第57話 許嫁と相合傘
昼ご飯を食べた後の体育ほど気怠いものはない。
それに加えて今日はマラソンとくれば皆のやる気はほぼ皆無。更に言えば、発達した低気圧の影響で今にも雨が降りそうな曇り空。そうなると、ほとんどの生徒はダラダラとグラウンドのトラックを走る事となってしまった。
そんな、ほとんどの生徒の一員である俺はダラダラとトラックを走っていると、流石は元サッカー部。隣で余裕そうな顔をしている冬馬が話かけてくる。
「で? お前何やらかした?」
「何が?」
「いつもクールな無表情の冷徹無双の天使様があれ程機嫌が悪いなんて、お前が何かしたに違いないだろ?」
そう言って親指でグラウンドの階段の方を指す。
女子は先程走り終わって休憩時間だ。
階段に座り、ジーッと見てくるシオリの顔は遠目でも分かる位に不機嫌であった。
そんな不機嫌な視線を前を走っているグループが気が付いた。
「冷徹無双の天使様何かめっちゃ見てない?」
「見てるな。もしかして俺の事――」
「ばーか。俺見てんだよ」
「鏡見て言えよ」
「あ? お前こそミラー見て言えっての」
そんな軽く言い合いをしているのが聞こえてくる。
そんな醜い争いに視線を向けるなら機嫌の悪いシオリを見ていた方がマシだと思い、もう一度階段の方を見ると、シオリの隣に座っていた四条がこちらに手を振ってきた。
「やっべ! 慈愛都雅の天使様が手振ってくれた!」
「ちげーわ! 俺だわ! ――って! おまっ! 何スピード上げてんだよ!」
「っるせ! 今いいとこ見せなくていつ見せんだよ!?」
「今でしょ!」
単純というか素直というか――なんで男って奴ぁこんなにも単細胞で勘違い野朗なのだろうか。
今のは明らかに冬馬に手を振ったというのに――哀れなり……。
「――な? 小次郎は――」
「ん?」
いきなり冬馬が神妙な面持ちで話かけてくると、首を振り、眼鏡をクイッして「いや――」と声を溢すと、ニタリと笑ってくる。
「――で? 七瀬川さんに何やらかしたんだ?」
「分からん。まじで分からん」
今日は朝からシオリの様子が少しおかしいのは気が付いていたが――それが何なのか全然分からない。
俺が本当に分からないと感じ取った冬馬は「ふむ」と声を出すと提案してくる。
「どうせお前が悪いんだ。このまま走ってフライング土下座かませば許してくれるだろ?」
「フライング土下座て」
「フライング土下座の成功率は千パーセントだ」
「その小学生が使いそうな確率にかけるのは絶対嫌だな」
そんな低俗な会話をしていると、鼻頭に水滴が落ちてきた。
上を見上げるとポツポツと雨が降り出した。
『おーい! 男子ー! 中止ー! 屋根のある所行けー!』
体育の先生が既に屋根の所に避難しており、グラウンドへ叫ぶ。
あのスケベ体育教師め。ちゃっかり避難しやがって。
そんな文句を垂れながら、俺達は一番近くの渡り廊下の方へダッシュする。
「――あ! 冬馬! てめっ!」
不運にも俺と冬馬が一番離れていたのだが、冬馬は我先に元サッカー部の実力を発揮してくる。
「はっはっはっ! 濡れなければ良かろうなのだああ!」
「待てっ! くそっ! 速え!」
こちらは平均的な男子のスピードに対して、冬馬は超高校級のスピード。何でお前みたいなのが映画研究部なんだ。
そこに慈悲はなし。こっちとの距離をみるみる離して行く。
そして更なる不運が舞い降りてくる。
ドンケツの俺がもう少しで屋根の下に入ろうとした時に、まるでバケツでもひっくり返したかの様な強力な雨が降り注いだ。
それをダイレクトに受け止めてしまう――俺だけ。
あー萎えた。めっちゃ萎えた。何で俺だけやねん。
体育をしていた人達が全員俺を注目する中、スケベ体育教師が哀れむ様な目でこちらを見て「一色大丈夫か?」と聞いてくる。
最早無駄だが、屋根の下に入りながら「大丈夫じゃねぇっす」と返すと「先に上がって着替えて来なさい」と言われたので素直に教室に戻ろうとする。
クスクスと笑われる中、恥を忍んで突っ込むと、目の前にシオリが現れた。
彼女は何処から出したのかタオルを持っていたのだ。
そこで俺はキュンとなる。
もしかしてシオリ……そのタオルを貸してくれるのか? いや、でも、こんな大勢の前でそんな事をしたら――だが、折角のシオリの大胆な行動を無下にする訳にはいなかない!
感動しているとシオリはそのタオルで自分の顔を拭いて無表情で言ってきた。
「ざまぁみろ」
えええええええ!?
♢
シオリの野郎……。あいつだけは……。
放課後になり、すっかり髪の毛や身体は乾いていた。
しかし、あの冷徹無双の天使様への恨みは乾いておらず、ジメジメと俺の心を湿らせている。
「帰ったら風呂場にGのオモチャでも忍ばせてビビらせたろか」
それはビビるぞ。めっちゃビビる。ビビって夜寝れなくなるだろ。けっけっけっ。帰りに早速ロ○ト行かなくちゃ。
そんな復讐心を募らせて昇降口へ向かうと、先に教室を出たはずのシオリが無表情で空を見上げていた。
もしかして――。
「よっ」
隣に立つと「あ、コジロー」と朝と同じ位、それ以上と思わせる綺麗な顔をこちらに向ける。
体育の後にでも付け直したのかな。
「傘忘れたのか?」
聞くとコクリと頷いた。
『――はっはーん! ざまぁみろ! ピロピロピーン! ばーか! ざーこ! 今日降水確率高いって言ってたろ! 朝のアニメの再放送ばっかり見ないで天気予報見ろよ! はっはー! 俺と同じ目に合えば良いんだ! なっはっはっ!』
ふふふ。思わぬ所で復讐を果たせた形になる。
――なんて考えたが、この一色 小次郎はそんな幼い精神年齢ではない。
復讐は復讐しか生まないのである。
大人な、紳士な、ダンディな俺はシオリにこう言ってやったさ。
「一緒に帰るか?」
「良いの?」
「見た感じ雨は止まないだろうし」
「でも、周りの目、気になるんでしょ? 別に良いよ」
「傘してたら分かんねぇだろ。――ほら、行くぞ」
そう言って歩き出すと、シオリは頷いて隣にやってくる。
二人していつもの立ち位置、俺が右手、シオリが左手で歩いて行くと、校門を出た辺りで意識が強くなるのだが――これは相合傘というやつではなかろうか。
復讐心が強すぎて、その意識が低かったが……。これ、めちゃくちゃ恥ずかしいやつだな。
あ、やばいドキドキしてきた。
シオリは――平気な顔してそうだけど、俺は正直、初の相合傘にアタフタしてしまう。
と、とりあえず、俺の肩を犠牲にシオリを守らなくては……。さよなら乾いたばかりの右肩。
先程まで復讐のターゲットだった奴を守っているとは何とも皮肉なものだな。
なんて考えているとシオリが右肩で軽くタックルしてくる。
「――っとと……。どした、どした」
「今日の怒り」
「えいっ。えいっ」と軽くタックルを続けてくる。
「――いや、お前は何で今日そんなに怒ってんだ?」
そう聞くとシオリは呆れた顔をして言ってくる。
「そんなのコジローが気が付いてくれないからじゃん」
「気が付いてない?」
何だ?
俺は首を捻りながら考え込む。
「ごめん。何に?」
「鈍感馬鹿なコジローには教えてあげない」
「えー……」
少し考えても思いつかず苦笑いが溢れてしまう。
「――俺がお返しであげたリップしてるとか? ――あはは。そんな単純な事じゃないか」
「――え?」
シオリは驚いた顔をしてこちらを見て、無意識に手を唇に持っていった。
「気が付いてた?」
「あれ? もしかして正解?」
聞くとシオリは顔を背ける。
「気が付いてたなら言ってよ……」
あ、マジっぽい。
「あんまりそういうのを言うのっていやらしいのかなって……。それに綺麗過ぎて……ちょっと……」
そう言うと嬉しそうにシオリはこちらを見てくる。
「似合ってる?」
「ま、まぁ……」
気恥ずかしく答えると、シオリは「やれやれ」と溜息を吐いてクールに言ってくる。
「それじゃあこれからも使ってあげるよ」
「そりゃどうも」
シオリの機嫌が治った所で「あれ?」と彼女は手を傘から出す。
それに釣られて俺も傘から手を出す。
「止んだな」
まるで今日の天候はシオリの機嫌を表すみたいである。
「みたいだね」
「そんじゃ――」
そう言って傘を畳もうとすると「待って」と言ってくる。
「もう少しこのままが良い」
「でも、雨も降ってないのに傘さしてたら間抜けじゃない?」
「――あれだよ……。ほら、周りの目が気になるんでしょ? これは防御壁みたいなもの」
「なるほど! あったま良い」
褒めるとシオリは「ふふっ」と笑って何か言ってきたが聞き取れなかった。
「何て言った?」
「なんでもないよ」
すっかりご機嫌になったシオリと共に晴れ間の見える空の下を傘をさす。
帰りの方角には虹が出来ており、俺達はそこへ向かう様に家に帰って行った。
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