22話「ここがこの世の地獄」



「おらー、授業始めるぞー」


 数学の田中先生はそう言いながら教室に入ると、いつものように教卓に鞄を置いて出席を取り始める。

 一人一人名前を呼ばれ、順番に返事していく。


「えー、じゃあ次。加賀谷……加賀谷?」

「はい、加賀谷です」

「いや、お前加賀谷じゃないだろ。は? え?」

「せんせー! この子はちゃんと加賀谷ちゃん・・・本人でーす!」

「い、いやでもなぁ……? こんなんじゃなかっただろ?」

綾音あやねちゃんはこんな感じですよー?」

「だ、だが……」

「せ、ん、せ?」

「……よし、加賀谷出席……っと。次は……」


 教師に圧をかける女子生徒たちに負けた田中先生は、30代にしては白の多い髪をぐしゃぐしゃと掻くと、現実を受け入れることにしたようで、僕を出席扱いすることにしたようだ。


 ……どうしてこうなった?


 僕は、慣れないスカートをぎゅと握りしめながらそう自問自答する。


 ……原因はそう、今朝のこと――







「え、生徒会の仕事?」


 登校すると、なぜかくるみと仲のいい女子生徒たちに取り囲まれた僕は、頭の上に疑問符を浮かべながらそう聞き返す。


「そうなの! 会長が行事増やしたいって言うから考えてきたんだけど、実際にできるかどうか試したくて……」


 そう坂本さかもとさんは言うと、両手を合わせて「おねがいっ!」と頭を下げる。

 うちの学校では、会長だけは選挙で選ばれるが、それ以外のメンバーは会長が任命するシステムになっていて、慣例的に新入生の中から2人ほど選ぶことになっていた。


「んー、なんで僕に頼むのかわからないけど……まぁ、いいよ」

「やった! ありがと! どうしても適任者が加賀谷くんしかいなくて!」

「今の録音しておいた?」

「したした!」


 おん……? 雲行きが怪しいぞ?

 なぜ録音が必要になる?

 やはり内容も聞かずにオーケーするのは早まったか?


「え、あの、ちなみに僕は何をさせられるんでしょうか?」

「そりゃもちろん決まってるじゃん!


 ……女装だよ!!」

「ほわい?」


 鞄から女物の制服とタイツを出してきた坂本さん。

 反射的に逃げようとする僕だが、全方向を取り囲まれて逃げるに逃げれない。


「あ、あの……?」

「あたしたちもね、手荒な真似はしたくないんだよ。わかる?」


 僕とじりじりと距離を詰めながらそう言う赤橋あかばしさんの目から不穏なものを感じ取った僕は一歩後ろに下がろうとするが、その先に待ち構えていた男子生徒を見て頬を引き攣らせる。


「お、小野? 小野は僕の味方だよね?」

「……すまない綾人。俺は……俺はっ! このクラスの女子を敵に回してせっかくの青春を棒に振るなんてそんなこと……できないんだっ!」

「こいつ裏切りやがった!」


 ガシッと腕を掴まれた僕は、振り払おうとするが……あまりにも筋肉量に差があり、振り払えない。


「諦めろ。俺たちだって鬼じゃない。大人しく着替えると言うなら、女子にお前の下着は見えないように隠してやる。たが逃げると言うのなら、俺たちはこの場でお前をひん剥いて無理やり着替えさせなければならない」

「最低だこいつら……」

「お、おれたちだって好きでしてるわけじゃ……」

「そうだそうだ!」


 言い訳を口にしながら詰め寄ってくる男子たち。その数7。

 うん、逃げられないね。


「く、くるみ! 助けて……」

「わたしの言うこと、一つ何でも聞くなら助けてあげてもいいよ?」

「……ちなみに何を命令する気で?」

「ここで言ってもいいの?」

「……大人しく着替えるので隠してください」


 どう転んでも地獄。

 そう悟った僕は、大人しく現実を受け入れたのであった。


 そして慣れない着替えをすること数分。

 いくらタイツ(正式になんで呼ぶのかは知らない)を穿いてるとはいえ、スカートの防御力では心許ない。


「き、着たけど……」

「おお、さすが綾人。似合ってる」

「嬉しくない褒め言葉どうも!」


 パチパチと手を叩くくるみを殴りたい衝動に駆られるが、さすがに我慢する。

 ……耐えろ、耐えるんだ僕。この羞恥が終われば僕は自由だ。


「それで、もう脱いでいいの?」

「ダメに決まってるじゃん! まだ化粧もしてないし、ウィッグも被ってないし、写真も撮ってないよ!」

「さ、坂本さん? 一体何を?」

「男子たち、捕まえておいて」

「「「イエス、ボス」」」

「うわっ! 何をする!!」


 あれよあれよと言う間に捕まった僕は、そのまま椅子に座らせられて、よくわからない粉を塗られ、固体を擦り付けられ、ウィッグを被せられた。


「綾人、安心して。肌の弱い綾人でもかぶれないようなの選んできたから」

「安心できないんだけど!?」

「加賀谷ちゃん、ほら動かないで〜」

「屈辱……」


 男としての尊厳がズタズタに引き裂かれる感覚に囚われつつ、早く終わらせるために頑張って耐える。


「ほら、完成! どうよ、これは完璧美少女加賀谷ちゃんでしょ!?」

「……これ、やば。かわいすぎ」

「く、くるみ? なんか目からハイライト消えてるよ?」

「これは……ヤバいね」

「何がヤバいの!?」

「どちゃくそやばい」

「だから何がヤバいの!?」


 妙な反応をするクラスメイトからカメラを向けられて、僕は逃げようとする。

 しかし、ガシッとくるみに掴まれたことでその試みは失敗した。


「ダメ。今のその姿で男子なんかに触らせない。穢れる」

「どういうこと!?」

「ほら、はいチーズ」


 慣れた手つきでインカメラを起動し、パシャとスマホにツーショットを記録するくるみ。

 何故かその様子にクラス中から歓声が上がる。


「これがGL……?」

「尊いってこういうことか……」

「もう死んでもいい」

「あれ中身男だって知ってるからこそいいよな」

「死ねるわ」


 なにこれこわい。ダレカタスケテ。


「んー、寧々ねねちゃん。この子なんて呼ぶ?」

「たしかに……加賀谷ちゃんだと可愛げがないか」

「うん。もっといい呼び方希望」


 くるみに名前を呼ばれた坂本寧々さんは、妙なことを呟くモードから立ち直り、真面目な顔で考え始める。

 やがて、女子が数人集まって本格的な会議が始まった。


「やっぱり元の名前を残しておいた方がいいよね」

「わかる。原型は留めておかないと」

「でも加賀谷って名前の響きも違うし、綾人だと男の名前だし……」

綾子あやこだと安直すぎるかな?」

「綾子って言うと、もう少し文学少女的なイメージかも」

「わかるわ〜。綾子顔じゃないんだよね」

「じゃあ綾音あやねってのはどう?」

「それよくない!?」

「いいねいいね! 綾音にしよう!」


 何かが決まったらしく、妙なテンションで盛り上がる女子の集団。

 会話をぼんやり耳に入れながら、僕は窓の外をぼんやりと眺めていた。

 ああ、今日は天気がいいなぁ(現実逃避)。


「貴女の名前が決まりました。今日の貴女は『加賀谷綾音』です」

「人狼ゲームのゲームマスターみたいなトーンで喋らないでよ」

「ほら綾音ちゃん、足開いて座らないの! 中見えちゃうでしょ!」

「え、あ、えぇ……?」

「あ! 化粧崩れちゃうから顔そんなふうに触らない! 綾音ちゃんの肌に気を使って落ちやすい化粧品つかってるんだから!」

「えぇ……」

「貧乳僕っ子綾音ちゃん×幼馴染くるみちゃんはアツい」

「いや、くるみちゃん×綾音ちゃんの方が……」

「おおん!?? 戦争か?」


 争いが……クラスで謎の争いが生まれてしまった……



「あ、ちなみに今日一日そのままだからね」

「はぁっ!?」


『んー、なんで僕に頼むのかわからないけど……まぁ、いいよ』


「ここに録音があります」

「最低だこいつら……」


 逃げ場はないと悟った僕は、チベットスナギツネのような表情で遠くを見つめるのだった。




「……死にたい」


 昼休み。妙な視線を感じながら、僕は机に突っ伏してそう愚痴る。

 どんな羞恥プレイだ。まじで。

 あー、これ将来同窓会とかでイジられるんだろうなぁ!


「綾音ちゃん! 写真いいかな?」

「あ、もうなんでもいいよ。うん」

「ダウナー系……いいわぁ」

「さいですか」


 ダウナー系というか死んだ魚の目系女装男子だと思うのだけれど。いや、情報量。


 ……うちの学校は偏差値が高いせいなのかわからないが、まぁ変人が多い。

 その変人どもが本気で悪ふざけをしようとするとこうなるのかということを、身をもって知ることになった。


「ねぇ、坂本さん。結局僕は何のためにこんな格好させられてるの?」

「言ったじゃん、『会長が行事増やしたいって言うから考えてきたんだけど、実際にできるかどうか試したくて……』って」

「言われたけど、それとこれがどうつながるのさ」

「男装女装大会開こうかなっていう案があって、でも女装でどのレベルまで女子に近づけるのかわからなかったから、試してみたんだ〜」

「なんでずっとこのままなの?」

「んー、何となく?」

「最低だ……」

「あ、午後もよろしく」

「……もうなんとでもなーれ」





 というわけでやってきた放課後。

 やっと女装から解放された僕は、女子用制服を脱ぎ、ウィッグを外し、化粧を落として、一般男子高校生加賀谷綾人の姿に戻った。

 ふぅ……落ち着く。


「あーあ、戻っちゃった」

「なんでそんな残念そうなのさ」


 不満そうな様子を隠さないくるみを白い目で見るが、くるみは気にした様子もなくため息を吐く。


「で、加賀谷くん。一日女装してみた感想は?」

「死にたい」

「そう言いつつ、実際はー?」

「関係者全員の体をバラバラにしたい」

「物騒。言ってることが15歳未満閲覧禁止に指定されそうなレベルで物騒」

「綾音……じゃなかった。綾人、月一で女装して?」

「嫌に決まってるじゃん頭おかしいんじゃないの?」

「えー、いいじゃん、やってよー」

「やるわけないでしょ?」

「ま、嫌だと言ってもさせるけどね」

「さすが寧々ちゃん、わかってる」

「ここが地獄というやつかぁ……」


 地獄みたいな話題で盛り上がるくるみと坂本さんを置いて、これ以上巻き込まれないうちにこっそり家に帰る僕であった。


 ……今度くるみが家に来たらわさび入りシュークリーム食わせよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る