第02話(後)
「好きな芸能人は?」
「すいません。テレビ全然観ないんで分からないです」
「そうか……。そういえば、今年の春はミルクティー色のアウターが流行らしいぞ」
「へー、そうなんですね」
「嘘だよ。ちょっとは疑えよ」
「……」
女性の声は終始淡々としているので、姫奈は今ひとつ空気が読めなかった。
初対面の素性が分からない人間を、出会って数分で信用したわけではない。姫奈は自暴自棄気味だったが、やや警戒しながら女性と並んで歩いていた。
ラフな格好をしているが、女性からはなんだか上品そうな良い匂いがした。
「なあ、お前デカすぎだろ。身長いくつあるんだ?」
「えっと……百七十ぐらいです」
本当は百七十五センチだったが、姫奈は鯖を読んだ。
「マジかよ。最近の子は発育良いんだな」
女性は言葉の割に驚いた様子は無かった。
身長は姫奈にとってコンプレックスのひとつだった。触れられるのは嫌だったが――こうして遠慮なく土足で踏み込んでくるからこそ、逆に信用できる部分もあった。
「身長あってスタイルも悪くはないから、猫背はやめておけ」
「え……」
「なんだ、自分じゃ気づかないか? 背筋伸ばしてさ、胸張って堂々と歩けよ」
女性に背中をポンポンと叩かれ、姫奈は確かに自分の背中が曲がり気味だと初めて気づいた。無意識に身長を少しでも低く見せたいからだろうか。
小柄な女性と並んで歩くと身長の高さが際立つため、本来なら姫奈は嫌だっただろう。
しかし、隣の女性は小柄ながらも確かな力強さを感じるので、居心地は悪くなかった。
それに、女性もまた――姫奈の経験上、身長差があると相手も一緒に並ぶことを嫌がるが、その様子は微塵も無かった。まるで、何事にも動じない自信に満ち溢れているかのようだった。
「ここだ」
あの広場から五分ほど歩いただろうか。
海に面した道沿いにテナントがいくつか並んでいるが、夕方の時間帯の割にシャッターが全て降りているので、店としての実態はどれも分からない。
ガランとした寂しいところだった。
「開けるから待ってろ」
女性は真ん中の方の小さなシャッターに鍵を刺し、ガラガラと上に開けた。
暗い磨りガラスの扉には『EPITAPH』と書かれていたが、姫奈は初めて目にするその単語の読み方も意味も分からなかった。
「ほら、入れ」
明かりがつくと、姫奈は店内の狭さに驚いた。
入り口から奥に伸びたカウンターテーブルには背もたれの無い丸椅子が四つ並び、その後ろを大人が一人通れるだけのスペースしかなかった。その奥に二人用の対面テーブルがかろうじて収まっていた。
何かの飲食店だと理解すると同時に、最大で六人しか利用できないとも姫奈は理解した。
テーブルと椅子と床は木製のライトブラウンで統一され、オフホワイトの壁は暖色の間接照明が向けられている。
そして、柑橘系の爽やかな香りが微かに漂っていた。
狭いながらも、明るく落ち着いた空間だった。
「まあ座れよ」
女性は店の奥――対面テーブルの横からカウンターに回り込んだ。
姫奈はカウンター席に腰掛けた。女性の身長が心配だったが、なんとか首から上がカウンターから見えた。
女性の髪色は明るめのプラチナベージュだが、姫奈はその名前を知るはずもなく、灯りの下で改めて見ると外国人のような髪色だと思った。綺麗に切り揃えられた内巻きのボブヘアーに包まれた顔は小さい。そして人形のように整った顔つきだが、妙に馴染んだ医療用眼帯がアンニュイな雰囲気を出していた。
「私はこのカフェの
カウンターの奥で何やら機械を動かしながら、女性は言った。
「えーっと……喫茶店ですよね?」
「カフェだ!」
「すいません。こういうお店に入ったことが無いんで」
カフェと喫茶店は何が違うのか姫奈は分からなかったが、やや怒り気味に強調する女性に訊ねづらかった。
姫奈はこれまでの十五年、食べる事が目的なのはあれど、飲む事が目的の外食はおそらく無かった。飲み物に関しては、自販機やコンビニで販売されている市販のもので充分という価値観があったからだ。
それに、こういう店は誰かとお喋りするイメージがあったので、友人の少ない姫奈にとっては遠い存在だった。
「ほら、カフェラテ。私の奢りだ。砂糖要るか?」
「ありがとうございます……。砂糖はたぶん大丈夫です」
カウンター越しに、ソーサラーに乗ったコーヒーカップを手渡された。スチームミルクの奥からのエスプレッソの香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。
「素敵なお店ですね」
カフェラテを一口飲み、姫奈は呟くように漏らした。まるでお世辞のようだが、本心だった。
広場で女性が言っていた通り、確かなお洒落な感じだった。
「だろ? 内装だけは拘った」
そう言い、幼い子供のようにニカッと笑った。
目の前の人物と出会ってまだ間もないが、笑ったところを姫奈は初めて見たように思えた。今までぶっきらぼうで気だるそうな立ち振舞だったので、意外な一面だった。
「マスターさんも格好いいです。大人な女性って感じで」
ぼんやりと口にするが、それもまた姫奈の本心だった。
姫奈には姉妹や知人で歳の離れた存在はいなかった。姫奈が接する『大人』は昔からずっと親や教師だった。
だからこそ、目の前の女性がなんだか斬新に見えた。そして、自分では気づかない部分を出会って短時間で指摘できるだけの観察眼には、居心地が良かった。
「私は成人してるし社会人だし、そりゃ大人だろ」
女性は腕を組み、なんだか呆れた目を姫奈に向けた。
その反応で姫奈はようやく、自分が何を言ったのか理解した。慌てるが既に遅く、恥ずかしくて今すぐこの場から立ち去りたい気分だった。
「いえ、なんていうか……。わたし、将来の夢は無いんですけど……マスターさんみたいに堂々とした人間になりたいなって思いました。自信たっぷりっていうか……」
姫奈は観念し、本心を続けた。
そう。受験を失敗し自信を失っている現在だからこそ、さっきまで将来の事を考えていたからこそ――自分とは正反対で、かつ年上の存在には憧れた。
「言いたい事が分かるような、分からんようなだが……これは単なる性格だよ。あまりオススメはしない」
「そうでしょうか? 自信って、何かに成功したからこそ付いてくると思うんです」
女性がどういう経緯でこの店を持ったのか、女性が今までどんな人生を歩んできたのか、当然ながら姫奈は知らない。しかし、その性格を維持できる『根拠』があるのだとは思った。
「そうかもな……」
女性は姫奈から目を逸らし、遠くを見るような目で玄関のほうに視線を移した。
その横顔は、姫奈にはなんだか淋しげに見えた。
「私は高校を四日でやめたから、お前みたいな女子高生の事はよくわからん」
それは文字通り、高校を四日で中退したという事だろうか。姫奈は、にわかには信じ難かった。
「でも、お前がまだ若いのは確かだろ? 若い内は少々ハメを外すぐらい無茶してモガいてもいいと思うぞ。悩むだけじゃなくてな」
そう言い、女性は微笑んだ。
なんだか話をはぐらかされた気がするが、姫奈はそんなありきたりな言葉が欲しかったのだろう。この女性が口にするからこそ説得力があるように思え、心に響いた。
「ありがとうございます。おかげで元気出ました。わたし、自分のやりたいことを探します」
姫奈は少し冷めたカフェラテを飲み干し、席を立った。
「マスターさんさえよければ、また来てもいいですか?」
「ああ、いいぞ」
姫奈の言葉に女性は一瞬驚いた顔を見せたが、快く頷いてくれた。
また近い内に、放課後の学校帰りに立ち寄ろうと姫奈は思った。
「そうだ。わたし、澄川姫奈って言います」
そういえば自己紹介がまだだったと思い、姫奈は帰り際に名乗った。
「ヒナか。可愛い名前だな……。私はアキラだ」
(第01章『自信』 完)
次回 第02章『鏡に映った姿』
姫奈はカフェEPITAPHでのアルバイトを申し出るが、店主のアキラから様々な条件を提示される。
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