第136話 許嫁の練習風景

 夏が過ぎても衰える事の知らない太陽の陽はまだまだ俺たちから水分を奪うほどの暑さを保っている。

 ただ、感覚的には徐々に気温は下がって来たかと思われる九月下旬。


 文化祭の準備も本腰を入れて進んでいっている。


 壊滅状態かと思われた我がクラスも、何か目的があれば皆協力していくタイプの人間が多いみたいで、積極的に準備に取り掛かっている。

 準備といっても、たこ焼きの練習を学校ではさせてくれないので各自自宅での練習となっている。

 屋台は出して良いのに練習はダメだなんて変である。例えるならば、学校指定のカーディガンをちゃんと買ったのに、カーディガンだけを着るのはダメ、その上にブレザー着ろ、みたいに変な校則だ。

 まぁ反抗して停学でもくらったら折角の文化祭も楽しめないからやめておく。なので、今出来る事は屋台の看板、旗、チラシの作成作業であった。


「一色くん。職員室にチラシのコピー行くから荷物持ち手伝ってー」

「へいへい」


 チラシ作成組が完成させた原紙を持つ四条に頼まれて俺達は旗作成組の作品を蹴らない様に教室から出て職員室へ向かう。


「それにしても予想外だよね」

「ん?」


 廊下を一緒に歩いていると唐突に四条が言いだした。


「いや、ウチのクラス、結構みんなやる気出してやってるって思って」

「そだなー。ま、たこ焼きの屋台なんて単純作業だし、忙しいのはほぼ本番だからじゃない? それだったらやるか、程度なのかもな。これが劇なんてなれば前準備から本番まで忙しいし」

「そう思うと一色くんのナイスアイディアって事になるね」

「クラスの事を考えた結果だぜ」


 ビシッと親指を立ててニカッと笑う。


「あははー。嘘くさー」


 四条が呆れた声を出した後「劇といえば――」と小さく言って立ち止まった。


「冬馬君と汐梨ちゃんのクラスってミュージカルするらしいね」


 そう言って彼女は四組の教室を指差した。


「らしいな。よくもまぁミュージカルなんて難しい事に挑戦するもんだ」

「だねー。でも、ちょっと憧れるかも。みんなで練習して上手くなって本番――っていうの。なんか文化祭っぽくない?」

「たこ焼き屋台も文化祭っぽいだろ。むしろ文化祭の醍醐味だろ、屋台系」

「あはは。それもそうだね」


 笑った後に「そういえば……」と何か思い出したかのように言ってくる。


「聞いた?」

「ん?」

「噂だよ」

「噂?」


 俺が首を捻ると四条が教えてくれる。


「何でもシオリちゃんには秘めたる能力があるみたいなんだよ」


 テンションでいえば、奇妙な物語を語りかける人の様な、そんな感じで四条が言ってくる。


「ほう……。許嫁の俺でも知らぬ能力があると……?」

「一色君でも知らないんだね」

「して、その能力とは?」

「歌だって」

「歌だって?」


 俺はつい、おうむ返しをしてしまうほど疑問に思ってしまった。


「聞くところによると、最初は『うわっ! 下手っ!』ってなるらしいんだけど、段々聴いてると『あれ? 甘くない? 上手くない? めっちゃ美声!』ってなるらしいの」

「ははっ!」


 俺がつい吹き出してしまうと「あー」と四条が少しむくれる。


「信じてないでしょ? まぁ所詮は噂――」

「いやいやいや。信じるも何も、シオリは最初から歌上手いから」


 四条の言葉を遮り真実を言ってやる。


「――え?」

「え?」


 四条の疑問の声に疑問の念が出てしまいお互い顔を見合わせる。


「シオリちゃんって歌上手いの?」

「ああ。間違いない。だって俺、一緒にカラオケで聴いたし」

「なぁんだ……」


 四条はつまらなそうな顔をして教室の小窓を覗いて見る。


「あ! 今、丁度汐梨ちゃんが練習してるから見て行かない?」

「そういえば四組は観客に慣れさす為に練習の見学を許可してたな。ちょっと見ていくか」

「許嫁がイケメン眼鏡に取られてるからって嫉妬しちゃダメだよ?」

「そりゃこっちの台詞だわ」




 四組の人に入室許可をもらって後ろの邪魔にならない所でシオリの芝居の練習風景を見る。

 シオリは前の方で何やら打ち合わせをしているみたいだ。


「来てたのか、二人共」


 聞き慣れた爽やかボイスが聞こえると目の間に彼女持ちのイケメン眼鏡がジャージ姿で現れる。


「おいっすー」

「ヤッホー冬馬君」


 俺と四条が挨拶をすると眼鏡クイで挨拶を返してくれる。


「どうだ? 進捗は?」

「ぬ。悪くはない。まぁヒロインの演技が片言だが、それは顔面でカバーできる」

「演技は顔面のゴリ押しパワー技で回避すると?」

「そんな者はテレビの中にも存在するからな。さして問題視していない」


 あの片言を問題視していないとは……。四組は仏様の集まりなの?


「それに七瀬川さんには歌もある」

「へぇ」


 四条が感心な声を出すとこちらを見てくるので、言ったろ? と目で訴えかけると、鶏が歩く時の頭の動きみたいに頷いた。


「それにダンスもあるしな」

「汐梨ちゃんってダンスも出来るんだ」


 再度俺を見てくるので「いやー」と軽く頬をかいた。


「それは初耳だな。ダンスの話なんてした事ないから」

「そりゃダンスでもしてない限り、なかなかダンスの話題は上がらないよね。――でも、なんとなく分かる気がする。汐梨ちゃんってスタイル良いし、髪の毛長いからキレッキレッのダンス披露しそう」

「四条……。お前が言うと嫌味になるからスタイルの事は言ってやるな」

「どういう事?」

「分からないのなら気にするな」


 俺のいらぬ言葉に四条は首を傾げていた。


「しかし、純恋の言うとおり七瀬川さんのダンスはキレッキレッでかっこいいぞ。惚れそうになる」

「ムゥ……」


 冬馬の言葉に四条が軽く嫉妬して、すぐに眼鏡クイをして訂正する。


「純恋は通常時で可愛いから惚れる事はまずないがな。純恋サイコー」


 言うと四条は、パァ、と花が咲いた様な笑顔を見せた。


「バカップルめ……」


 俺の言葉は虚しく届かずに「六堂くーん!」と違う声が届いた。


「おっと、練習だな。それじゃ二人共折角だからゆっくり見ていってくれ」


 冬馬が言い残して前の方へ合流して行った。


「さて、楽しみだね。汐梨ちゃんの歌」

「腰抜かすぞー」

「えー、楽しみー。あ、今度みんなでカラオケ行かない?」

「お、良いね」


 そんな会話を四条としていると、シオリが「コホン」と咳払いをしてこちらを向いた。


 ジャージ姿でも美しいって、お前はどんだけ神に愛されてるねん、と言いたくなるのを抑えて彼女を見守る。

「それじゃあ歌のシーン――」とスタッフっぽい人が「三! 二!」と声を出した後に指で一を作り、最後拳を握りしめると、シオリが歌い出す。


『アリノーママノー――』


「――うぇ……」


 隣から慈愛都雅の天使様という異名があるとは思えない声を出す。


「ちょ……え? なに……これ」

「なんだ四条? 美声過ぎて酔ったか?」

「違うよ! 下手すぎて酔ったんだよ! 非常に不愉快だよ! まだ蚊が耳元で鳴いてる方がマシだよ!」

「はっはっはっ。なにを言っているんだ? これほどに上手いのに」

「耳腐ってるんじゃないの!? 今すぐ――」


 言葉の途中で四条が「はっ!?」とこちらの目を見てくる。


「い、一色君!? 目が……」

「目? 目がなんだ?」


 俺の問いには答えてくれず、彼女は俺の肩を揺する。


「目が逝ってるよ!? 戻ってきて!!」


 そう言って揺すられるが、それとシオリの美声が相まって、とても心地が良い。


「だ、だめだ……。他の人もなんで止めないの? ――って、他の人も目が逝ってる……。え……?」


 四条が俺を離して自分の頭を抱えこむ。


「――あたしがおかしいの? あたしが異端児なの? あたしが逝ってるの?」

「さっきからどうした? なんかおかしいぞ?」

「おかしいのは――おかしいのは誰?」


 四条が自分自身に問いかけて瞳を閉じ、シオリの歌を聴く。


「――あー……。甘いね。すごく甘い。めちゃくちゃ甘い」

「だよな。こんだけ歌上手いと羨ましいよな」

「だね。あはは、あたし、今度シオリちゃんと二人でカラオケ行きたいな」

「その気持ち分かるぞ。最高だよなシオリの歌」

「うん。最高だよ」


 そう頷く彼女の瞳はきっと俺と同じ瞳をしているのだろう。

 

 


 

 

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