第10話

 体育祭初日が終わった。


 俺の中では全力が出せたと思う。

 体操着が汚れることも厭わず、グラウンドに寝転んでいると、三組の最後の走者も一位でゴールテープを切ったらしく、寝ていた俺は起こされ、凄い凄いと周りから喝采を受けた。


 なんであんなに足速いの?マジすごくない?ケンシ君最高だよ!練習の時手を抜いてたろう。賛辞の言葉がいつまでも終わらない。


 ありがとうございます。めっちゃ頑張りました。もうヘトヘトですよ。揉みくちゃにされながらも笑顔は出せてるはずだ。

 その笑顔は嬉しそうに見せれているだろうか。


 周囲を窺うと、みんな本当に喜んでくれているのが分かる。

 少しだけホッとしたのだが、ただ一人、佐藤愛子だけは少し離れた場所で寂しそうに微笑んでいる。


 多分だけど、その理由は分かる。

 俺と同じ種類の人種だから。

 輪の中心にされたままだが、あの時こうでしたよね?とかあそこで半田がとか少しずつ話題を逸らしていき、他の人への賛辞に変わった時にようやくそこから脱出することに成功した。


 走り終えた時よりもその会話は、疲労が蓄積されているように感じて悲しくなってしまう。


「ヒーローになった顔ではないわね」

 いつの間にか隣にいた佐藤愛子に、笑いかけたつもりだったのだが、上手く笑えていなかったのだろう。

 そんな俺の顔に驚いたのか、今にも泣きそうな顔で息を静かに吐くと、背中を丸めて少し小さくなって、背丈が同じくらいになった俺の頭を優しく撫でてくれた。


「大丈夫だよ」

 未だ喧騒が収まらないグラウンドでもその声は俺の耳にはっきり届く。

「ありがとう。多分…もう大丈夫だ」


 噛み締めていた奥歯のせいでうまく言葉になったか不安だったが、歩き始めた俺の背中に優しく手を当て一緒に歩き出してくれた。


 少し気分が落ち着いてくると、わざと戯けるように


「俺、あれ苦手なんだよ。輪の中心にされるやつ。なんか恥ずかしくない?半田とかさ、いつも中心になって話回してるの凄いよな。あれ?佐藤さんもそんな感じだっけ?本当尊敬するよ。俺はやっぱりみんなの話聞いてるだけの方が楽しいかな。佐藤さんみたいに微笑むことも出来ないしさ。やっぱクラスメイトAの役が…」

 そこまで言いかけた時に、ジャージの袖をグッと引っ張られる。


「私の事、お前って呼んでない。たっちゃん私のこと佐藤さんって呼んでる。なんでこんな時に自分を作るの?大丈夫って言ってたけど、まだ全然大丈夫じゃないじゃない!ごめんなさい…たっちゃんに無理させてごめんなさい…」

 肩が小刻みに震えていて、泣いているのが分かる。

 俺のため?俺なんかの為に、佐藤愛子が泣かないでくれ。そんなことをされたら…


 彼女が掴む袖は、弱々しい力のくせにそこから一歩も動けない。心の中では俺の方こそごめんって、泣かせてしまってごめんなさいって謝ってるのだが、声に出せない。


「私の大事な生徒を泣かせやがったな」

 俺たち二人の肩を抱くように笑っている長富杏香が俺たちの間に割り込んできていた。


 それに気づいた佐藤愛子は彼女の方へ振り向くと、胸に顔を埋めて小さな声で何度もごめんなさいと呟く。

 優しく頭を撫でてあげる長富杏香。

 それでも佐藤愛子の涙はしばらく止まらなかった…


     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「なんでただの教師がレンジローバーなんて乗ってるんですか。ここの学校の先生ってそんな儲かるの?俺たちから巻き上げたか金がこの車に化けたの?」


「いい車だろ。めっちゃ高いぞ。悪いことしないと買えないくらい高いぞ」

 なにやら聞いてはいけないような話の流れになってきたので、その辺は完全に無視をする。


 帰りのホームルームには二人とも出席しなかった。

 長富杏香が二人は委員会で席を外していると言ってくれたらしく、これ以上歓喜の中に入らなくて済んでホッとした。


 家まで送ってやるという提案と共に、二人のカバンと制服も律儀に持ってきてくれ、今は彼女の車の助手席に座っているというのが事の経緯だ。


 先に乗り込んでいた佐藤愛子がボンヤリと後ろの席に座っているのを見て、なんだか罰が悪くなって後ろに座れないヘタレな俺。

 運転手は苦笑しながら


「ドライブデートでもするか?」

 って、助手席に座るように言ってくれ、嬉しそうに車を発進させた。


 そんな冗談に笑っているのは俺だけで、ぼんやりと表情を変えることなく車窓からの流れを見ている佐藤愛子の顔が、少しだけ振り向いた俺の対角線上に見える。


 デートとか茶化してないで、後ろに悲痛な面持ちの佐藤愛子もかまってあげて…


「やっぱ速いな冴木龍臣は」

 今口を付けたペットボトルに入っている茶色のお茶をドリンクホルダーに戻そうとして、ふと気付いたとでもいうようにその飲み掛けのお茶を俺に渡そうとしてくる。


「え?なんでだよ」

 あまりの驚きにタメ口で抗議しちゃったよ。


「こっち見てるから間接キスでもしたいのかと思ったんだけど。違ったか?」


「先生が俺の名前を呼ぶから見ただけでしょ?顔を見たら間接キス出来るってのが通るなら、授業中ぜったい俺の事見ないでくださいよ」

 デートの流れからの間接キスの強要かと思ったら、顔を見てただけが理由のようだ。

 そりゃそうかって笑ってくれた長富杏香だが、ふとその存在に気づいたように、


「佐藤。お前はまだ凹んでるのか?」

 ルームミラー越しに佐藤愛子を見ている。


突然名前を呼ばれた佐藤愛子は、少しだけ動く気配があったが、特に何も言うことはなく、車はそのまま進んでいった。


 その後も会話はしていたと思う。相当疲れていたのか、寝ていたつもりはないのだが、何度か相槌をうちながら、いつの間に意識が飛んでいたらしい。

 着いたことを知らせる運転手の言葉で目を開けると、大きな家の前に停車している。


 警備会社のステッカーが貼ってある門の横には佐藤という表札がかかっているので、佐藤愛子の家なんだろうとぼーっとした頭でも理解出来た。


「報告したいし、少しお邪魔しようかな」

 そう言ってエンジンを切る長富杏香。

 え?佐藤愛子のうちに上がり込むの?俺は?車の中にその間待機?

 公園で会う事を考えると、ここから歩いて帰ろうと思えば帰れるんだろうけど…

 疲れているから早く送って行けとも言えない空気の中、先に降りていた佐藤愛子が長富杏香を見て頷いている。


 どうしていいか分からずいつまでも車内にいる俺を見て、


「お茶くらいは出すわよ」

 外から佐藤愛子にドアを開けられて、断る事もできず仕方がなく車を降りた。


 佐藤と書かれている高級そうな表札は、その家の門にとても似合っている。

 俺が車のドアを閉めると、遠隔で鍵を閉めた長富杏香は、家主の一人でもある佐藤愛子を差し置いて勝手に家に入って行った

 驚き佐藤愛子を見やると、いつものことだからと笑っている。


 一度閉まった玄関ドアが再度開き、


「そんなとこで二人でイチャイチャしてないで早く来い」

 え?って佐藤愛子の顔を見ればほんのり赤くなっているのは気のせいだと思いたい。


 佐藤愛子が玄関ドアに手をかけようとした時、内側から勢いよく扉が開き


「お姉ちゃん彼氏連れてきたの?」

 って目をキラキラさせた佳奈美が現れた。

 髪を下ろし、目が隠れている俺を値踏みするかのように観察していたが、不思議そうな顔をした後


「たっちゃん?」

 って不思議そうな顔をして聞いてきたのだった。


「いつも愛子と佳奈美がお世話になっております」

 家に上がらせてもらうと、リビングにて佐藤愛子の母親にそう挨拶を受けると、コーヒーを出してくれた。


 佐藤愛子、佳奈美姉妹の母親は、この姉妹がいるのも納得の美人で、高校生と小学生の子供がいるようにはとても見えない。

 姉ですって言ったら絶対信じていたと思う。


 俺の隣にはニコニコしながら俺と腕を組んでいる佳奈美がいて、膝の上ではチョコが気持ちよさそうに寝ている。

 長富杏香の横に座っている佐藤愛子はまだ気持ちが晴れないのか不機嫌のままだ。


「冴木龍臣はこの家の女子をすでに籠絡しているのか?」

 正面に座る長富杏香が驚いたようにそんな様子を見ているのだが、佐藤愛子は憮然とした表情で


「佳奈美。いい加減冴木君から離れなさい。彼が嫌がっているのが分からないの?」


「たっちゃんは私がそばにいるのが嫌なの?」

 愛らしい表情でそんなことを言われたら嫌と言えるはずもなく、大丈夫だよ。と


「ほらーたっちゃん大丈夫って言ってるじゃん。たっちゃんカッコいいし優しいから大好き」

 姉に向け舌を出しながら、余計にギュッと掴んでくる佳奈美を見て、一瞬驚いた表情をしていたが、佳奈美ではなく何故か俺を睨みつける佐藤愛子が怖いんですけど…


 長い一日になったなと思いながら、カップに入っているコーヒーが揺れるのをぼんやりと眺めている。

 ところで。

 俺はいつになったら帰れるのだろうか…

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