『酔いどれ天使』

 監督の狙いは、ギャングの否定だが、裏を返せば、黒澤流ギャング映画と呼べる。悪を知らねば、悪を描くことはできない。否定代表、真田を志村喬が、ギャング代表、松永を当時新人の三船敏郎が演じている。

 三船さんは、この映画のこの役で人気を獲得した。タイトルロールの志村さんを食ってしまったのだ。演技水準はさておき、獰猛な肉食獣を思わせる強烈な個性が、観る者の度肝を抜き、同時に魅了した。


 三船さんはその後も黒澤映画に出演を重ね、国際的に通用する大スターへと進化を遂げる。世界のミフネである。現在の若手俳優にも優秀な人は大勢いるが、ミフネ級のスケール感を感じさせてくれる人は少ない。今後も現れることはないのではないか。真の意味で、不世出の逸材であった。


 食われてしまった志村さんだが、この映画のヒーローは、あくまでも真田である。黒澤ヒーロー群の中でも、最もカッコいいキャラクターではないかとさえ思う。エリート軌道に乗り損ねた逸脱者である。

 腕も立つし、正義感も強いが、性格的な理由で、出世には縁が薄い。映画に限らず、現実でも、そんな人に俺は惹かれる。黒澤監督もそうだったに違いない。だからこそ、真田を創造し、志村さんに体現させたのだ。


 物語は「真田と松永の遭遇」で幕を開ける。松永の左手に突き刺さった釘(実際は弾丸)を摘出する場面は、今観ても痛い。患部が直接映し出されるわけではない。でも、凄く痛そうなのは、演出と芝居が巧みゆえだ。麻酔はないのか!と吼える松永に対して、あるものかと応じる真田が面白い。


 ギャングの世界は非情である。松永が病魔にとりつかれていることがわかった途端に、これまで彼を持ち上げていた連中が、逃げ散るようにして離れてゆく。まあ、同じ現象は堅気の世界にもありえることだが……。

 落ち目の松永の代わりに持ち上げられ出したのは、岡田の兄貴(山本礼三郎)である。山本さんはまさに適役。凄味も迫力も充分で、西部劇に登場する殺し屋みたいだ。特技はピストル…ではなく、ギターというのがいい。


 真田医院には、化物じみた患者しか来ないのかと云うと、実はそうでもない。久我美子扮する聖少女(と、表現したくなる美しさ)と酔っ払いドクターが展開する微笑ましいやり取りは、ギャング映画のアクを洗い流す効果がある。時間は短いが、屈指の名場面だと思う。魔女代表の奈々江(木暮実千代)に対抗する役と云える。彼女は「泥中の蓮」の化身かも知れない。〔3月29日〕

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