第112話 許嫁と水族館
「行ってらっしゃいませ」
係員に見送られて俺達の乗ったエレベーターのドアが閉まる。
夏休みで客が多いから仕方ないのだが、エレベーター内は窮屈だ。
決してそんな事はないのだろうが、係員の笑顔が「ざまぁ」と言わんばかりの笑顔と思ってしまうのは俺の性格が歪んでいるからだろうか。
エレベーターが目的の階へ着くと、まるで満員電車のドアが開いて、人が溢れるみたいに降りて行く。
「狭かったな」
「エレベーターに乗ると全員上の数値を眺める説。立証完了」
「暇か」
「エレベーター内は暇だった」
「そりゃそうか」
「そんな事よりもターゲットを見失っている。コジロー。探すよ」
「はいよー」
エレベーターを出て進むと直ぐにエントランスへ到着し「うお」と声を出して驚いてしまう。
だだっ広いエントランスの中央に宙に浮いたジンベエザメがお出迎えをしてくれたからだ。アニメチックなのは、テレビや動画のCMに合わせているのだろう。
「おお……サメ次郎だよコジロー」
「そんな名前だっけ? ま、なんでも良いけど可愛いな。本物はどこだろ……」
「どこ――あ!」
シオリは出迎えてくれたジンベエザメの奥の大きな水槽へスタスタと向かうので後に続く。
「可愛い……」
目の前に広がる色鮮やかなサンゴ礁の海、そこをゆったりと泳ぐウミガメがこちらの目の前を横切る。
「見て見て。ヒレが可愛い」
「ウミガメって可愛いんだな」
「手振ってるみたい。尊さがリミットオーシャンブルー」
「よいしょー」
特に意味のない俺達のノリの後にシオリがウミガメに向かって手を振る。
「おーい。エンブン」
「変な名前付けるなよ」
「変じゃない。凝った名前。――エンブーン」
言いながらシオリが手を振るとウミガメがこちらをチラリと見てヒレをこちらに振った――みたいに見えただけだけどシオリはツンツンと俺をつついてドヤ顔を決めてくる。
「気に入ったみたい」
「嘘やん。そんな変な名前が受け入れられるだと?」
「ふっ。コジローに名前センスがないだけ」
「見とけよてめー」
エントランスを出てメインストリートを歩いていると『ザリガニゾーン』と書かれた場所の前を通る。
ザリガニねぇ……。見たところで――ん?
立ち止まりメインの円柱水槽をジッと見つめているとシオリが首を傾げる。
「コジローってザリガニ好きなの?」
「いや……そうでもないけど……あれ……」
「うわ、何これ……かっこいい」
俺達はその水槽の真前へ足を運び、体調三十センチ程の青いザリガニを見る。
「なんで青なんだろ……」
「エサを変えてるとか?」
「どうだろうな……」
「おーい。サオトメー」
「また変な名前つけて……」
「センスないからって拗ねちゃって……」
「てめ……。――ボルケーノ二世。こっち見てくれー」
「ボルケーノ二世? まじで言ってるの?」
「うるせーよ。勝てば正義だ」
「それは否めない。サオトメー。こっち向いてー」
「ボルケーノ二世。こっち向けー」
俺とシオリの呼びかけに、ボルケーノ二世はシオリの方へはさみをカチカチとする。
「はい、私の勝ち」
「嘘……だろ……」
「私の勝ち」
「くそ……」
「私の勝ち」
「しつけーよ。負けたよ」
「ふふふ。コジローの名前センスは皆無」
「うるせーよ。ほら、次行こうぜ」
若干拗ねた声を出してメインストリートへ戻る。
「でも……コジロー、名前センスがないから子供の名前もセンスなさそう」
「めっちゃあるから。えぐいくらい良い名前付けるから」
「ほんとかなー? でも、子供が出来たら私に任せるのが良いと思う」
「え……」
彼女のそんな言葉に声が漏れてしまう。
その言い方は、つまりは、俺と、その、あの……ねぇ……。夜の営みも良いって事だよな……。
いや、愛し合う許嫁同士なんだからベッドで熱くなるのは普通の事だ。だって許嫁だもんな。
でも、やっぱりそういうのはまだ早いというか……。俺はシオリを大事にしたいし、そこはお互い話し合ってだな……。
悶々としてきた頭でシオリを見つめる。
「どうかした?」
シオリは首を傾げてくる。
俺、よくこんな可愛い許嫁いるのに我慢できてるな……。
――ピンポンパンポン。
いきなり館内放送が鳴り響き、お互いビクッとなった。
『間もなく、当館パフォーマンス広場にてイルカショーを開催致します。お時間許されるのであれば、是非とも当館自慢のイルカ達のショーをお楽しみください。引き続きご連絡させていただきます――』
リピートされる内容の中、ふとメインストリートの天井からぶら下がっている看板を見ると、ちょうど『この先パフォーマンス広場』と書かれた看板があった。
「し、シオリ、ちょうどこの先出し、イルカショー見に行こうぜ」
悶々とした欲を振り払う様に彼女を誘う。
「え? う、うん。良いよ」
「よし、じゃ行こう行こう」
イルカショーが開催されるパフォーマンス広場の席はほとんど埋まっていた。
子供から大人まで人気のイルカだから席が埋まっているのは予想していたが――。
「流石はイルカショーだな。ほぼ満席」
「海のアイドルだから仕方ない」
「諦めるか?」
「まぁ、これだけが水族館の魅力じゃないから。見たかったけど」
半分諦めながらもキョロキョロと二つ分の空席を探すが、見当たらずに、そのまま通り過ぎて出て行こうとしたら「お客様」と声をかけられた。
「前の席ならちょうど二つ空席がありますよ」
係員の人が一番前の席を指差して教えてくれる。
「水飛沫が飛んでくる可能性がありますけど……間近でイルカショーを拝見出来ますよ」
なるほどな。
水飛沫が飛んでくるから、一番前だけど空席があるのか……。
メリットとデメリットを聞いたところでシオリに尋ねた。
「俺は良いと思うけど、シオリは?」
「シオリ的にアリよりのアリ」
「ちょこちょこそういう喋り方するよなお前……」
俺達の意見が合致したところで係の人に「ありがとうございます」と軽く会釈をすると「ごゆっくりお楽しみください」と言ってもらい、再度軽く会釈して席を目指す。
席に着くとタイミング良くショーが始まりそうなBGMが鳴り出してステージにパフォーマーのお姉さん達がやってくる。
『皆様ようこそおいでくさださいましたー!』
マイク越しにお姉さんが簡単な挨拶を交わすと、二頭のイルカがプールから顔を覗きお姉さん達と一緒にお辞儀をすると歓声が上がった。
軽く挨拶が終わると、お姉さん達が次々と水泳選手みたいにプールへダイビングする。しばらくすると、イルカの口に乗ってお姉さんが顔を出し、縦横無尽にプールをかけ回る。
イルカが泳ぐ度に注意通りに水飛沫がこちらにかかるが、少量だし、夏の気温のおかげで気にならない。
『――さて! お次はお客様の中からお手伝いをお願いしたいと思いまーす!! お客様の中でお手伝いをしても良いと言ってくださる方ー!!』
ステージに戻ったお姉さんが観客席に向かって言い放つと、そこら辺で、はい! はい!! はい!!! と、手伝いを希望する声が上がる。
老若男女関係なく上がる挙手。それは他人事では無かった。
「はい! はい!! はい!!!」
「シオリ史上最大声音だな」
「コジロー何してんの!? 手挙げて! ほら!」
言いながら俺の手を握り強制的に挙手をさせられる。
ま、当たるはずないよな。こういうのは子供優先だろ。
そう思っていたら『そうしたら……そこの仲良く手を繋いで手を上げてくれているカップルさん! どうぞー!』
嘘やん……。当たる?
――お姉さんから見たら俺達もまだまだ子供って事か……。
「いよっしゃ!」
シオリはキャラを崩壊させて喜んでいた。
それを見ると、当てられてよかったと思うな。
係員に誘導されてステージの方へ向かい、関係者以外立ち入り禁止の柵を超えてステージに上がろうとすると係員さんに声をかけられた。
「貴重品や携帯をお預かりします。もしもの事がありますので」
「もしも?」
「実績はありませんが、プールの水が飛んでくる可能性がありますので」
「ああ、これだけ近くだとあり得そうですね」
俺達は納得して係員に貴重品とスマホを渡してステージへ上がる。
『はーい! 皆様! こちらのお手伝いをしていただくカップルさんに拍手ー!』
パチパチパチ! と観客席から拍手を送ってもらうと、お姉さんは手を耳に持っていき『あれあれあれー!?』と客を煽る。
『拍手が小さいですね〜! はい!! 拍手!!』
『うわあぁぁ!!』
パチパチパチ!!
二回目は歓声付きで拍手を送ってもらい、お姉さんは満足気にお辞儀をした。
『はい! ありがとうございます! では、二人には、こちらの旗を持ってもらいます』
俺とシオリがそれぞれ赤と白の旗を渡されると説明が続く。
「お姉さんは『ルカちゃん』へ向かって旗を挙げてくださいね。お兄さんは『カイルくん』へ向かって旗を挙げてください』
言われてお互いのイルカと目を合わす。
シオリはルカちゃんを見つめるとボソリと呟いた。
「軽井 瑠夏ちゃん……」
「お前はまた――」
適当な名前を命名したシオリへ向かってルカちゃんが尾をステージに向かって振ってくる。ルカちゃんから放たれた怒りの一撃は俺達の頭からまるでバケツをひっくり返したような雨を降らせた。
『――あ……』
最後に聞こえてきたのは、お姉さんのマイク越しの素の声であった。
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