16.5 神格化、或いは罪の意味(コトネ side)

『時計大橋跡』で魔王<ケイオス>の襲撃を受け、なすすべもなく伏すコトネ。


(トーカさん、トーカさん、トーカさん……!)


 魔王に捕まれ、宙ぶらりんになるトーカ。魔王の手がトーカの首にかかり、力が籠められる。だめ、やめて、しんじゃう。トーカさんが、死んじゃう……! 助けたいのに、体が動かない。誰か、トーカさんを助けて! 何でもしますから!


『一つだけ、この状況を打開する手段があるでち』


 脳内に響いたのは、生命の母シュトレインの声。今は二分割されて赤ちゃんの姿になっている神様だ。


『神格化……あたちと融合して一つになることでち。神の力を得れば、少なくともあの魔王を押さえることはできるでち』

『! じゃあ……!?』


 応じようとするコトネ。しかしそれを留めるシュトレイン。神格化の事を説明する。


『でもそれをすれば、もう二度と元には戻れまちぇん。十六夜琴音と言う人格はあたちのサブ思考として封じられ、貴方の体は神が悪魔に対抗するために使われることになりまちゅ』


 脳内に響くシュトレインの声。その意味をコトネは理解し、かみ砕く。


 神格化。神との融合。


 トーカから話は聞いている。この世界の『母』ともいえる<満ち足りた混沌フルムーンケイオス>から袂を分かち、この世界に人類を生み出した神。神は人類を滅ぼそうとする悪魔に対抗するための手段として、神格化という手段を作った。


 鍛えぬいた『ステータス』。レベルを上げ、一定の条件を満たした人間の肉体を奪い、神の力を顕現させる。それが神格化。その人間の努力と生き様を神にささげ、肉体を失った神が世界に干渉できる術を生み出す唯一の手段。


 全人類が生まれた時から持っている『ステータス』を操る力を持つ悪魔。圧倒的な力を持つ三人の悪魔。リーン、テンマ、そしてアンジェラ。彼らにより人類は大きく数を減らし、魔物は跋扈する。


 人類が生きているのは、彼らの母が悪魔が全力を出さないように制約したからに過ぎない。悪魔が制約なしで人類を滅ぼそうとするなら、三日も経たずに人と言う種族と文化はこの世界から消えているだろう。


 行動が制限されているとはいえ、悪魔の振るう力は甚大だ。悪魔との戦いはけして容易ではないだろう。これまでコトネが戦ってきた魔物の比ではない。魔物は悪魔の手先。それを統括する悪魔に対抗するのだ。


『人間の時間に換算すれば、戦いが終わるのは約3535年後。それもあと二人の神が計画通りに神格化できればの話でち。

 ……もう、あの子と旅はできまちぇん。永遠にお別れでちゅ。それでもいいでちか?』


 神格化すれば西暦よりも長い時間戦わなくてはいけない。それも予測が上手くいったと楽観視した計画だ。実際はもっと長くなるだろう。想像できない苦しみや苦悩があるのだろう。


 もうトーカと共には戦えない。当たり前だ。人間は神や悪魔には勝てない。寿命も異なる。神格化すれば、トーカとお別れだ。もう、一緒に歩けない。その意味を、コトネは十分に理解したうえで、


『はい』


 迷うことなく頷いた。


『私はトーカさんを助けたいです』


 共に歩んだトーカを助ける。たったそれだけの……しかし彼女にとってはけして譲れない理由の為に、彼女は自分のこれまで歩んだ人生とこの先の人生を神にささげると宣言した。


『ステータスのレベルや癒してきた数よりも、その真っ直ぐな慈愛こそがわたちを受け入れるに十分な器でち』


 シュトレインはコトネの心情を理解し、そう告げた。神を受け入れることを喜ぶでもなく、ただコトネの精神の気高さを讃える。


(私の中に、何かが入ってくる……)


 もうろうとする意識の中、コトネはそんな感覚に包まれる。自分の体内に水のような何かが満ちていく感覚。


(ちがう、入ってくるんじゃない。溶かしてる。私を包み込んで、取り込んで。そのまま溶かしてくる)


 それは海の中にいるような感覚。大きな何かに包まれ、それが全身を溶かしていく感覚。細胞の一つ一つに染み入り、何かに変えていく。変えられていく。


(消える。私の感覚が消える。私だった、ものが、きえて、いく)


 感覚の喪失。まず肌の感覚が消えた。海の中にいるという感覚が消え、現実味がなくなる。まるで夢の中。上も下もない。自分と言う形もない。


 五感の喪失。音が消え、光が消える。世界そのものから隔絶されたような感覚。声を出そうにも口がない。どうなっているのか確認しようにも動かす体がない。あったとしてもそれで触れても何もわからない。


 そして、自我の喪失。私、私は、十六夜琴音。この世界に召喚されて、聖女としてトーカさんと戦って。そして――それ以外は何もわからない。そしてそれさえも今消えようとしている。トーカさん。トーカさ。トーカ……。


『……やめておきまちゅ。を消ちゅのは、聖母の矜持に反しまちゅ』


 そんな声が響く。よかった。安堵する私。私と言う意思もあいまいで、神に与えられた命令をこなすだけの機能だけど、それでもこれだけは消されたくなかった。これだけは。ありがとうございます。


 トーカさん。もう、この単語の意味なんて理解はできないけど、それでも消されたくなかった。


 脳内で交わされた会話と融合は、実時間にすれば一瞬。言葉通り、一つ瞬きをする間にシュトレインとコトネの神格化は終わっていた。


 イザヨイ・コトネ。私は神の中にある、思考を司る機能。悪魔に対抗するための、人類の盾。主人格であるシュトレインの行動をサポートするための演算部分。


「オー・シュトレイン。聖母の歌声は優しく世界に響き渡る。

 慈悲は深く、抱擁は柔らかく、迷える子を導く手は優しく差し出される――【いと高きところに栄光あれ】」


 コトネの口から紡がれる言葉。コトネ自身は意識していない。自分の体内に混ざってくるシュトレインの意識で言葉が紡がれていく。十六夜琴音の肉体を操るのは、生命の母シュトレイン。コトネの意識は、そのサポート枠で演算を行っている。


 人類保護計画聖母パート、開始。最優先事項は二柱『ギルガス』『リーズハグル』の神格化サポート。そのために必要な人間を導くこと――緊急要件発生。悪魔アンジェラの襲来。アンジェラにより強化された魔王<ケイオス>を打破せよ。


 その場にいる人間三名を保護しつつ、魔王<ケイオス>及び悪魔アンジェラの戦闘を開始。回復と脱出用の魔力展開。戦闘における演算開始。シュトレインの出力不足により、戦闘時間982年を想定。欠けている力を補充すれば、戦闘時間は4分の1になると――


『別れの言葉を告げるでちよ』

『……え?』


 戻ってくる十六夜琴音の記憶。視界の先には、トーカさんたち。


 ああ、これが最後なんだ。私が私として喋れる最後の機会。それを与えてくれたんですね。ありがとうございます、神様。


「大丈夫です。トーカさん」


 私は大丈夫です。だから心配なんかしないでください。


「皆さんは、私が守りますから」


 今まで通り、貴方達を守ります。だから、ここでお別れです。


「それが私にできる罪滅ぼしですから」


 そのために、私は人を殺して強くなったんです。すべてはこの時のために。


 今ここで、トーカさんを助けることができる。


 あの涙も、あの気持ち悪さも、あの嗚咽も、あの胸の痛みも、全部この為だった。私の罪は消えないけど、貴方を守れる要因になったのなら、意味があった。


『……もう、いいでちか?』

『はい。ありがとうございます』


 短い会話を交わして、私はシュトレインにコントロールを返す。もう、十分です。


『こっから出しなさいよ! アンタも一緒に来るのよ!』


 よかった。神様のサブ思考で。私に主導権があったら、振り向いていました。振り向いて、泣いてました。泣いてトーカさんを抱きしめていました。


 さようなら、トーカさん。これからもお元気で。あなたのそのわがままで、優しいところが大好きでした。


 ……再演算、開始。戦場を上空に移動。地上への影響を最小限に――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る