118.居心地がいい場所を捨てる覚悟

 懐かしい夢を見た。


 日本で、家族と最後に話した夜の食卓だ。翌日に異世界に召喚されるなんて知る筈もなく、学校であった笑い話を面白おかしく話して、笑う両親にご機嫌だった。幼馴染で親友のあいつも一緒で、楽しかったな。なんてことがない、普通の風景を見ながら涙が滲む。


 幽霊のように食卓の上から俯瞰して眺めるオレの手が伸ばされ、でも何も掴めなかった。学校でいきなり足元が光って、オレは異世界にいた。あの頃は知らなかったんだ。オレを召喚する際の光やエネルギーが誰の命だったか、なんて。あの場にいた友人や同級生、それだけじゃなくて国中を巻き込んだ。


 もちろんオレが望んだ結末じゃないが、結果として生き残ったのはオレだけ。死んだ方がマシだと思ったが、生きている以上自殺なんて出来なかった。生きていたかったのに殺された奴、夢が叶う瞬間に奪われた奴、告白に成功して喜んだ直後に命を失った奴……想像するだけで心が千切れそうだ。


 この罪深い景色を生み出した、そもそもの原因はリリィ――誰より残酷で厳しく、だけど美しい女。彼女の過去の言葉に何かヒントがあるんじゃないか? 目の前の一家団欒を見ながら考える。懐かしい景色が滲むことはなくて、幽霊だと涙すらないのかと自嘲した。


 ――必要だから与えただけよ。私のことは、リリィと呼んで。名前を聞いてもいいかしら?


 出会ったあの日、彼女はそう名乗った。ふと気になる。必要だから与えた……あの時はオレが生きるために必要な糧を与えたという意味に受け取った。だが、違うとしたら? 彼女にとってオレの存在が必要だから与えた。名前もそうだ。リリィと呼べと言われたが、それが本名か言及しなかった。


 オレに嘘は吐けないと言ったその言葉が真実なら、都合よく誤解させる言い回しの中にヒントがある。


 目の前の懐かしい夢に目を細めた。母親が作った唐揚げを頬張るオレは、あんなに幸せそうな顔をしていたんだな。最後の一個を親友と取り合って……譲ってやればよかった。いや、そんな結末はあいつも望まないか。オレが頬張って、苦笑いした母が「また作るわよ」と言った。


 ――魔王が邪魔。なら、どうしてあなたを召喚出来たの? 召喚と帰還、どちらでも条件は同じよ。誰が使っても、魔術式と魔力量が同じなら、そっくりの事象を起こせる。それが魔術だもの。


 言葉を置き換えてみる。魔王は邪魔、召喚のためではなく女神の立場からの発言だとしよう。置き換えた言葉を戻せばいい。オレを召喚する魔法陣に、魔王の封印を破る魔術が混じっていたら? 長い時間で緩んだ封印の間から、人間を唆す。


 発動時の魔力だけ注げば、起動に必要とされる膨大な魔力は異世界から補えばいい。どちらも条件は同じ。つまり封印と解放は同じ魔法陣でそっくり入れ替えが可能。それが魔術なのだ。


 まだ談笑し続ける幸せな光景は、見れば見るほど心に刺さる。傷から血を流し続けるオレの心は、それでもまだ見ていたいと叫んだ。血を流し切ってもいい。それが贖罪になり、彼らを呼び戻せるなら……そう思うのに、後ろ髪を引く存在がいた。


 戻ってきて。お願い。


 その呼び声に答えようと振り返ったオレは、無意識ながら選択を済ませた。ぽつりと頬に落ちる涙を拭い、それ以上に濡れた頬に苦笑いする。歪んだ視界の先で、銀髪の少女はくしゃりと顔を歪めた。

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