんなことを言いに来てくれるってことは、やっぱりアタシ達が近づくのが都合が悪いってことよね」

「さてどうでしょう? 新たな王が石に躓く可能性は減らしたい程度のお節介かもしれませんよ」

「どのみちアンタは人間に直接攻撃できないんだから、アタシ達が新しい王様を蹴っ飛ばして踏んずけて罵られるのを草葉の陰でハンカチ咥えて見てればいいのよ」


 言って巨乳悪魔の横を通り抜けようとして、その時気付いた――


 空が赤く染まり、足元に少し粘性のある液体が広がっていることを。


 血。


 脳裏に広がったのはその単語。体に流れる血液。その色、その粘性。それがこの町に広がっていく。


「ああ、ああああああああ」


 聖女ちゃんの声がアタシの耳に届く。何かを言いたいのに言葉にならない。何かを伝えたいのに無理やり抑えられている。何かを告げたいのに告げるべき言葉が定まらない。顔を青ざめ、自分を抱くようにして膝をついている。


 恐怖。明らかにこの子は恐怖におびえていた。


「ちょっと、大丈夫!? またアンカーとかそういうのなの!?」

「ちが、違います……これ、この、感覚……知ってるんです……。

 知ってるんです! この感覚! ずっとずっとこの感覚に支配されてましたから! この感覚に怯えていましたから! 人を道具としてしか考えない、数字の一つとしてしか考えない、そんな支配する感覚! それにずっと支配されていたから!」


 震えるようにしていた聖女ちゃんは、堰を切ったかのように喋りだす。アタシに縋るように抱き着いてきて、何かに溺れないように必死にしがみつく。明らかな異常だ。だけど、アンカーで支配されてたみたいな異常じゃない。


 変態の変な妄想の『役』を着せられているんじゃない。この子の怯えは、この子が抱いた心の疵からくるものだ。そして、アタシはそれを知っている。この子が怯えていた相手を知っている。


「満ちよ、満ちよ、満ちよ。我が血よ、満ちよ」


 声がびりびり響く。高慢そうな男の声。抱きしめてる聖女ちゃんの体が大きく震えた。聖女ちゃんは嗚咽を漏らすように呼吸を乱し、しがみつく手に力を込める。


 赤が広がる。血が満ちる。オルスト国の首都、オルストシュタイン全体にその声が届く。


「我は皇帝。支配する存在。我が威光により天は朱に染まり、足元は血で満たされる。我が声は支配の始まりを告げる鐘。我が姿は統治する者の象徴」


 声と同時に、離宮から巨大な映像が浮かび上がる。


 赤いマントを羽織り、手には金色の杯。角らしいものが冠のように頭部に広がり、額には血のような赤い宝石が嵌められている。


 盃から流れる赤い液体。足元に広がる液体と同じ色、同じ粘性を持った液体。誰もがそのことに気づく。それが人の理解を超えた危険な存在だと気づきながら、誰もがそれから逃れようと思わない。


 その顔、その声。その態度。


「ク、クライン皇子…………!」


 呼吸を乱しながら、その名を告げる聖女ちゃん。アホ皇子。アタシがかつて蹴っ飛ばした相手。


「我が名はクライン=ベルギーナ=オルスト。このオルスト皇国の皇帝。今ここに、即位した新たなる皇帝だ。

 異論など許さぬ。逆らう者には死を望むほどの極刑を与えよう」


 映像が口を開くと同時に、びりびりと空気が震える。このオルストシュタインすべての人間に、等しく聞こえるように。静かだけど、圧倒的な力を込めた声。逆らうものは、言葉通りに殺してくれと願うほどの刑を与えると確信できる声。


 稲光が響くわけでもない。大地が震えるわけでもない。獰猛な獣の牙があるわけでもなく、正体不明の何かが蠢いているわけでもない。ただ、人がいる。それだけだ。なのに、逆らえない。


 皇帝。支配する階級。圧倒的な威厳と、そして反論を許さない空気。


「即位と同時に、余はこの<ミルガトース>にある全てを支配すると宣告しよう。

 余の聖杯から溢れる高貴な血で、この世界そのものを満たすと宣言しよう」


 言って巨大映像は手にした金の杯を掲げる。その瞬間にさらに盃から赤い液体があふれ出した。数秒後に更なる粘液が流れてきて、水かさが膝まで増える。ドロドロとした、何か。言葉通りなら、あいつの血。


「<ミルガトース>にある全てを支配すると宣言しよう。すべての人の国。すべての魔物。全ての生きとし生けるもの。その全てを支配すると宣言しよう。

 余の血に従え。余に隷属することが、生きとし生ける者の幸なのだ」


 声は高らかに、この世界――<ミルガトース>全てを支配すると告げる。この世界全ての人間。この世界全ての魔物。この世界全ての動植物。それを支配する。それに従うことが、この世界の幸せだと。


 赤い空。それが皇帝の世界。


 広がる赤水。それが皇帝の支配地。


「我が名は、クライン=ベルギーナ=オルスト。そして同時にこう名乗ろう。

 皇帝<世界を満たすモノフルムーン>。高貴なる血で世界を満たし、全ての存在を我が血でひれ伏そう。

 これは決定事項である。もはや覆らぬ事実と知れ」


 そいつ――皇帝<フルムーン>は高らかに宣言した。この世界、全ての支配を。


「というわけです。諦めて帰ったらどうです?」


 リーンが肩をすくめて言ってくる。赤い液体に触れたくないのか、羽根もないのに宙に浮いていた。うわ、ずっこい。


「ああ、私、私は……」


 聖女ちゃんは震えている。あのアホ皇子にやられたことがトラウマになっているのもあるけど、それにプラスしてこの空気に飲まれている。


 退くべきだ。アタシの冷静な部分がそう告げている。


 先ずデータが分からない。魔王<ケイオス>はデータが分かってるから何とかなった。厨二悪魔がつまんない改造をしてたけど、大きく変わらなかったのでどうにかなった。


 だけど皇帝<フルムーン>は未知の存在だ。似た魔物の類推すらできない。血のフィールドとか聖杯とか、<フルムーンケイオス>では見たことも聞いたこともない。勝てない相手とは勝負しない。これ鉄則。


 ついでに言うと、アレに挑む理由もない。アタシはこの世界がどうなろうが知ったことじゃない。一応<フルムーンケイオス>は好きだし原作汚すのはやめてほしいとは思うけど、この世界はゲームとは違う。ここはゲームを模して作られた異世界だ。


 この世界を支配する? 好きにやってちょうだい。アタシは関係ないところで遊んでるから。エキストラダンジョンとかその辺でレベルアップしてるし、未実装のナイトメア世界とか見てみたい。<ミルガトース>の支配とかどうぞ勝手にすればいい。


 うん。それが正しい。だけど――


「ごめんなさい。ごめんなさい……いう事を聞きます。逆らいません。だから――うあああああああああ!」


 かつてアイツに支配されて、心に傷を受けた聖女ちゃん。アタシに縋るように抱き着いて、悪くもないのに恐怖に怯えて泣きじゃくる子。逆らうという気持ちすら抱けないぐらいに心を傷つけられた子。


 いじめられっ子がいじめっ子に逆らえないように。毒親に虐待された子が逆らえないように。


 そこにいる、というだけでかつての痛みを思い出してしまう。痛みは何度でも蘇る。そしてまた心が折れ、歪んでいく。痛みを知らない他人から見たらなんて臆病だと嘲笑うぐらいに泣き、怯え、蹲る。それが今のこの子だ。


 退くべきだ。アタシの冷静な部分がそう告げている。


 だけどアタシは泣いている聖女ちゃんをぎゅっと抱きしめて、その後で引きはがす。ばしんと聖女ちゃんの肩を叩いて正気に戻し、笑って言ってやった。


「泣いてんじゃないわよ。アタシがアイツを蹴っ飛ばしてあげるから」

「……え?」

「皇子だろうが皇帝だろうが、アタシには関係ないわよ。何せアタシは空気とか歴史とか知ったことのないワガママなんだからね!」


 アタシはやる気満々でそう言った。


 この子がこんな顔してるのが無性に赦せなかった。震えて怯えるこの子にいろいろ我慢ができなかった。


 その原因を蹴っ飛ばしてやる。


 自分でも無謀で馬鹿らしいと思うけど、それでもそういうのもアリかな、っていう気持ちでいっぱいだった。


 

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