第16話 輝けるもの

 年上の兄たちが自分より強いのは当たり前で、子供のころから敗北だけを積み上げてきた。

 兄たちは年齢差による体格差や、修練についやした時間の差から生じる技術の差についてを勘定かんじょうしない人たちで、『負けた方が悪い』『勝った方が強い』という単純な価値観で生きていた。

 それが武官のかがみだの騎士のほまれだのと表現される環境にうまくなじめなくて、幼年期のバスティアンにとって『騎士を目指すための行為』すべては苦痛となった。


 しばらくすると背は伸びた。


 けれど鍛錬たんれんに打ち込めないせいで、体は細かった。


 だんだんと『貴族の三男』というのがどういうものなのか理解も進む。

 長男は家を継ぎ、領地収入などで生きていくのだろう。

 次男はさる貴族のご令嬢のもとに婿むこ入りが決まっていた。先方もいわゆる『騎士の家系』だ。家と家の結びつきが強くなるし、向こうの家では家督かとくを継ぐ手筈てはずになっているらしかった。


 まだまだ幼いバスティアン少年にとって『将来』というのは遠い遠い未来の話だった。

 けれどその遠い未来で生きている自分が想像もつかない。

 騎士をやるのは苦痛だった。自分は騎士たちのあのノリにどうしてもなじめなかったし、そういうノリの人たちと集団生活をするなど考えただけでも怖気おぞけが走る。


 なにかで身を立てる必要があった。

 騎士ではない、なにかで。


「君は綺麗な翡翠ひすい色のひとみをしているね。すごい風の魔法使いになりそうだ」


 ……兄に連れて行かれたパーティーで、澄んだ青い瞳の少年にそんなことを言われた。


 その少年は自分より一歳年下で、彼もまた、兄にくっついてパーティーに連れて来られたのだという。


 バスティアンはその少年と一気に仲良くなった。

 騎士になる以外の道を示されたのが初めてで、その感動が大きかったのもあるだろう。

 騎士以外になりたかったバスティアンはしかし、騎士以外の将来など想像もつかない環境におかれていたのだ。


 その少年がパーティーの主催者の弟、すなわち第二王子のオーギュストだったと知るのはだいぶあとのことだ。

 バスティアンは少年と無邪気に遊ぶ約束を交わし、遊ぶたびに魔法についての情報を求め、修練しゅうれんを積んでいった。

 ……家には魔法にかんする情報がまったく転がっておらず、父も母も兄も、魔法について話題に出そうとすると、顔を険しくして今にも殴りかかってきそうになるから、怖くてたずねることもできなかったのだ。


 家族に秘めながら行った修練はすぐに進歩につながった。

 一つ学ぶたびに三つも四つも自分が『魔道まどう』を駆け上がっている感覚がある。

 騎士の鍛錬たんれんではついぞ感じることのなかった『成長する快感』に酔いしれ、バスティアンはあっというまに魔道のとりこになった。


 オーギュストの立場があきらかになり、王族というものがいかに天上てんじょうの存在なのか実感できる知識・常識が身についたあとも、不思議な関係性は続いた。


 オーギュストは寛容かんようだった。

 あるいは王族にとっての最近の・・・通例である権力闘争に巻き込まれたのかもしれないという思いもチラリと頭をよぎったが、オーギュストが王位を求めていないのを知り、そんな疑いを抱いた自分を恥じた。


「君は宮廷魔術師になる。僕は吟遊詩人にでもなろうか。そうなっても、僕の友達でいてくれるかい?」


 いななどありようはずもない。


 オーギュストは物腰が穏やかでそつがなかった。

 彼はきっと吟遊詩人もうまくやるだろう。


 自分も魔道をうまくやっていこうと思った。

 なにせ、騎士以外ないと思っていた自分の人生をひらいてくれたのがこの魔道というものだ。これには人生を懸けてもいい感触があったし、人生を費やしても後悔しないだけの魅力も感じていた。


 こうして幼いちかいはわされた。


 宮廷魔術師と吟遊詩人。

 目指す先は違っても、きっと、この日に誓い合ったものになるのだと。いかなる障害があってもこの誓いだけは守り抜くのだと。……どんな宝石よりもきらびやかで価値のあるものを、バスティアンは手に入れたつもりでいた。


 けれど、その宝物を守り抜くには、彼らは弱すぎた。


 ……ある日、家からの命令で続けさせられていた騎士の鍛錬中に、兄を倒した。


 それは魔法知識の賜物たまものだった。


 剣技と魔法を併用し、戦術を練って兄の精神の間隙かんげきを突いた。


 さんざんやられた意趣返しとか、そういう意図はなかった。

 魔道という学問のさが・・、というのだろうか。思いついてしまったからには実験してみないことにはいられないという、学術的好奇心がバスティアンを勝利に向けて動かした。


 そうして、結果を出したのだ。


 騎士としての立ち合いで魔法を使ってならないというルールはない。

 実際、兄たちも両親も、『勝った方が強い』『負けた方が悪い』という価値観を普段から公言している。その価値観はフェアだと信じていた。


 でも。


「魔法はいかん。魔法は卑怯だ」


「だいたい、肉体を鍛え、剣を振り続けた兄の手に比べ、お前の白くやわらかい手はなんだ。豆の一つ、いや、百や二百もない手には、真の強さは宿らん」


「軟弱なその体には、魔法を使って兄を出し抜こうなどという、卑怯な精神が宿るのだ。反省し、己を鍛えろ。魔法を使おうなどと考える前に、きちんと正面から立ち合い、勝利しろ。それこそが、真の勝利である」


 どうやら、この世には明文化されていないルールが大量にあるらしいと気付かされた。


 父は支配者だった。

 兄たちは支配者に気に入られていた。

 だから見えないルールは兄たちが有利なようになっていた。


 勝利も敗北もよくわからない。

 立ち合いで相手を倒した方が勝者だというのはただの幻想で、倒してなお支配者に気に入られなければ、その勝利はなかったことになるらしい。


 なにもかもが明確ではなかった。

 ただ一つはっきりしていることは、騎士を目指し騎士として生きることを至上とするこの家において、自分が勝者の側になることは絶対にないのだという事実だった。


 支配者たる父の認める『努力』以外は遊びであり、支配者たる父の認める『勝利』以外は敗北である。


 この家からは多様性が消失していて、それはどうにも、自分を取り巻くもっと広い世界も、同じようなものらしい。


「ならん。魔術師などを我が家から輩出するわけにはいかんのだ」


 騎士に向いていない自分が希望を持って積み上げ、努力して獲得したものは、そんな一言で簡単につぶされた。

 家を出て魔術師を目指すことさえ認められない。そもそも、家名を負わずに魔術師になることもできなければ、家の支援なしで生活していく方法さえわからない。


「王位継承権争いだが……我が家はリシャール様を支援する。が、お前はオーギュスト様と仲がいいようなので、そちらについておけ。万が一の時には、鞍替えするやもしれん」


 それは卑怯ではないらしい。

 父の価値観がわからない。きっと明確なルールや信念なんかないのだろう。


 騎士道なんていうものはどこにもない。

 自分を騎士だと思う支配者が通ったあとが騎士道と呼ばれるなにかになる。


 こんなわけのわからないものが力を持って、自分の努力を簡単にふいにしてしまえるのが人生だ。

 そうしてこの人生はこれから先もだいぶ長く続いていくらしい。


 この世界は、支配者が認めたことしかできない。


 自分の意思なんか、ない方が楽だ。


 ……そのころから、人の顔色をうかがうことが多くなった気がする。

 言葉を発するのが怖くなり、けれど、沈黙も耐えられない。次の言葉を思いつく前に次々声を発しようとくせいで、言葉は引っかかるようになり、口調もだいぶ早口になった。


 自分の価値なんか認めない方が楽だ。

 自分がなにかを成せるなんて、自分には支配者に用意された以外の未来があるだなんんて、考えない方が、楽だ。


「ねぇバスティアン。僕はきっと兄さんに継承権争いで負けるけれど、どうにも、降りることは許されていないみたいなんだ。きっちりと負けるまでやらないといけない。それどころか、負けたあとの人生まで、もう用意されている」


 穏やかな少年は、穏やかな顔のまま、そんなことを言うようになっていた。


「僕は吟遊詩人にはなれないよ。そもそも、そこまでなりたかったわけじゃない。ただ僕は、王様以外の夢がほしかったんだ。まわりに強制されるものじゃない、自分が見出した、自分だけの夢が」


 ……宝石よりも煌めいた、大事な誓いがあった。


 それはもう守れないと知っている。


 けれど、その残滓ざんしがたまに視界にちらつく時があって、そんな時はたまらず目を閉じて、唇を噛み締めるしかない。


「僕の夢はもう失われたけど、君はどうか、宮廷魔術師になれるといいね」


 ……わかっている。

 二人ともわかっている。二人が幼い日にした誓いは叶わない。


 どうしようもない支配者の定めたルールに従って生きていく。降りることは許されない。降りてみようという勇気もない。


 なににもなれないなら、最初から夢なんか問いかけないでくれ。


 自由を許さないなら、最初からすべての項目を埋めておいてくれ。


 夢なんか抱かない方が、楽だ。


 抱かない方が、楽、だったのに。


 どうして、なににもなれないとあきらめながら生きるこの人生で、あの日交わした誓いだけが、こんなにも心を救うのだろう?


 ……ああ、理解した。


 きっとあの誓いが人生で最初の『楽しかった記憶』で━━

 人生で最後の、楽しかった記憶になるのだろう。


 だから、誓いの残滓ざんしにしがみついて生きている。


 あの日の友情に未練がましくすがりつく。砕けた煌めきの欠片かけらを繋ぎ合わせても、もう、もとの輝きを取り戻すことはないとわかっている。

 わかっているけれど、それ以外に人生の楽しみを見出せない。


 これは輝ける思い出の話だ。


 もうどんなふうだったか思い出せない、わくわくした気持ちを知っていたころの残骸ざんがいは、今もたぶん、まだ胸に刺さっている。

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