第7話来た

 東京野球団の面々を乗せた新幹線は未練の故郷の広島県に差しかかった。

 よく利用する鉄道でも車窓の景色を逐一記憶している人は少ないのではないかと思う。

 只、部分的に強く覚えていたり実際に景色を目の前にして記憶が呼び起こされる、なんて経験がある人は多いのではないだろうか。


 不思議な気分だった。

 広島出身の未練はたまにこの辺りの路線を利用していた。

 流れる景色にはちょくちょく見覚えがある。

 が、記憶が甦る度に違和感が押し寄せる。

 知ってるようで知らない風景。

 懐かしい気持ちに一瞬なりかけては不安にかられるのだ。



 JR広島駅に降り立ちそこからチームバスに乗り、広島市出汁区ひろしましだしく二三にある広島パワースタジアムに向かう。

 駅からスタジアムまでの景色もまた違和感だらけだ。

 違和感も手伝ってか未練は浮わついていた。

 今この時に全く現実感を持つ事が出来ない。


 これから未練はプロ野球選手として初マウンドに上がる。

 やる気はある。成功もしたい。

 なのに気持ちが燃え立っていかない。

 言い知れない不安、モヤモヤが未練の中にある。


 バスの中で気持ちを作り直したかったが、広島駅と球場は非常に近い。

 安全を考慮し車移動だが徒歩でも行ける。

 街のど真ん中にパワースタジアムはあるのだ。

 バスはビルの間を抜けあっという間に目的地に到着した。



 思えば、夏美に会いたい気持ちが未練がプロになった決め手である。

 初めてこの世界に来た日のお礼をきちんと伝え、あわよくば仲良くなって。

 そんな事を考えながら夏美をつけ回していたものだ。


 合同練習の初日に、夏美と話す機会は訪れた。

 守備ノックを受け、ティーバッティングをこなす夏美を横目でチラチラ見つつ、話しかけるチャンスを窺う。

 夏美は練習熱心だった。他のチームメイトが引き上げる中、居残り練習を続ける。

 話すタイミングを計りかねていた未練も必然的に遅くまで練習をせざるを得なかった。


 その時がきたのは練習を終えてからである。

 ユニフォームを着替える前の夏美を掴まえた。

 お礼というミッションは簡単に達成。

 こんな形で再開出来るとは!と感動も伝えた。


 反応はイマイチである。

 斜め下を見て困ったような顔をしている。

 夏美は何か言い辛そうにモジモジしながら口を開く。


「野球やってたんだね……全然そんな風に見えなかったから」


 世の中何があるか分からない。

 野球やってて良かったとこの時の未練は思っていた。


「やってない方が良かったよ多分、普通に就職した方が良かったのに……」


 この日の会話はここで終わりである。

 機嫌でも悪いのかと未練もそこで引いた。



 その後もちょくちょく話かけて見るものの似たような反応。

 あの日の優しい笑顔は幻だったのかと思いきや、練習中はとびきりの笑顔を見せる。

 いつ嫌われた?話しかけるの止めた方がいい?と思い始めるも、つい話しかけてしまう。

 意地になっていたのかもしれない。




「もう話してくれなくていいよ。どうせ辞めるんでしょ。」


 いつもよりほんの少し強い口調だった。


「異世界から来た人は皆、野球を嫌いになって辞めていくから」


 いつもの何かを言い辛そうな困った顔ではなく、ほんの少し険しい表情を作っている。

 未練はこの時点で辞めるつもりはない。


「いや君はきっと辞めるよ。辞める人と仲良くしたって仕方ないから。もう話しかけないで」


 最後はまた言い辛そうな表情に戻っていた。

 それ以来夏美とは話していない。




 繰り返しになるが、未練がプロになった決め手は夏美の存在だ。

 これじゃあプロになった意味がないではないか。

 しばらくは喪失感でうわの空だった未練。

 只、時間の経過と共に気持ちは切り替わった。

 あくまで夏美は目的の一つに過ぎない。

 野球を仕事にする為にプロの世界に入ったのだ。

 未練は練習に打ち込んだ。


 チーム内での未練は概ね腫れ物扱いで一部からは嫌われているといった感じだが、幸いコミュニケーションをとれるチームメイトはいた。

 練習初日以来、何故か友多はよそよそしくなっていたが美々は変わらず話しかけてくる。油とも打ち解けた。

 理想的な状況とまでは言えないが徐々に、プロ野球選手としての決意は固まっていった。


 なのにである。

 試合を前にして未練はあの時の喪失感に似た気持ちに支配されていた。






 野球は人気スポーツだ。

 この日の試合も三万人の観客が収容され、開始の時を今か今かと待っている。


 広島パワースタジアムは古い球場である。

 東京野球団にあてがわれているコンクリート打ちっぱなしのロッカールームは壁が黒っぽく薄汚れて、所々ヒビや欠けがある。

 照明も薄暗い。


 未練の気は滅入るばかりだ。

 ロッカールームは男女別の為、今は男しかいない。

 鬼清一派に友多、油と他数人といった面子。

 未練が話を出来るのは油だけだが、今日は元気がない。

 げんなりした顔でため息をついている。


 そもそもロッカールーム全体がどんよりしている。

 部屋が薄暗いからとかではなく、選手達の口数が少ない。

 いつも下品な話題でゲハゲハ笑いあっている鬼清一派も今日は静かだ。

 プロの試合前とはこういうものなのか。

 未経験の未練には分からなかった。



 係員に呼ばれロッカールームを出て女子選手と合流。

 さて入場である。

 グラウンドまでの廊下はロッカールームと同様に汚れヒビ割れている。

 歩を進めるうちにかすかに観客の声援が聞こえる。


 未練の心臓が激しく運動しだす。

 ポジティブなものではない。

 心臓が掴まれ圧迫され、逃れようとのたうち回っているような感覚だ。

 要するに緊張である。


 ――緊張するなあ


 未練は逃げ出したい衝動を頑張って押さえた。


 東京野球団の面々はセリに到着した。舞台などで役者がせり上がってくる昇降装置、あのセリである。

 広島パワースタジアムでは選手は地面からせり上がって観客の前に登場するのがお決まりになっている。


「一号セリ作動させます」


 係員の指差し確認の後、天井部分がパカッと開いた。

 頭上の四角い穴からは、爽やかな青空が見える。


 ここまで来ると観客の声ははっきりと聞こえている。

 選手のまもなくの登場を察した歓声は更に膨らんだ。


 ギリギリギリギリッキーッガタンッ


 不快な音を立てながらセリが上がる。

 ゆっくりゆっくりである。

 青空が徐々に近付いてくる。

 と同時に歓声も近付いてくる。

 未練は耳を押さえたくなるのを、ぐっと堪えた。



 東京野球団の面々を乗せたセリは広島パワースタジアムグラウンド一塁側ベンチ前に登場した。

 見渡せば観客席はぎっしり埋まり、蠢きながら咆哮をあげている。

 ほぼ同時に三塁側ベンチ前に対戦相手も登場していた。


 未練は息を呑んだ。

 全員が身長三メートルを優に越え、ガッチリとした分厚い体格から見てその重量はどの位になるのか、想像も出来ない。

 今日の対戦相手、広島ビッグフットの面々である。


 言い忘れていたが東京野球団の対戦相手は基本、異世界人である。

 未練がいた世界とはまた別の異世界。


 重なり合いながら互いに交わる事のない各世界同士だが、まれに世界が混合する場所、通称スポットがある。

 そこで野球競技を通じ交流を図る目的で行われているのがこの世界のプロ野球である。

 今回の相手との混合スポットは広島パワースタジアムだったという訳だ。



 グラウンドで一通りチーム練習が終わった後、スターティングメンバー発表となる。


東京野球競技部隊

1(遊)熱原夏美

2(左)坊屋友多

3(二)五村圭介ごむらけいすけ

4(一)鬼清勝

5(三)大谷川清香おおたにがわきよか

6(右)宮本島美世みやもとじまみよ

7(中)久米村くめむらぷりん

8(捕)油賢夫

9(投)岡本未練


広島ビッグフット

1(中)だい

2(左)ブコいわ

3(三)きょ

4(一)ガ

5(投)コごう

6(捕)

7(右)

8(二)ゲゴだけ

9(遊)ギ



 まもなく試合開始。

 未練はグラウンドを見た。


 いつの間にか男性の顔が複数個浮かんでいる。

 一、二、三、本塁上と左翼右翼のライン際に計六体。

 濃い顔立ちの中年男性で、六体とも同一人物の顔である。

 かすかな微笑みを浮かべ空中に静止している。


 神である。

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