33話「浴衣という文化」



 観光地価格で割高な自販機でジュースを買って飲みつつ、割り当てられたホテルの部屋の一室に戻る。

 手荷物を適当に放り投げてから、ベッド――もちろんくるみが使ってない方――に寝そべる。

 ふぅ、いいお湯だったな。


 風呂上がり独特の体の温かさも相まってこのままだと寝てしまいそうだったので、起き上がって先程の温泉で使ったタオルや脱いだ服などを整理する。

 そうしていると、ピンポーン、と家とは違うインターホンの音が鳴ったので、僕は内側からドアを開けてやった。


「はーい、みんなのアイドルくるみちゃんだよー」

「……人違いか」

「ちょ、閉めないで閉めないで!」


 人違いではなかったようなので、部屋には入れてあげる。

 けれど……その見た目には苦言を呈さずにはいられない。


「……くるみ、いくら人が少ないホテルだからって、それは着崩しすぎだと思うけど」


 下着や肌が見えてしまっている浴衣姿を見て、僕はそう言う。

 寝起きとかならこうなっててもわかるのだけれど、先程来たばかりなのにそうはならないだろう。


「なんか着方わからなくて」

「おばさんに着させて貰えばよかっただろ……」

「あの人風呂長いから、わたしだけ先に上がってきた。

 そうだ、綾人がどうにかしてよ」

「はぁ?」

「ほら、はーやーくー」

「……ああもう、わかったわかった」


 体を密着させてくるくるみ。色々見えてるしさすがにそんなことをされたら平気とは言えない。

 どうにかしてドキッとする心を悟られないように気をつけつつ、まずは意味をなしていない腰回りの帯からどうにかしてやる。


 するりと紐をほどき、上下ピンクの下着をなるべく見ないように……


「どう? えっちなことしたくなってきた?」

「そういうのは真っ赤な顔をどうにかしてから言ってよ」

「綾人だって顔赤いくせに……」

「風呂上がりだからね」

「それズルくない!?」


 ズルくないズルくない。

 テキトーにそう返しつつ、僕はくるみの浴衣の裾を掴んでいい感じに合わせてやり、それを左手で抑えつつ右手をうまく使って腰に帯を巻く。

 途中で左右の手の役割を入れ替えながらくるみの細い腰回りを一周させ、ついでにもう一周させてから適当に結んでやる。

 結び方はテキトーだ。正しい結び方なんて知らないし、どうせ夏祭りとかで着るようなちゃんとした浴衣でもないんだし、問題ないだろう。


「はい、できた」

「おー、さすが綾人」

「ちゃんとした着付けできないとかならわかるけど、この程度も自分でできないのはどうかと……」

「いいの。わたしできなくても、綾人ができればどうにかなるし」

「左様ですか……って、うおっ!?」


 くるみの発言に呆れていると、ぐい、と体を引っ張られて、ベッドに横にさせられる。

 僕と並ぶように横になっている犯人くるみは、顔を真っ赤にしながら、口を開いた。


「みんな、夕飯まではこの部屋に来ないよ?」


 今は午後4時半。夕飯は7時からだから、2時間半はある計算になる。

 くるみは僕の右手を引いて、自分の首筋に当てさせると、震えた声で言った。


「風呂上がりだし……しない?」


 手から熱いくるみの体温が伝わってきて、心臓が跳ねる。

 風呂上がり独特の匂いや湿っぽい髪の質感が、僕の感覚を刺激してくる。


 ここで、手を出すのは簡単だろう。

 でも……。


 僕は流されそうになった心に喝を入れて、くるみの首筋から手を離し、そのまま頭に手刀を入れてやる。

 ……手が痛くなったけど、雑念が飛んでちょうどいい。


「痛ったぁ……なにするの!?」

「そんなんで僕が流されるわけないでしょ?」

「むぅ……ダメだったか」


 本当は少し危なかったのだけれど、それは秘密。わざわざ言ってやることはない。


「あー、ほんと手強い。勝てる気がしないんだけど……?」

「というかさ、なんでそこまでして僕と……その、そういうこと・・・・・・したがるの?」


 ちょうどいい機会なので、気になっていたことを聞いてみる。

 わざわざ本気宣言をしてきているのだから、遊びだとは思っていない。

 けれど――だからこそ、わからないのだ。


 くるみは僕の問いかけに「うーん……」と唸った後、口の前で両手の人差し指を使って小さな罰マークを作って、


「それはくるみちゃんの重要機密だから言わない。くるみちゃんの決意は固い」

「そっかー。教えてくれてたら、もしかしたら応じたかもしれないんだけどなー」

「…………決意は固い」

「ちょっと揺らいでるじゃんか」

「揺らいでないっ!」


 ぽす、と僕に枕を投げてくるくるみ。

 ホテルの枕は大きく、思わず「ぶべっ」と変な声が漏れてしまった。


「今、完全に油断してたから、首もっていかれそうになった……危な……」

「あ、ごめん。つい手が」

「そこで直接殴らないあたりくるみだよね」

「それ褒めてる?」

「褒めてる褒めてる」


 ちゃんと褒めている。たぶん。

 しかしくるみは納得がいかないのか、むうっと頬を膨らましている。

 それがなんだかおかしくて、僕はつい笑ってしまう。


 ……こんな時間が、ずっと続けばいい。

 くるみと付き合うとか、いろんなことをするかしないか、まだ何も決めてないし決めるのも急いでないけれど。

 それでも、こんな関係のままでいたいと、くだらない話を楽しめる関係でいたいと、そう思った。


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