第15話 未知の知
「はあ、つまり、お二人の関係は、オーギュスト殿下も納得のうえで続けていらっしゃる、ということ……なのですね?」
「そうですよ。納得というか、僕が婚約だの破棄だの破棄の破棄だのを言い出して振り回したのを、アンジェリーナに許してもらって続いている、というのが現状になりますね。つまるところ、僕らの関係は良好です。ねえ、アンジェリーナ」
ところがアンジェリーナは難しい顔をして考え込んでいた。
オーギュストは青い瞳で真っ直ぐに婚約者を見て、
「アンジェリーナ?」
「……む。いや、なんだ。我らの関係性について一言で表現するのは、なかなかに難しいと思ったのだ。知っての通り我が前世は『魔王』である。これは慕われる王であったと迷いなく断ずるところではあるが、魔族には婚約というような関係性がなかったゆえにな。いまだにこの関係性の受け止め方について、答えを持たぬところがある」
「つまり、君からして、僕らの関係性は『良好』ではないと?」
「……その聞き方は卑怯だな。ああ、良好ではあるとも。ただ……むう。人類の関係性というのは、まことに複雑よな」
アンジェリーナにとって、この婚約関係はいずれ解消されることがわかりきったものだった。
自分はオーギュストの伴侶たりうる者ではないと思っている。
というか━━
(王位を
今までのアンジェリーナは、王妃になって
そして、その目標は、ただ漫然と生きているだけで、周囲が勝手にいいように運ぶだろう━━否、運ぶ
『すべて自分に都合のいいように進んで然るべきだ』
『自分にとって都合の悪い方向に物事が進むなど、あってはならない』
『もしも自分の望み通りに事が運ばないのなら、それは、周囲の者の努力が足らないということだ』
人を人とも思わぬ性分で、子供のころから苦労ばかりかけてきた。
幼いころからオーギュストに付きまとい、ノイローゼにまでして、婚約を成立させた。
人のことなどどうでもよい。すべては自分の夢を叶えるための舞台装置にしかすぎない。
そういう人格が、魔王としての己を自覚する前のアンジェリーナだった。
(我がオーギュストを王にしたいのは、あくまでもこれまでのアンジェリーナがやってきたことへの埋め合わせのため……オーギュストが望むので婚約解消をなかったこととしているが、同じように、オーギュストが望んだならばすぐにでも婚約解消をすることに迷いはない。否、迷ってはいけない)
(そうだ。我は、己の欲望で迷惑をかけたぶん、己の欲望をおして、オーギュストを助けるべきだと思っている)
(そして、それをオーギュストも受け入れてくれている)
(ゆえに、良好な関係ではあるとは思うのだが、果たして、これを『良好な婚約関係』と定義していいかは……断ずるに迷うところだ)
「……なににせよ」ひとしきり思考してから、アンジェリーナは口を開く。「オーギュストはできた男だ。互いの名誉のためにも、いつかオーギュストが己にふさわしき伴侶を見つける時が来るまで、我は婚約者としての役割をまっとうすると決めている。これはそういう、契約関係だ」
だから、この関係は、『罪の意識』で
オーギュストは寂しげに笑って、
「バスティアン、君に言ったら卒倒しそうなので言いあぐねいていましたが……僕は兄に政治的闘争で打ち克って王位を
「ええっ⁉︎」と、バスティアンは大声を出してから、周囲の耳がこちらに集中しているのを感じ取り声をひそめ、「……な、なぜ、そんな面倒で罪深いことを」
「彼女の気持ちに応じるには、そのぐらいのことができなくてはならないのです」
アンジェリーナは「我らのあいだには永遠不滅の友情があり、その友情を捧げるに足る器を示してくれるというのだ」と述べた。
だが、バスティアンは、深くうなずき、
「り、理解を、いたしました。び、び、微力ながら、お二人の輝かしい未来のため、身を粉にして尽くしたいと存じます」
「助かります」オーギュストは微笑み「それに、言葉尻を捉えるようで申し訳ないけれど、君の協力は『微力』ではありませんよ。君はもっと自信を持っていい」
「し、しかし……わ、私の力は、その……きゅ、宮廷魔術師など、無理です。き、きっと、父が認めない」
「詳しい事情に興味があるな」
アンジェリーナがつぶやく。
バスティアンはヒクついた笑みを浮かべ、
「き、貴族の界隈では、よくある、こと、なのです。わ、わ、我が家は、代々、将校の家系で……騎士団長なども、輩出して、きました。けれど……私には、騎士がつとまる、才能が、なく……魔法ばかり、学んできたので、その……家に、み、認められないのです」
「……わからんな? 騎士とて魔法は使うだろうに」
「そ、そ、それは、そう、なのですが……魔法は、その、なんというか……ひ、一言で申し上げるならば、ふ、ふ、ふ、『不評』なのです……軟弱で、き、き、き、騎士らしく、ない、と」
「…………つまるところ、貴様の家の
「そ、そ、そ、そうです」
「……わからんな? 貴族というのは、たいてい、先に生まれた者が家を継ぐものと認識している。そして、貴様には兄がいるとこぼしていたように記憶している。その兄は、どうしたのだ? 家を継がんのか? もしくは貴様のように魔法を使い、家からの評価がよろしくないのか?」
「あ、兄は、せ、せ、せ、
「? ならば家の断絶の心配もなく、貴様がどのような道を選ぼうと
「そ、そ、それは、道理、なのですが……」
「貴族や王族にはね、複雑怪奇な暗黙のルールがたくさんあるんですよ」
オーギュストが奇妙に微笑んで述べるのは、こういう内容だった。
まずは、騎士と魔法使い━━特に理論の研究や魔法の開発などを主な活動目的とする魔術師たちとは、仲がよろしくない。
武官と文官のあいだに溝が生まれるように、騎士職と魔法職のあいだにも、溝が生まれる。
その溝は世代を
そういった育てられかたをした子は、親になったあともそうやって子を育てる。
すると騎士の家系には『魔術師なんていう最悪なものになるな。魔術師なんていう連中に尻尾を振る軟弱者はうちにはいらない』というような価値観が
そして、騎士の家には騎士の家同士で交流があり……
その騎士コミュニティの中で、魔術師を輩出してしまった家は、肩身が狭くなるのだという。
政治的に言えば、支持を失う━━騎士の要職に就くために必要な発言力が低くなるのだ。
「ガブリエルの家が、今、養子を━━すなわちガブリエルを引き取って
説明を聞き終えて、アンジェリーナはうなずき、
「子供の夢を
「君ならそう言うでしょう。けれど、そう言うのは、君だけです。貴族の中ではね」
「オーギュストも
「『言う』かと言われれば、これまでの僕は、声を高らかにバスティアンの夢を応援はできませんでしたね。こっそりと応援しているとは言いつつ、僕も、バスティアンも、心の中では『きっと無理なんだろうな』と思っている、そういう状態でした。けれど……」
「けれど?」
「今の僕は、彼を宮廷魔術師にするつもりでいます。彼の魔法の才能を最初に認めたのは、僕ですし」
「ならば、やることが一つ増えたな。……いや、ともすれば、オーギュスト、貴様は最初から、自分が王になるのと同時に、『これ』もやるつもりだったか?」
「君には内緒にしてましたけれど、実はそうなんですよ。僕は王になり、バスティアンを宮廷魔術師とします」
「水臭い」
「だって君、バスティアンのことを話しても『誰だ?』って顔をしそうだったじゃないですか……」
「………………うん。我、否定できぬ」
人間関係は大事だ。
相手の周囲にどんな関係のどんな人物がいるかを把握していないと、振られる話題が大幅に減ってしまう。
アンジェリーナが反省してしょんぼりしていると、ようやく王子と令嬢の会話においついたのか、バスティアンが慌てた様子で口を開く。
「お、お、お、お待ちください! わ、私は、そのように、お二人に気にかけていただけるような、者では……」
「なんだ、宮廷魔術師になりたいわけではないのか?」
アンジェリーナは首をかしげた。
バスティアンは唇を噛み、視線をテーブルに落として、
「そ、それは、ゆ、ゆ、夢ではあります、が……」
「そもそも、我は貴様がなぜ騎士の家で魔術師を目指したのかを知らんのでな。貴様がどのぐらいその夢に懸けられるのか、それとも、宮廷魔術師はオーギュストがお節介で勝手に述べているだけで、貴様にとっては夢でないのか、それさえ知らん」
「し、知らないのに、本当に、い、色々、言いますよね⁉︎」
「たしかに、知っているものだけに言及するのは、安全であろうよ。けれどな、知らぬものについて意見を
「……」
「的外れなことを言っても、ただ、発言者が恥をかくだけのこと。恥と引き換えに意見の正誤を他者に判断してもらう機会を得ることができるのだ。口を閉ざす理由に
「そ、それは、そう、なのかも、しれませんが……」
「言うだけ言ってみるというのは、そう損することでもないぞ」
「……」
「貴様も言うだけ、言ってみるといい」
「……わ、私は……」
「貴様がオーギュストのどの行動に恩を感じているかさえ、我は知らぬ。というか、名前を知り存在を認識したのがつい先ほどなので、貴様のことはなんにも知らぬ」
「……それは、その、ええ、まあ、はい」
「だから、自己紹介ついでの雑談といこう。貴様とオーギュストの馴れ初め、貴様が夢を夢見た理由は、どのようなものだ?」
「……ええと」
バスティアンは、逃げる口実を探して視線を泳がせるが━━
まだ、昼食の時間は半ば。
自分用の弁当は、アンジェリーナと対面した緊張から、全然手をつけておらず、大部分が余っている。
貴人二人に詰め寄られている状況で、まさか
……覚悟を決めるしかない。
「わかりました」
探偵物語で追い詰められる犯人は、きっとこんな心境なのだろう。
調査らしい調査もなく、推測と弁論だけでここまで自分を追い込んだアンジェリーナに、敬意と畏怖を感じながら、バスティアンは口を開く。
それは、まだ彼が自分の未来に輝きを見ていたころの話だ。
自身を全能だと信じていた幼少期の、今となっては顔を覆いたくなるほどに恥ずかしい、勘違いの告白。
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