血を飲む写真

 付き合いだして一か月目の記念日の日だった。

 最愛の彼女は、デートの待ち合わせ場所に来る途中、車にひかれてあっけなく死んだ。

 後に残されたのは、泣き叫ぶ彼女の両親。「悲しい、悲しい」と嘯き合うことで友情を確認しあうクラスメイト。そして、涙を流せない僕。

 本当に彼女を愛していたからこそ、涙を流すことはできなかった。涙が枯れるまで泣いた訳ではなく、最初から流さなかった。涙を流すことで彼女を忘れる準備をしているような気がして、僕は涙を拒絶した。もちろん、泣いている人を軽蔑したわけではなかったが。

 彼女がいなくなっても、彼女の事だけを考えていた。笑顔が素敵な女性だった。

 ある日、唐突に死にたくなって手首を切った。もちろん、成功はしなかった。カミソリは僕の手首の薄い皮膚だけを丁寧に切り裂くに留まった。どうして急に死にたくなったのか自問してみたが、理由は分からかった。死んだからって彼女に会えるわけではない。この世に死体が増えるだけだ。

 でも、その時、驚くことが起きた。僕の手首から流れ落ちた血が彼女の写真にかかった瞬間、写真の中の彼女が動き始めた。まるで生きているように優しく微笑み、口を開き、こちらに手を差し伸べてきた。もちろん、彼女に触れることはできない。だってこれは写真だから。それでも、こうして動いている彼女を見るだけで、僕の心の空虚感は大いに癒された。

 やがて彼女は動かなかくなった。血が足りなくなったのだろう。

 僕は速やかに手首を切ると、彼女の写真にぽたり、ぽたり、ぽたりと垂らした。やはり彼女は動き出した。柔らかく微笑み、口を開き、手を動かし、コロコロと笑い、しゃべり、寝て、起きて、会話をして────。

 彼女が動けるのは、写真に血が濡れている間だけのようだった。血が渇けば彼女は動かなくなる。だから僕はもっと深く手首を切った。血は噴水のように勢いよく飛び出し、天井を濡らした。

 ああ、もったいない。と、僕は彼女の写真に血をしっかり浸す。彼女はうっとりとした表情を見せると、その血を掬って口に運んだ。そして、コロコロと楽しそうに笑う。

 僕はその笑顔を見るだけで天に上る気持ちだった。

 ふと見ると、目の前には母がいた。何やら泣き叫んでいる。私の手首を取って強く握り、止血しようとしている。僕は億劫に感じながらその手を引き抜いた。また血が噴き出す。

 邪魔をしないで欲しい。僕は彼女の笑っている顔が見たいんだ。ああ、そうか。彼女のことを紹介していなかったね。笑顔が素敵な彼女なんだ。ほら、見てごらん。素敵な笑顔だろう────。

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