エピソード32 病みの帳が下りるとき
「ね、いい香りでしょ?」
確かに彼女の言う通り、バロック建築を彷彿とさせる、飾り気のあるロウソク立てと、そこに立てられた甘い香料入りのロウソクはなかなか素晴らしいものだった。
なにより、この空間がロマンチックでないのも評価に値する。
僕達の出逢いは本当に偶然で、アイマスクコーナーを物色していると、同じように中々値の張る品を見つめている女性が居たのだ。
OL風の恰好だったので、僕はそれほど気にしてはいなかった。
でも彼女から話しかけられてすぐさま意気投合した。
僕らは訳もなく太陽を嫌っていたのだ。
そこに合理的な理由はない。彼女は映画館で夜の、暗黒の快楽を知り、僕はホラー映画や怪談の影響だ。
彼女はいつも高そうな日傘を持ち歩き、僕はクールビズにあたかも政治的反論があるかのようにジャケットにベストなどを着続けた。流石にマントには手を出せなかったが、ともかく奇妙ともいえる趣味の一致は、何よりも僕らを引き合わせた。
週に一度は、こうして雨戸も締め切り、電気もつけず、こだわりのロウソクを一本だけ灯して語り合っていた。
ふとした時に彼女はよくこう言う、『夜にも月が無くては寂しいものね』と。
ポエム的なので、ぶしつけながら意味を聞くと、『暗闇の楽しみは孤独の楽しみだけど、それでも誰かと共有できるのは悪くないね、みたいな。もぅ、解説させないでよ』と照れていた。
でも彼女の意見には賛成だ。
独りになりたいから真っ暗にしている。そこで仮に瞑想状態となったとしても、禅宗のような功徳も戒律も存在しないので、メリットはないに等しいかもしれない。
だからこそ、<孤独を共有する>という一見矛盾した行為に、僕達は恋愛とは異なったベクトルの強い結びつきを得たんだ。
「それにしても、何だか今日はやけに眠たいな」
普通であれば、『うす暗い部屋でゆったり過ごしていれば眠たくなるのは当たり前』と済んでしまうが、僕に言わせてみれば『男女で寝るときも暗がりだけど、気持ちよくなる前に眠ることなんて滅多に無いはずだ』と反論したい。
でも今日に限っては非常に眠たい。
「繫忙期って言ってたし、疲れが溜まってるんじゃない?」
キッチンからコーヒーミルの音がする。僕の分も……僕はいまリビングに…………
「ごめんね。私、嘘ついちゃう悪い女なんだ。一つ目は暗闇が好きになった理由。実は好きなんじゃなくて、夜にしか生きられないの」
にこにこと笑いながら彼女が近づいてくる。
「最初は不健康そうだったけど、いまでは私の栄養満点のディナーのおかげで、血の気も良くなってるね。ふふ、眠そうな顔もかわいい。あ、同い年っていうのも嘘なの。でも女の人が年齢を誤魔化すのって別に悪いことじゃないよね?それに私に年齢なんて関係ないし」
彼女が僕を抱きかかえ、そっとまぶたを白い手で撫でおろすと、僕はもう重くて目を開けられなかった。眠りに落ちる音が聞こえそうになった瞬間、僕は彼女に首筋を噛みつかれていた。
「永遠の愛の印に、私から永遠の命をプレゼントするね」
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