第5話

「ちょっとそこの最近垢抜けてきた若者。美人な教師とご飯でも食べに行かない?」

 車を横付けされ、なんだかナンパされているらしい。勿論相手は長富杏香だ。


 校門を出て駅に向かう途中、すぐに声をかけてきたって事は絶対待ち伏せされていた。

 なるほど今日はこう言う設定なのか…


「高級焼肉なら行きたいなぁ」

「そんなのおやすい御用だ!乗った、乗った」

 ナンパに引っかかった感じのキャラを、千両役者さながらに演じて車に乗り込んだ。


「美人な先生の車だから乗ったんだからね。いつもいつもこんな軽い男だと思わないで」

 声を出さずに笑ってくれた長富杏香のカーオーディオから流れてきたのはもちろん三文芝居だった。


「高級焼肉のつもりでナンパに着いてきたんですけど、なんで家系ラーメンなんですかね…」

「気分は麺だったんだよな」

「高級焼肉で冷麺の方が良かったな」

「なんだその態とらしい遠い目は。チャーシュー麺にしてやったんだから文句言うな」

「さては釣った魚に餌やらないタイプだな」

「逆だ!私は釣られた後いつも貰えない。そして必ず言われるのが、君は一人でも平気だろ?あの子は俺がいないとダメなんだ…わたしだって、わたしだって…全然強い女じゃないのに……」

 あ、ヤバい…辺な方向に話が進みかけてる。


「先生!俺たちが、俺たち三組の生徒がいるじゃないですか!勿論、俺にだって先生がいないとダメなんです。だから今日は家系ラーメンで我慢しますから!過去なんて振り返ったって碌な事はないですよ」

「いい事言ったぞ龍臣!過去なんて関係ない!未来なんて不確定要素も想像する必要もない!今だ!今が大事なんだ!

 よし!ミニチャーシュー丼も食べていいからな。ほら遠慮するな」


 とりあえず回避は出来た。

 この人愚痴りだすとめちゃくちゃ長いからな。ねぇねはニコニコとよく付き合えるよな…

 会社勤めで慣れてるのか?

 こう言うのは俺はどんなきっかけで思い出すんだろ。

 面倒くさい上司とかにもう一件行くぞ!ってベロベロに酔っ払って連行された時?

 課長、もう締めのラーメン食べてるんだからまた今度にしましょう。

 とか説得してる時に、昔面倒臭い先生いたよな…ってなるのかな。

 あ、変な未来を想像してしまった…

 大事なのは今だけだ。とりあえずこの今目の前にあるチャーシュー麺ほうれん草増しのラーメンに集中しよう。


 高級焼肉ではなかったが、なんだかんだ二人とも満足してラーメン屋を後にした車内はほっこりな空気。

 三大欲求のうちのひとつが満たされて大満足。食欲と睡眠欲と…

 もう一つは経験がないので知らん。

 チラッと長富杏香を見ると鼻歌を歌いながら上機嫌で車を運転している。

 その横顔は少し幼く見えて、なんだか変なこと考えちゃったせいで長富杏香を見てドキドキしている俺がいる。

 黙ってれば本当美人。

 純情な未成年を惑わさないで欲しい…


「ん?どした?食い足りないのか?後は家帰ってから小春に何か作ってもらおう」

「え?先生うち来るの?火曜だよ?明日も学校だよ?先週からずっとうちにいない?」

「え?だ、ダメなのか?」

「ダメじゃないけどさ。ほら睡眠欲とかあるからさ…」

「ん?食い足りない話しじゃないのか?食欲だろそれは。さっきLINEしたら、何か軽めに作っておくねって言ってたから安心しろ。ま、私は酒のつまみだけどな」


 ねぇねも長富杏香もかなりスーパーウーマンだし、出来ない事を二人で補っちゃうもんだから二人とも彼氏出来ないんじゃないか?ってちょっと気づいた。

 なんならご飯作って待ってるねとかもう彼女じゃん。

 女同士でとか、また変な想像しちゃった……

 これで食欲満たして、満足して、次の欲求は…って変な妄想を彼女たち目の前でしたくない。

 しかも一人は姉だ。


 今日はすぐに寝よう。本気で寝よう。


 大事な事を心に決めて窓の外を見る。

 下弦の月は遠くに見え、どんなに車がスピードを上げようとも同じ距離感のままずっとついてくる。

 ぼんやりしか映らない古ぼけた鏡のように、長富杏香の横顔もそこにはあり、月と彼女の顔を比べても見劣りなんてしないほど綺麗だった。

 そんなの見て余計に意識をしてしまう自分に呆れる。

 黙り込んでいる俺を不思議に思ったのか、嘆息を吐き、変なやつだなって笑う長富杏香の微苦笑ですら恥ずかしくて、車の揺れに身を任せながら俺はそっと目を閉じた。


「たっちゃん今日は眠そうね。何かあった?」

 本気で寝た。本気で寝たけど夢の中まではもうどうしようもない。結局は寝不足のまま学校に来て、朝から憂患と怪訝が混ざったような表情で佐藤愛子に心配された。

 昨日はなんだか眠れなくてさって言いでもしたら、何故?って当然来るし、こいつに嘘をついても絶対見破られるし、正直に言ったら汚物をみるような目で二度と口を聞いてくれないまでもあるかもと想像した結果


「別に」

 って短い言葉のみで真意を探られないように気をつける。今ここで目を合わせたらやられる!なので素知らぬふり。

 諦めたのか


「そう」

 佐藤愛子が微苦笑で呟いた。ホッとしてしまったのを見逃してはくれなかったようで


「昨日のたっちゃんみたいに少しやらしい顔になってるけど、特に聞かないでおいてあげるわ」

 こわっ。この子ちょーこわっ。もう今日は放課後まで目を合わさないようにしよう。


 本日最後の授業が終わると、集中していたからか心地よい脳の疲れもあって、一気に弛緩した感じになって脱力。

 寄りかかっていた椅子を倒す様に前脚二本だけを持ち上げ、少し斜めになったまま教室の天井を見上げた。


 今週末から文化祭が始まる。


 やることはまだまだ盛り沢山。

 最終下校が今週から保護者の迎えなど、条件付きで20時になった。

 実行委員はそこまで遅くなりそうにない。

 先週からかなりのスピードで作業をこなし今日に至っているからだ。


「まだ時間に余裕あるよな?」

 って声が聞こえようものなら


「少しでも作業を効率よく先に進めることが心にも余裕が生まれて、良いものが出来るって事が分かりますか?」

 って腕を組んで、先輩であろうとも威圧的に上から目線なのが佐藤愛子である。


 だが俺は知っている。

 彼女をこうも急き立てるものがなんなのかを。

 ヒントは今日が水曜日であると言う事。

 そう、田原祥にフットサルにまたも誘われているのだ。


 先週の水曜の俺のプレーは驚愕だったらしく、足下に自信がない俺ですら、長年プロの下部組織で続けていたおかげで、他を圧倒することは出来た。

 最後なんてチームメイトのはずの長富杏香がお前に宣戦布告だ!ってはじまって、相手チームに移籍しちゃうし、ボールどころか体にすら触らせないように遊んでいたら最後なんて俺を睨みつけながら泣きやがった。

 絶対覚えていろよ!次は必ず勝つからな!って出てきた時からやられ役決定していたボスキャラの如く捨て台詞を吐いていたから、化身出せばいいのにって笑ったのがいけなかったのか、その日も当たり前のようにうちに来た長富杏香は一切口を聞いてくれなかった。

 愚痴りだすと長いから本当に面倒臭い。


 本来なら文化祭に向けて大詰めになりつつある日なのに、巻き巻きで作業をしたおかげで普通に18時には帰れそうだ。

 佐藤愛子も先週のフットサルがよほど楽しかったのか、田原祥に誘われた時は、時間はなんとかやりくりすれば出来なくもないとか言いながら、あれからの一週間、ひたすら実行委員の仕事をテキパキとこなしていて、サボる奴がいようものなら


「あなたのプライベートの時間も大事なのは分かりますけど、みんなで決めた事を今はやる時間なんじゃないのかしら」

 って、こんな巻きで作業してるのってお前がフットサルに行く時間を作るためだよね?公私混同してるのは誰だよ。って疑念の目を俺だけが向けている。

 その視線に気づくと罰が悪いのか、態とらしく咳払いとかしちゃうあたりは、ちょっと可愛い。


 そんなこんなで文化祭まで今日を入れて後二日。今日もマキマキで行きますかね。

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