第10話

 第10話


 犬や猫を飼った事がある人でこういう風に言う人がいる。


 『もう二度と飼わない。別れが辛いから』


 僕は犬も猫も飼った事がないから彼らの悲しみは理解してあげられないのだけれど、愛情を注げば注ぐほど、また、愛情を受ければ受けるほど別れは辛い物なんだろう。


 両親を同時に亡くした時、こんなに悲しい事が世の中にあるのかと思った。両親は僕に愛情を注ぎ僕も両親を愛した。だけれど、別れがこんなにも悲しい事ならば愛してくれなくても良かったのに、こんなにも愛さなかったのにと本気で思ったのだ。こんな考えは他人に理解してもらおうとは思わないし理解もしてくれないだろうけれど、僕はとことん悲しみと言う物に対して弱い様だ。悲しみという恐怖から逃れる為なら愛情を受ける事や愛情を注ぐ事すら遠ざけてしまうのかも知れない。



 翌朝、いつもの様にホームに下り改札を抜けて裏通りへ入る。少し進むと前方に女子高生が2人いて僕を見つけると手を振ってきた。


「中西君、おはよー」

「チュウシャ君、おはよー」

「き、君達は、想羽そう飛鳥あすか・ラングレー?」


「何バカな事言ってんの。そんなことより、やっぱり中西君だったんじゃない、飛鳥を助けたのは」と野口想羽さんが少し不貞腐れた表情で言う。


「想羽、聞いてよー、チュウシャ君てば学校では話しかけるなって言うんだよー」とパンダちゃんが野口さんの手を掴みフルフル振りながら言う。


「どういう事?」と野口さんが僕をじっと見つめながら問う。僕は視線を漂わせ、


「いや、それは昨日も望月さんに説明したけど、望月さんの様な人気者と仲良くしてたら後が怖いんだよ。他の男子のやっかみとか嫉妬とかね。僕は今の境遇が凄く居心地が良くてソレを壊したくないんだ」


 もうこの際本当の事を白状しよう。


「だから変装して私を助けたんだって」と望月パンダちゃん。


「ふーん、じゃあ私とならいいんだよね?」と野口さんが手を後ろに組み体を左右に捻じりながら言う。いや、良くない。


「えー、ちょっと想羽だけずるいよー」と望月パンダちゃん。

「だって飛鳥はしょうがないじゃん。人気者って言うのも事実だしさ」


「いや、野口さんだって可愛いじゃん。きっと君の事を想っている人だっていると思うからさ」


 これは本音だった。野口さんだって可愛いと思う。


「キャー、可愛いだって、ねえ、聞いた聞いた? 飛鳥」

「なんか不満ー」と望月パンダちゃんが頬っぺたを膨らます。


「そりよりチュウシャ君ってのは何なのよ?」と野口さんがパンダちゃんに訊く。

「うふふ……、私にだけ本当の名前教えてくれたの」とパンダちゃん。

「あんた絶対騙されてるよそれ」


 これ以上話してるとマズいな。


「とにかくもう僕の事は放っておいてくれよ」と言って僕は昨日と同じ様に脱兎の如く彼女達から逃走する。


 「あ! 逃げた!」と背後から聞こえた。


 校門までたどり着いた時、丁度お嬢のリムジンが止まり運転手がドアを開けるとお嬢が降りてきた。お嬢は走って来る僕を確認すると何か言いたげにしているので、僕はその横を疾風はやての如く通過する。お嬢の髪が靡きスカートが少し揺れた。「ちょっ……」と聞こえたけれど無視して猛然と教室へ向かった。


 昨日に続き走っての登校に、

「トレーニングすか?」と間の抜けた声で花さんが訊いてきた。

「はぁはぁ……ま、そんなとこ、はぁはぁ……」


「そんな事より明日、私達日直っすよ」


 ついに来たか。だけれど花さんと日直をする事には既に嫌悪感は全く無く、むしろ楽しみでもあった。最初は普通に会話出来るか心配していたのだけれど、僕達は今のところ上手くやれていると思う。


「日直なんて『起立礼』の号令とそこいらの掃除くらいでしょ? 余裕余裕」


「号令任せたっす」と花さんが言う。僕も本当は嫌だけれど、彼女が恥ずかしそうに『き、きりーつ』とか言っている姿を想像すると胸が痛んだ。そんな凌辱を彼女に味わわせる訳にはいかない。


「うん、そのつもり」と僕が言うと、彼女の目が少し見開いた気がした。


 昼休みになったので昨日と同じように売店へ向かった。今朝も一悶着ありコンビニに寄れなかったから。本当は人気の総菜パンが食べたいのだけれど、混雑の嫌いな僕は早々に諦めてのんびりと売店へ向かう。売店の混雑は既に収まりつつあるようで会計も滞りなく進んでいる様だ。僕は適当な菓子パンを手に取ると会計を済まし教室に戻ろうかと思ったのだけれど、風の心地よさを感じ外で食べる事にした。


 中庭には妹がいる気がしたので僕は体育館の方へ向かう。体育館は北に出入り口がある為、日なたを求めて体育館の裏へ足を運んだ。基礎のコンクリートに腰を下ろし買って来たパンを無理やり口にねじ込むとそのままゴロンと横になる。風が柔らかに僕を撫でてすぐに睡魔が僕を襲ってきた。このまま寝ちゃおうか。起きれなくてもまあいいか。


 ――――――――


「確認していただけますか?」

 布を剥がされた両親はモノになっていた。姉は泣き崩れ僕はただ茫然とその横たわるモノを見ていた。服は確かに両親の物だけれど顔なんて判んない。これでどうやって確認しろと言うんだろうか。


 ――――――――

  

「――こんな所に呼び出して何のつもりかしら?」


 不意に聞こえてきた声に僕は目を覚ます。誰かがいるみたいだ。こんな体育館裏で何をやってんの? 僕の睡眠を妨げる程重要な話なのかい?


「分かってるだろ? 君の事が好きなんだ」


 はいはいはいはい、告白ね。勇気あるなぁ。告白なんて断られたら目も当てらんないし、仮に付き合えたとしてもいつかやって来る別れが辛いのによくやるよ。


「何度も言っているけれど付き合えないわ」


 この声はお嬢? まあお嬢なら告白されるのなんて日常茶飯事なんだろうね。


「何故だい? 理由を教えてくれよ」

「あなたに言う必要はないでしょう」

「恋人でもいるのかい?」


 頑張るねえ。頑張れば頑張ったほど虚無感がヤバイのに。


「そうねえ、恋人ではないけれど、気になっている人ならいるわ」

「え! それは誰なんだい?」

「それもあなたに言う必要はないでしょう?」


 へえ、お嬢にもそんな人がいるんだ。ちょっと意外だなあ。どこぞのボンボンかはたまた芸能人とか? いずれにせよ住む世界の違う人達なんだろう。


「ソイツは僕よりもカッコイイのかい?」

「さあ? でも少なくともあなたの様に外見で人を好きになるような人ではないわ」

「っ! 僕だってそんなんじゃ――」

「じゃあ私の何を知っているの? ろくすっぽ話した事もないのに私の何が解るのかしら?」

「そ、それは……」

 

 はい、完全論破きました。だが少年よ、君は良く頑張った。その向こう見ずな勇気だけは僕には無い物だから尊敬するよ。


「だけど、僕は諦めない。いつか君をきっと――」と言って少年は立ち去って行った。


 はあ、終わったか。さて睡眠再開。


「あら? ちょっとあなたそこで何をしているの?」


 目を開けると案の定お嬢が僕を見下ろしている。逆光になり表情は良く覗い知れないけれど美しさだけは伝わってくる。


「見ての通り昼寝だけど」

「盗み聞きなんて趣味が悪いわね」

「僕の方が先にここで寝ていたんだよ。そこに君達が後からやってきて勝手に青春しておいてその言い草は失礼なんじゃないかなあ」   

「うふふ、たしかにそうね、謝るわ」


 意外に素直なんだ。絶対に自分の非を認めない人かと思っていた。


「僕寝たいんだよ。用が済んだのならどっかいってくれないか?」

「あと5分で5時限目だけれど?」

「じゃあ早く教室に戻りなよ」

「さぼる気?」

「とにかく眠いんだよ」


「確かにここに居ると眠くなっちゃうわね」と言いながら僕の横に腰を下ろした。


「おい!」

「私もさぼっちゃおうかな」

「アンタ優等生のお嬢様でしょ」

「英語の文法なんて今さら勉強した所で帰国子女の私には必要無いわ」


 まあそうか。こんなお嬢様なら海外留学くらいしているんだろうな。


 5時限目開始のチャイムが白々しく聞こえて来た。


「さっきの告白、どこから聞いていたの?」

「多分、最初から」

「もう、嫌になっちゃう。断る方だって辛いのよ、あなたには解らないだろうけれど」

 軽くディスってくれるな。


「モテるお嬢様は大変ですね」と嫌味たっぷりに言ってやった。

「あなたは誰かに告白した事あるのかしら?」

「した事もされたことも無いよ」と言うとお嬢の表情が少し和らいだ気がした。


「好きな人はいらっしゃらなくて?」

「今はね、と言うか、この先ずっとかもね」

「え?」と言った彼女の表情が曇った。


 この先ずっとなんて言ったのは失敗だったかも知れない。きっと理由を聞かれるし、理由なんて言いたくないから。


「あなたにはどこか影があるわ。私は何となくそういう事が分かるの。その影を生み出している物までは分からないのだけれど。それが原因なのかしら?」


 僕は何も答えないでいた。意外に鋭いんだな。他人なんて興味無さそうなのに良く見ているな。


 風が彼女の髪を靡かせ彼女の香りを運んでくる。


「あのさ」

「え?」

「ありがとうな」

「どうしたのかしら急に」


 僕は彼女に背を向ける様に寝返りを打ち、


「僕達姉弟妹きょうだいがこうやって学校に通って暮らしていけるのもアンタの親父のお蔭なんだよ」

「どういう事?」


「九条ロジスティックス」

「ええ、父の会社の子会社だわ」


 僕は洗いざらい話した。彼女には関係の無い事なんだけれど、ここまでしてもらって何も礼を言わないのも後ろめたさを感じたから。


「そ、そんな……ごめんなさい……」

「イヤイヤ、別に謝って欲しくてこんな話をしたわけじゃないよ」と僕は慌てて身を起こして言う。


「あれは事故だし、アンタには何も関係ない話だから」

「だけれど……」

「本当に感謝しているんだ。普通ここまでしてくれないと思うんだ。だから、ありがとう」


 彼女はしばらく俯いていたけれど、そっと顔を上げ、


「どうしてそこまで出来るの?」

「へ?」

「何も得る物が無いのに他人を助けたり、親の仇に感謝したり……あなたの事を理解すると言ったけれど、とても出来そうもなさそうだわ」


「僕はそんな複雑な人間じゃないよ」と言うと彼女は頷き、


「あなたは複雑というよりは、特別だわ」と言った。

 彼女の言った言葉の意味は理解出来なかった。


 5時限目終了のチャイムが鳴る。


「じゃあ僕はもう戻るから。6限目はちゃんと出なよ、九条さん」と言って立ち上がり教室へ向かう。しかし思い立ち、一度立ち止まり彼女に向き直ると、


「僕は3年B組の中西太郎」と言って今度こそ教室へ向かった。



彼女はまだそのまま動かずにいた。




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