第17話 血反吐

「あれは我が魔族であったころのことだ」


 ひとしきりバスティアンの告白を聞き終えたあと、なにかにうなずいて、アンジェリーナは唐突に語り始めた。


 オーギュストは古い友人の思ったより深い絶望に絶句していたし、語りながら己の中にあるものを明確にしてしまったバスティアンは奇妙な笑みを浮かべながら疲れ果てたように視線をテーブルに落とすだけだ。

 バスティアンにかんしては、己が想定していた以上に己のことを語りすぎてしまったことに困惑していた、というのもあった。


 だから重い沈黙がしばらく続くに決まっていた。

 けれど、アンジェリーナがそれを許さなかった。


「人類が肉のうつわに魔力が宿ったものであるとするならば、魔族というのは、まず魔力があり、それが意思を持って己の魔力で肉の器をみ上げた存在よ。それゆえに、姿かたちには自由度・・・があった。にもかかわらず、肉体を幾度いくど失ったとしても、だいたい、毎回、似たようなかたちを編む。なぜだかわかるか?」


「……えっ……と、それは、私に聞いていらっしゃいます?」


 視線を向けられたので、バスティアンは自分を指差しながらたずねるしかなかった。


 アンジェリーナは眼帯をしていない方の目でバスティアンを見つつ、


「当たり前だ」


「えーっと……そ、そ、それは……好きなかたちでも、あったのでは、ないでしょうか……?」


慧眼けいがんよな。おおむね、その解釈かいしゃくで間違いない。意思のかたち。自分で器を作り上げるなら、毎回そう・・なってしまう形状。すなわち━━『魂の形状』。誰もこれをじ曲げることはできぬのだ。我が右目が現世の肉体においても、魔力の影響で漆黒に染まってしまっているようにな」


 包帯をびっしり巻いた左手で、眼帯をした右目をおさえる。


 アンジェリーナはその姿勢のまま、


「魂の形状をゆがめることなど、誰にもできぬ。世界にも、環境にも、友人にも、家族にも、己自身にも、だ」


「……それは、どうでしょうね」


「指を曲げた時に、『手のかたちが変わったのだ』と思うか?」


「それは、思いません、けれど」


「魂とて、ある程度の融通性ゆうずうせいがあろう。だが、そのある程度・・・・を超えてかたちを歪めようという力にさらされ続けると、壊死えしする」


「……」


「魂の形状を歪めることができんというのは、そういうことだ。魂が不動不変という意味ではない。強い力にさらされて折れると死んでしまうから、歪めることをしてはならない、という意味だ」


「……それで、その、な、な、なにを、言いたいのですか、ミス・アンジェリーナ」


「貴様は、己が殺されかけていると自覚すべきだ」


「……」


「きちんと血反吐ちへどを吐くべきだった。助けを求めるべきだった。魂が奇妙な曲げ癖・・・をつけられる前に、自分が死にかけていると自覚すべきだった。死に物狂いで悲鳴をあげるべきだったのだ」


 アンジェリーナの言葉に━━


「ハッ」


 バスティアンは、自分でもおどろいてしまうほど、皮肉げな笑みがこぼれたのを、感じる。


 家格が上の貴人に対して、あからさまに失礼な表情だ。

 それに。……それに、今、ここで感じた不満を口にしたって、なにも変わらない。すべてはすでに決定されている。自分の怒りや不平など、言っても支配者の機嫌を損ねる以上のことはなにもない。


 だというのに、


「誰が、私を助けてくれると?」


 言葉を胸におさめることが、できなかった。


 目上の貴人の前で━━


 古い友人である第二王子の前で、言葉が止まらない。


「血反吐を吐いて、助けを求めて、誰かが救ってくれるなら、それは、ええ、ええ、さぞかし素晴らしいことでしょう。けれど、私を救ってくれるに足る力のある者など、私の周囲にはおりませんでしたよ」


「……」


「父は論外! 兄たちも支配者の側! 母も父の思想を焼き直されただけ! 使用人もみな、父には逆らわない! オーギュスト殿下とて━━私を救うほどの力はお持ちでない!」


「……」


「では、私が欠かすべきでなかったのは自助じじょ努力か? そんなものでなにかが変わる状況なら、私は絶望などするものかよ! 私は、私は……私のままで認めてほしかったのでしょう。騎士になど向いていない私が、私を騎士に向いたかたちに叩き直さずとも、認めてくれる環境を求めていた!」


「そうか」


「向上の努力をおこたったとおっしゃられますかな? 不断の努力! ひたすらの邁進まいしん! 汗を流し、手に豆を作り、決して下を向かず、どれほど叩かれても勝利をあきらめず! 正々堂々と強者にも正面から立ち向かう! ああ、素晴らしき騎士道だ! ただ騎士の家に生まれただけで、そんな人格になれと! なんという━━残酷なことか!」


 立ち上がり、叫んだ。


 昼時の庭園だという状況は頭から消え失せていた。

 周囲の貴族たちが『聞こえていないフリ』さえ忘れてこちらを見ていることなど、もはやどうでもよかった。


 王子を無力だとののしることになっているのはわかっている。

 あの・・ミス・アンジェリーナの前で無謀にも反抗的な態度をとっているのも理解している。


 けれどもう、そんなもの、全部、どうだっていい!


「私は騎士になりたくなどない」


「そうか」


「向いてないんですよ。気合いが足りないだの、根性がないだの言われて、『そうかもしれない』と思った時期もあった。けれどね、どうにも、違うんです。あなた風に述べるなら、私の魂は騎士の形状ではなかった」


「そうか」


「私は、なににもなれないまま、死んでいくんですよ。誰にも救われず、自分でも自分を救えず、死ぬことも許されず、死ぬ勇気もなく、死んでいく、空っぽの、肉の器なんです」


「そうか」


「…………そうか、そうか、と。そればかりですね。気分を害されたのなら、どうぞ、いかなる裁きでも。今の私は、なにが来ようが、誰にるいが及ぼうが、さほど気にならない気持ちですよ」


「もういいのか?」


「ええ。もうありません。なにもね」


「血反吐を吐けたようだな」


「……⁉︎」


 目を見開いておどろいた。


 次いで顔がほてっていくのがわかった。


 ……たしかにそうだ。

 今のはアンジェリーナの言うところの『血反吐』だった。長年痛み続けていた傷口から噴出した、古い、腐った血液だった。


 まんまと誘導されたことに気付いて一気に恥ずかしくなっていく。


 今日出会ったばかりの、しかも一つ歳下の、わがまま放題で育ってきたという噂の貴族令嬢に、こんな、傷口をさらけ出すようなまねをしてしまったのだ。


「……なんという、失態だ」


 家格の高い貴人に無礼なことを述べた事実よりも、衆人環視の中で自分の家や第二王子への不満をぶちまけたことよりも、恥ずかしい。


 肩に乗せて体の前側に垂らした髪のふさをぎゅっと握る。

 唇を噛んで視線を落としているけれど、真正面からこちらを見ているアンジェリーナの視線は感じる。


「失態とは言うがな。貴様のこうむった被害は『羞恥心しゅうちしんを感じた』という程度よ。それ以上の被害は、なにもない」


 なにもない。


 今の無礼は不問とする、という宣言だった。


 だから、ますます、恥ずかしくなる。


 黙り込むバスティアンに、アンジェリーナは……


 あろうことか、微笑みかけた。


「言うだけ言ってみるというのも、悪くはなかろう?」


「ッ……!」


 歳下の、わがまま放題の、なに不自由なく育った、令嬢ごときが、自分のすべてを見透かしたようなことを言う。


 その感覚たるや、言いようのない、人生において経験のない、不可思議なものだった。


 顔が熱い。胸が熱い。

 耐え難い羞恥心だ。身を焼くほどのこの感覚に戸惑い、慌てふためき、バスティアンはつい、


「私は、あなたのことが嫌いなようです!」


 ……言ったあとで、子供みたいなことを述べてしまったと冷静に思い、ますます恥ずかしくなる。


 羞恥心をごまかすために人に『嫌いだ』と言ったり、にらみつけたり、なんていうみにくい振る舞いだろう!


 けれど。

 彼女の瞳に見つめられると、諦念ていねんという大人のからがはがれて、子供のころの、むき出しの心が刺激されるのだ。


 まだ輝けるものが未来にあるのだと信じていたころの自分が、今までの窮屈きゅうくつさから解放された喜びで、暴れ回るのだ。


 アンジェリーナはバスティアンの『子供のような態度』を見て、余裕ある笑みを浮かべつつ、


「そうか。我は気に入っているがな」


「、の、ッ……!」


「そう顔を赤らめるな。宮廷魔術師がそんなにも赤面しやすくては、大事な儀式の場で格好もつかなかろう」


「だから! 私は! 宮廷魔術師にはなれないとッ!」


「貴様の未来予想なぞ知らぬ。我が『する』と述べた。ゆえに、貴様は『なる』。それだけだ」


「どうやってだ⁉︎」


「さて? 具体的な方法はなにも。ただ、オーギュストが『する』と言い、我もそれに賛同する。先ほど、貴様はオーギュストに力がないと述べたが、我ら二人をそこまで無力と思うか? 本気で王位を目指すようになった我らを」


「それは、なんの保障にもなりませんよ!」


「保障がほしいなら騎士を目指せ。魂を殺してな」


「……」


「貴様は安定よりも輝きを目指して飛ぶ魂の持ち主と、我は推測したが。ああ、そういえば答えを聞いておらんな。━━我が推測、貴様の人物評価。どうだ、本人からして、間違っているところはあったか?」


 ない。


 見てきたように正確だ。

 それはもちろん、具体的なことはなにも言っていないからというのもあるだろうけれど、概要について、多少解釈の余地によるゆらぎはあっても、正確だと判断してしまう。


 ただ━━この女を認めるというのが、奇妙なまでに、しゃくに触る。


 もう、ボロボロだ。


 あきらめをよろって積み上げてきた時間のすべてはとっくに崩されていた。

 むき出しになった子供のままの心に、この女の視線は、どうしようもないほど突き刺さる。


 でも。

 それは、まったく、不快ではない。


 だからこそ恥ずかしい。

 だからこそ素直に彼女を認めたくない。


 バスティアンは初めて抱く気持ちに戸惑いながら、


「…………っ……すよ」


「なんだと? 声が小さくて聞こえん」


「チッ! 合ってますよ! ええ、正確でしたとも! あなたを認めるのは、大変、腹にえかねるものがありますがね!」


「ははは! オーギュスト、聞いたか! こいつ、舌打ちしおったぞ! 学園に来てからというもの、舌打ちなど初めて聞いたわ!」


 アンジェリーナは楽しそうだった。


 バスティアンはもう一度舌打ちをして、


「前評判からいけすかない女だとは思っていましたが、実際に話してみると、前評判とは違った方向でイラつく女ですね、あなたは!」


「そちらが本来の貴様か! うむ、先ほどまでのおどおどした様子より、よほどいい。よほど我好みだ」


「あ、あなたの好みなんかどうでもいいですよ!」


「まあそう言うな。長い付き合いになる。互いの好みを承知しておくのは人間関係を深める上で重要であろう?」


 と、アンジェリーナは手を差し出し、


「改めて、我が名はアンジェリーナ。魔王の転生体にして貴族令嬢よ。オーギュストを支え、これを王にすべく補佐する者だ。貴様も名乗れ」


「……貴人からの名乗りを受けながら、名乗らないわけにもいきませんね。私はバスティアンと申します」


「それだけか?」


「……オーギュスト殿下を支え、そして…………」


「…………」


「ニヤニヤするな! ……私は、オーギュスト殿下を支え、宮廷魔術師としてお仕えする者です! これでいいですか⁉︎」


「ちなみに貴様、最初に我が名を聞いた時には名乗り返さんかったよな」


「やっぱり私、あなたのことが嫌いなようです!」


「そうかそうか。我は話すたびに気に入っているところだ」


「こ、のッ……ええ、もう、好きにしてください!」


「ところで、明日から我にも弁当を作ってきてはくれんか?」


「誰があなたなんかに!」


 ……イラついている、はずだ。

 嫌いな、はずだ。


 でも、なぜだろう。


 アンジェリーナとのやりとりは、不思議なほどに、安らぐ。


 嫌いだと口で述べても、ついつい声を大きく張り上げてしまうぐらいに過剰反応しつつも━━


 いや、ついつい過剰反応してしまうぐらいに感情がゆさぶられるからこそ、楽しいのかも、しれない。


 でも、それを認めるのはあまりにもしゃくで、だから、認めそうになるたびに、『嫌いだ』と言ってしまう。


 この無礼をすべて見透かしたような顔で受け流され、ますます、恥ずかしくなり、声が大きくなってしまう。


「本当に、いけすかない!」


 そう叫びながら、バスティアンは『絶対に弁当など作ってやるものか』と思い━━


 翌日、オーギュストに作る弁当をつい・・うっかり・・・・倍の量に増やしてしまうことになるのだから、本当の本当に、頭を抱えて赤面するしかなかった。

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