第95話 許嫁と雨の中
朝から広がる灰色の空は放課後が近付くにつれて色濃くなっていき、とうとう六限の途中に耐えきれずに雨が降り出してしまう。
まるでバケツをひっくり返した様な雨――ではなくパラパラと小雨程度なのでまだ傘がなくてもダッシュすれば被害は小さくてすみそうだ。
だが、この雨はおそらく時間が進めば進む程に強くなるだろう。
ま! 俺には雨が強かろうが、弱かろうが関係ないがね!
傘は持っていないが、俺の許嫁が傘を持っている。なので、堂々と相合傘が出来るって訳だ。
二回目だからな、今回はスマートに、スタイリッシュに、イケメン風に! 相合傘を出来るって訳だ。
肩と肩を引っ付け合い――ふっ……そんな甘い相合傘なんてダメだ。
ここはもう大胆に俺がシオリの肩を抱いて引き寄せる。
『お前が濡らして良いのは……そこじゃないぜ。きゅぴーん』
『コジロー……。きゅん』
かっはっ! これだわ。更にシオリの好感度が上がるわ!!
堂々と公共の場で肩を抱き寄せる事が出来る。ふふ……これ以上の優越感はないな。
あめ、あめ、ふれふれ、許嫁が、じゃのめで、おむかい、うれしいな、おれたち、リア充、ランランラン。
――てかー? あははー!!
そんな余裕綽々で六限の授業を過ごしていると、放課後になる頃には予想通り雨は強くなっている。
クラスの連中は「うわぁ」とか「やばー」何て窓の外を見て声を出していた。
そんな嘆きの声の中を、背中から幸せムードを漂わせて颯爽と出ていくと、教室の真前の廊下、そこの壁にトレードマークのヘッドホンをして寄りかかっているシオリがいた。
流石は冷徹無双の天使様。彼女の前を歩く人が必ず振り向く程の美貌と、喋りかけるな音楽聞いてるだろ、という雰囲気で見られはするが声はかけられていない。
そんな天使様と目が合うとそんな雰囲気から一変、愛らしい雰囲気へと移り変わりヘッドホンを首にかけて俺の前にやって来る。
「ごめん。待った?」
彼女は首を横に振る。
「今来た所」
「良かった。んじゃ帰るか」
「うん」
彼女が頷いたので、お互い共に歩み始める。
「どっか寄って帰る?」
階段を降りながら彼女に問う。
「寄りたい所あるの?」
「いや……特にはないんだけど……。なんか、ほら。雨の日の喫茶店とかお洒落じゃない?」
「それは分かる気がする」
「だろ?」
「でも、相合傘で行ったらビショビショになる。服が気になってお茶を楽しめない」
「――確かに……」
論破されてしまうとシオリが優しく言ってくる。
「家でコーヒー淹れてあげるから。二人でゆっくりしよ」
「そうだな……。――あ、俺、コーヒーよりコーラが良い」
そう言うとシオリはジト目で言ってくる。
「じゃあ喫茶店行きたいとか言うな」
「あははー。ごめんごめん」
「はぁ……。――あれ?」
他愛もない話をしながら昇降口までやってくると、玄関の所で四条と冬馬が足止めをくらっていた。
「純恋ちゃん。六堂くん」
シオリが声をかけると二人がこちらを見てくる。
「あ、汐梨ちゃん」
「二人も今帰りか?」
「ああ。――って、もしかして放課後デートか?」
俺がニタッとして聞いてやると四条が「違うよー」と手を振って否定してくる。
「あたしは今からバイト」
「俺は今日用事があってな。純恋とはたまたまここで鉢合わせたんだが、お互い傘を忘れてな」
「そうそう。あたしは折りたたみ傘入れた気で家に忘れてきちゃって。冬馬君は置き傘取られちゃったみたい」
「そんな訳で雨が弱まるのを待っているんだが――」
「これは止まないよねー……」
壮大に溜息を吐く四条を見て、シオリは、ピコーンと頭に電球マークを浮かべた。
彼女は鞄から折りたたみ傘を取り出すと「これを」と四条に渡した。
ちょ……シオリさん!?
「え……。でも、それじゃあ……」
「問題ない」
問題あるよ! とは言えない空気。
「なるほど、これで七瀬川さんが小次郎と相合傘出来る口実になるってか」
「そういう事」
元々そう言う予定だよ! とは言えない空気。
「純恋は時間ないんだし、ありがたく借りとけ」
「六堂くんも」
「ぬ?」
「六堂くんが傘をさす」
「い、いや……それは……」
冬馬はシオリの言葉に焦った様な声を出す。
「それなら貸さない」
「ぬぅ……」
眼鏡を押しつけ、軽く考えた後に冬馬は四条に言ってのける。
「す、純恋は……良いのか?」
「冬馬君が良いなら……」
「なら……仕方がない……」
冬馬は決心して四条から折りたたみ傘を借りる。
「バイト先まで一緒に行くとしよう」
「良いの? 冬馬君の用事は?」
「俺も駅の方だから問題ない」
四条に答えた後にシオリを見る。
「七瀬川さん。すまない。明日すぐに返す」
「ごゆっくり」
冬馬の次に四条が軽く頭を下げる。
「ごめんね汐梨ちゃん」
四条には親指を突き立てて見送る。
「それじゃあ、二人共、また明日」
「バイバーイ」
「ほいほいー」
軽く手を振る二人に俺達も手を振り返して一息吐く。
「――で? どうすんの?」
彼等の問題は解決したが、こちらの問題が解決していなかった。
俺の問いかけに「ふっ」と鼻で笑うシオリ。
「問題ない」
「ほぅ……。何か策があると?」
「当然。私は無謀な事はしない」
カッコよく言うと俺に「持ってて」と鞄を渡してくる。
そして――。
「はい、よいさー、よいよいさー。はい、よいさ、よいよいさー」
時期外れの盆踊りを踊るみたいに、いきなり踊り出した。
「何……してんの?」
「晴れ乞い」
さも当然の様に言い放つと「よいさー、よいよいさー」と踊りを続ける。
「や、やめろー!!」
まだ帰って行く生徒がいるので、他の人がやばい奴を見る目でこちらを見てくる。
「――なに?」
邪魔をされてジト目で見てくるシオリ。
その目はこちらを非常識と言わんばかりの目であった。
「晴れ乞いの邪魔しないで」
「え? あれ? これ、俺が異端児?」
「ほら、コジローも一緒に」
「嘘だろ!? 俺も!?」
「ここは二人の愛の力で」
「そんな愛の形嫌だわっ!」
拒否すると彼女は「やれやれ」溜息を吐いて晴れ乞いを止める。
「仕方ない。それじゃあ、こっちで」
「え? 種類あるの? ――いや、どっちみち嫌だけど?」
俺の言葉を無視してシオリは何処かで見た事ある踊りを踊り出す。
「ある、晴れたー、日の事ー、魔法以上のゆーかいがー」
「それ歌のタイトルに晴れが入ってるだけじゃない!?」
あと、シオリ音痴だな。これは言わないでおこう。
彼女は「おお」と少し驚いた声をあげた。
「古いけど、知ってた?」
「まぁ……有名だったし」
言うとシオリは手を伸ばして「同志よ」と握手を求めてくる。
「許嫁だろ」
答えて彼女の手を握る。
「――恋人でもある」
「――カップル」
「――両想い」
そこで、俺が「くふっ……」と照れ笑いを浮かべるとシオリが指をさしてくる。
「はい、コジローの負け」
「何の勝負だよ」
「負けたコジローは今から私の作戦に従ってもらう」
「え……晴れ乞いするの嫌なんだけど」
「違う」
シオリは首を横に振ると、そのまま俺の手を引いて走り出した。
「ちょ!?」
「強行突破!」
「うそーん」
「もう、これしか方法がない!」
「いや、絶対あったろ!」
そんな事を言う頃には外に出てしまって服が一瞬でビショビショになってしまった。
「ほら、文句言ってないで行くよ!」
「あー! こうなりゃやけだわ!」
そう言って彼女と走り出した。
学校から家までの距離。
確かにそれは近いけど――。
「いや、やっぱテンションだけじゃどうにもなんね」
「――だね」
最初は家まで全速力だったが、途中しんどい位に息が上がるのと、走ろうが、歩こうがどちらにしてもすでにパンツまでビショビショなので諦めて二人して雨の中を歩き出す。
傘をさしている人とすれ違う度に視線を感じるが、今はどうでもいい、
「これはマジで明日ナース服で看病か?」
最早晴れている時と同じスピードでしょうもない話題を振ると、シオリも俺に合わせてくれる。
「コジローがナース服? きもいね」
軽蔑の目で見られてしまう。
「お前だよ! 俺が着たら誰も幸せにならんだろ」
「きもいね」
「二回連続で言ってこなくても知ってるわ」
「でも……私もビショビショだし、私が風邪で看病される側かも」
「あー……それはあるな……。――なら……俺がマジでナース服か!? うーん……しかしな……」
「バカだよね……」
そんな呆れた声を出した後に「キャ……」と躓いて転びそうになる。
「――っと!!」
こちらに寄りかかるシオリを支えてやる。
「あ、危なかった……」
「おいおい。何もないところで転びそうになるなよ」
「ありがとう」
「いえいえ。――でも、あれだな。シオリって意外とドジだよな」
笑いながら言うと「む」と少し怒ったような声を出す。
そして「えいっ」と俺の背中に抱きついてくる。所謂おんぶってやつだ。
「――ぅい!?」
「私、ドジっ子だからおんぶして」
「いや、降りろよ」
「ドジっ子許嫁をおんぶするのは許嫁の役目」
「許嫁にそんな役回りないから。重いから降りろって」
「むぅ」
シオリが怒った声を出すと両脇に手を入れてくる。
「あはっ!」
「重くない?」
「かはっ!」
「重くないよね?」
「かはっ!」
「重く――」
「毛細血管! いっぱい詰まっとる場所」
「わ、き」
「にゃはっ!」
「私、重く――」
「ないないない! 全然。軽い! シオリ様は天使の羽の様に軽いです」
「よろしい」
満足気な声を出すとギュッとシオリがしてくる。
雨の匂いはシオリに負けて、彼女の甘い香りが背中で感じることができる。
ただ、悲しいかな……。微乳な為に柔らかい胸の感触を楽しむ事はできなかった。
「今、失礼な事考えてた」
俺の耳元で言ってくる。こいつ、エスパーかよ……。
「とんでもない。こんな天使の様な美少女をおんぶできるなんて幸せ者だと考えていたところだ」
「ほんと?」
疑いの声に素直に白状しそうになるが「もちろん」と嘘を突き通す。
「なら、良い」
そう言って。先程より少しだけ力を入れてくる。
「――コジローの背中って――狭いね」
「そこは普通『意外と広いね』だろ」
「いや、嘘はダメだよ」
「うっ……」
罪悪感が少し芽生えてしまった。
「でも……でも、安心するよ。コジローの背中。何だか眠たくなってきた」
ふぁー、とあくびをするシオリに言ってやる。
「安心するのは良いが、忘れてないか? 今がどしゃ降りの雨って事」
「そうだ。――ほら! コジロー! ダッシュ! ダッシュ! はいよー」
「俺は馬じゃねーよ!」
「馬面」
「やかましっ! ボケっ!」
そう言った後に「ヒヒーン」と言って家まで走らされたのであった。
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