109.前夜の静けさ

 渋い顔をしたものの、ヴラゴも分散以外の手立てはないらしい。他の方法を提示してこなかった。最終的に術が解ければ痛みは消える。同時に術で無理やり束縛された魔王の魂も解放されるはずだ。引き受けた痛みが消える日は、魔王イヴリースの二度目の命日になるという意味だった。


「解放を望んだらいいのか、迷うなぁ」


 天井を見ながらぼそっと呟いてみる。隣で寝転んだエイシェットは腕にしがみ付き、柔らかな体で寄り添っていた。当初の過激な言動と裏腹に、エイシェットは貞淑な妻という形式に拘る。周囲のドラゴンが教えてくれた母親が、夫を陰から支えるタイプの妻だったようだ。


 母のようになりたいと願い、憧れを育てた彼女は自分なりの解釈で頑張っていた。番となった相手は夫と同じ。だからオレの決断は基本的に尊重して協力する。だが、本当に危険な場合はやんわりと止める。止められないと判断したら、自分も一緒に行く決断をした。


「エイシェットは可愛いお嫁さんだぞ」


 オレには過ぎた嫁さんだ。そう滲ませて彼女の銀髪を撫でた。こんな穏やかな時間はしばらく遠ざかるだろう。リリィと敵対することはもちろん、イヴリースの痛みを引き受けたら今までとは違う。嬉しそうに頬ずりする彼女に八つ当たりをするかも知れなかった。


 殴ったり蹴ったりはなくても、言葉も十分に暴力になり得る。痛みに任せて「近づくな」と言うだろうし、エイシェットが傷つきそうな言葉だった。


「もしオレがお前を傷つけたら、殴ってくれ。目が覚めていつものオレに戻るから」


 痛みのせいで見る悪夢だから、必ず目を覚まさせてくれ。そう告げておく。頷くけれど、エイシェットは自分の手を見て困ったような顔をした。力加減が難しいか? 首が吹き飛ばなけりゃいいさ。


 ヴラゴは術式を準備するために、エルフの婆さんを呼び寄せた。自らの死が公表されているため、現時点で姿を見せるのは得策ではない。オレとヴラゴが署名した書類を運ぶのは、蝙蝠の中でも小柄ですばしっこさに定評のある若者だった。


 託した手紙への返事は、きっと転移だ。だから彼女が来たらすぐに動けるように、この場で待機だった。出来たらまともに話せるうちに、双子のフェンリルに顔を見せておきたかったな。薄暗い洞窟の奥はクーラーが効いた部屋のような快適さがあった。


「決断したの?」


「僕達も引き受けられたらよかったんだけど」


 思いがけない声に起き上がり、出っ張っていた岩に頭をぶつけた。くそ、顳の肉が薄いところじゃねえか。痛みに呻きながら、もそもそ這って移動する。長く暗闇にいたのでぼんやりと岩の形はわかるが、確実ではない。体を低くしている方が安全だった。


 立って歩ける高さでようやく身を起こせば、エルフの婆さんが笑いながら肩を叩く。


「あんた、思ってたより大胆だね。見直したよ」


 ゆらゆらと尻尾を振りながら、洞窟内を窮屈そうに進むフェンリルの姿に目を見開いた。婆さんに揺すられながら、双子に向けて手を広げる。そのまま勢いをつけて抱き着いた。

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