第36話 条約の保護下で…

今日は、どういう日だったか…。

代り映えしないとは言い難いが、何とも言えない日だった。

昨日よりも、船が増えていた。

そして、せわしなく兵士達は何か準備をして慌ただしく過ごしていた。

そのため、銃に触れることなく走り込みや腹筋、あとカチューシャから格闘術の指南…。

指南と言っても殴られまくっただけだ。

武器を使った訓練はなく…どことなく暇…というか、やっぱり代わり映えの無い一日だった。


そんなわけで、日は落ち俺はジャンヌが待ってるであろう司令部に行き、ジャンヌと共に部屋に入った。カチューシャもあとから来るだろうと思った俺は、何も考えずに席に座った。

また、力学的な身体の動かし方とか、微分とか、積分だろうとばかり思っていた。

でも、今日は違った。


「こんばんは。」

「…こんばんは。」

「それじゃあ、授業をはじめますか。」


時計の針は…どうせもいい。

どうせ時間なんて気にしたところでこの授業が短くなるわけではない。

それに、そんな素振りをしたらすぐに、彼女の目がこちらに向くだけだ。

そして、彼女から一瞬だけ発せられる殺気を感じ、数舜(すうしゅん)の沈黙がこの場をつつむ。

ちなみにカチューシャの場合は、すぐに俺を叩いてくる。

…どちらが身体にこたえるのかと言うとジャンヌの方だ。

俺の精神と身体の両方に影響を与えてくるからだ。

もっとも緊張感による身体のこわばり…ということだ。


「ああ、よろしく。」


俺は、ただそういうとジャンヌは黒板に何かをチョークで書き始めた。

彼女が書くたびにチョークは砕け、小さな粉が部屋の中を舞う。

あまりいい気持ちはしなかった。


しばらくして、ジャンヌはチョークを止めて俺の方を見てくる。

俺は黒板に目を合わせ文字を確認する。

ただ、黒板には『捕虜(ほりょ)の扱い』と書かれていた。

俺から見て左側にそう白いチョークで、その文字の下に右手を置き顔だけをこちらに向けていた。


「今日は、このテーマですね。」

「…捕虜の扱い?」


俺はそう口に出す。


「はい、そうです。捕虜の扱い方について教えておきますね。」

「…必要なのか?」

「必要になるかと思いますよ。あと捕虜の扱いですが、正確には捕虜としての扱われ方もとい…生き残る方法です。」

「…生き残る方法?」


そもそも、捕虜ってなんだろう。

人質のようなものだろうか…。

あいかわらず知識のない俺にとってはそれもまた異質な物だった。


「まあ、そもそも大前提として昇(のぼる)さんは捕虜という言葉をご存知ですか?」

「知らないわけではないけど…シベリアとか…そんな感じの言葉くらいだよ。」

「そうですか、ところでなぜシベリアが?」

「俺のお母さんの友達の親戚の人がロシアの捕虜になってシベリアから帰ってきた…って、いう話を聞いたことがあって…。でも、その話を聞いただけだからそれだけだよ。」

「シベリアは過酷な場所でした…。」

「そうなの?」

「そうですよ。昇さんが知っているよりも地獄ですよ。」

「俺は知っているわけじゃないけど…。」


ジャンヌは少しばかり何かを考えていた。

そして、チョークを置くと俺に話し始めた。


「ジュネーブ条約での捕虜の定義は紛争当事国の軍隊の構成員及びその軍隊の一部をなす民兵隊又は義勇隊の構成員である。また、紛争当事国に属するその他の民兵隊及び義勇隊の構成員…レジスタンスもたぶん入りますね。たぶん、ここの判断は難しいと思うのでこの次が昇さんには重要ですね。次にその領域が占領されているかどうかを問わず、その領域の内外で行動するもの。但し、それらの民兵隊又は義勇隊は、次の条件を満たすものでなければならない。その1、部下について責任を負う一人の者が指揮していること。その2、遠方から認識することができる固着の特殊標章を有すること。…小銃で攻撃する際に階級章が確認できるか否か…。その3、公然と武器を携行していること。見た感じ武器を背負っている人。その4、戦争の法規及び慣例に従って行動していること…まあ、そんなに考えなくてもよさそうですね。…4番目は。この先もジュネーブ条約は続きますが今はこのくらいにしておきましょう。」

「…なあ、ジャンヌ?」

「はい、なんでしょうか?」

「そもそも、ジュネーブ条約って何?」

「あっ…まずそこからでしたね。」


ジャンヌは少し悔しそうにこちらを見てきた。

俺はというとジャンヌがゆっくり話してくれたのに…よくわからなかった。


「ジュネーブ条約はですね…。」

「はい。」

「まず、スイス人実業家のアンリ・デュナンが2つほど提案したんですよ。」

「提案?」

「はい、彼は戦場での光景を目にしていてそれで戦争の犠牲者を改善したいと思って、1つ目に戦場での負傷者と病人を敵・味方の区別なく救護するため、平時から救援団体を各国に組織すること、2つ目に戦時下の救護員や負傷者を保護することに関して国際的な条約を結んでおくなど、各国の同意を得ること…この2つを提案しました。」

「敵、味方区別なくか…。」

「そうですね、普通に考えて無理だと思いますよ。どんなに敵兵の方が性格がよくても自分の国の性格が悪くて死んでもいい奴の方を助けると思います。」

「…そうだね。」

「とはいえ、その考えに賛同してくれる人が居たのも事実ですね。戦死した兵士の家族も…私はその時代に生きていたわけではないのでわかりません。」

「もしかしたらか…。」

「そして、その後『5人委員会』が設立されてその後『赤十字国際委員会』になります。そして、1864年にジュネーブ条約が出来上がります。」

「それが、ジュネーブ条約なんだ。」

「はい、そうです。…まあ、この世界にはそんな条約ありませんけどね。」

「え?」

「ないんですよ。そもそも、その条約が。」

「…どういうことですか?」


俺がジャンヌにそう言うとジャンヌはバツが悪そうに顔を下に向け、またもう一度俺の方に目を向け再び部屋の床に彼女は目を向けた。


「…その…言いづらいのならいいんだけど。」


自分で考えてから言うべきだったと思った。

捕虜の扱い…ジュネーブ条約について…それが俺の世界ではどのようなものであり、どんな事が起きていたのかもわからない。

しかし、会話からある程度は推測できたはずだった。

けれど…俺はただ話を聞いていただけだった。

怠惰…だと、俺は思った。


「いいえ、そんなことはありません。」


俺の考えをよそにジャンヌはそう答えた。


「条約が無い…というわけではなく、そもそもボナパルト様みたいな方が多いんですよ。この世界には…そして、彼らは昇さんが居た世界で生きていて死んで…その後の世界の情報を得て…今、この世界に居ます。」

「…その…ジャンヌ…どういうこと?」

「つまり、知っているからこそ目障りに思えて仕方がない…ということです。」

「…目障りって。」

「あはは…なんて、そんなことはないですよ。ちゃんと大使館だって置かれている国は置いてありますよ。それよりも、昇さんは捕虜の条件を覚えてくださいね。」

「捕虜の条件か…全部覚えなきゃダメ?」

「はあ…軍隊は国の誇りです。そもそも、覚えておかないと近いうちに昇さんは虐殺をすることになりますよ。」

「…虐殺!」

「そうですよ、昇さんはまだ若いのでその傾向があります。もっともまだ未然に防ぐことができるのでご安心ください。」


「…それならいいんだけど。」っと、返しはするのだがジャンヌは俺が近いうちに虐殺を行いそうだと思っていることがわかり、少し辛かった。

俺がどれだけ信頼されてないのかがよく分かった。

そもそも、俺がただの高校生だからということもあるのだろう。

とはいえ、俺がこの下関に来るまでに出会った兵士は俺と同年代かそれより下の人だった。

そして、彼らが自分から志願して兵士になったこともその時わかった。

俺とは違い彼らは成長していた、人として誇らしく…そんな精神的な面で成長を遂げていた。


「さて、それでは捕虜の待遇に関するジュネーブ条約、143条すべて覚えてもらいましょう!」

「はぁあー!」


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