第21話 俺は許嫁の事を良く知らない

 人間は慣れる生き物である。


 そんな言葉を何処かで聞いた事があるが、その通りだと実感する事が出来る。


 いきなり許嫁だと言って俺の家に居候する事になった冷徹無双の天使様という異名を持つ美少女の七瀬川 汐梨。

 最初は戸惑い、どうなる事かと思ったが、数日も経てばシオリが家にいる事は普通になり、裸でウロウロする事もトイレを間違えて覗く事も無くなった。


 非現実が現実へと変わってきている。




「――こんなもんかな……」


 寝室の机で明日行われる期末テストの勉強を一段落付けた所で伸びをしながら呟いた。


 特にうるさくは言われていないが、親元を離れての生活なので、ある程度の成績を取らないと心配をかけてしまう。それは仕事の邪魔になるので、一人暮らしをさせてもらっている身としては親に心配かけずに一人でもちゃんとしている事をアピールしておきたい。


 寝室を出て、リビングに行くとダイニングテーブルで冷徹無双の天使様がヘッドホンを付けて座っていた。

 机には教科書とノートが広げられており、この間一緒に買いに行った安い部屋着を着て、彼女もまたテスト勉強に勤しんでいる様子である。


 ヘッドホンを付けているという事は周りの音をシャットダウンして集中したいのだと思い、声をかけずにキッチンまで行き、冷蔵庫を開けて好きなメーカーのミネラルウォーターを飲む。


 水が口から喉を通り、そして身体全体に染み渡るのをイメージして飲むと――うん、変わらない。普通のスーパーで買った水だわ。


 ふと、キッチンからダイニングテーブルの方を見ると――。


「寝てる……のか?」


 水を冷蔵庫に戻してシオリの真前に座る。

 彼女は天使が羽を休める様に椅子の背もたれに背中を預けて眠っていた。


「こんな所で寝ると風邪を引くぞ」


 身体を揺らして起こそうかと思った手がピタリと宙で止まる。


 慣れない生活でシオリも疲れているのだろう。


 俺が非現実と思っているのなら、シオリに取ってもそうだろうし、俺と違い慣れない家、安物の布団で寝ているから疲労が蓄積している事だろう。

 気持ち良さそうに寝ているし、部屋は暖房が効いて暖かいので睡眠の邪魔をするまでもないと思った。


 俺の身体は自然とシオリの真前に着席してテーブルに肘を付いて彼女の寝姿を見つめてしまう。


「まつ毛ながっ……」


 その整った顔立ちで一番最初に目に入ったのはそこであった。

 

 寝姿も美少女な彼女の顔を見つめていると、ついこの間のシオリの微笑みを思い出してしまう。


「あの時だけだったな。シオリの笑った顔を見たの」


 それ以降は以前変わらず無表情で何を考えているのか分からない不思議ちゃんだ。


 だけど……だからこそ、微笑みかけてくれた顔の衝撃はかなり強く、今でも鮮明に思い出す事が出来る。


「普段、一体何を考えているのやら」


 そういえば、今の生活に慣れてきたと言ってもシオリの事はほとんど知らない。


 知っている事と言えば――早起きで、見た目があれな美味しい料理を作ってくれるって事位か……。


 今、聞いている音楽が何なのか、読んでいる本は何なのか、誕生日はいつなのか、好きな食べ物とか趣味とか特技とか――一緒に暮らしているのに全然知らないな。


 無口な女の子だからそういうのを話すタイミングが全然無かったな。


「――あ……」


 シオリの寝顔を見ながら色々と考えていると、いきなり目が開いてバッチリ目が合った。


 ドキッとして俺は何故か姿勢正しく座り直すと、シオリはヘッドホンを外して話かけてくる。


「もしかしてずっと見つめてた?」

「い、いーやぁ……。あれよ? あれ」

「どれ?」

「べ、勉強してるなぁ。感心感心って感じ?」

「質問に答えてない」


 そうっすね。間違いない。


 シオリはそこまで興味は無かったのか、それ以上追求せずに教科書とノートを閉じる。


「あれ? 勉強は?」

「もう十分。やり過ぎも良くない」

「シオリって成績良い方なの?」


 個人情報保護法――は良い過ぎかも知れないが、我が校では『学年上位○位発表』みたいな風習は無い。なので、シオリの成績が良いのか悪いのかは知らない。


「勉強には自信がある」

「ホントかよ」


 無表情に自信のある声を出すが、それを素直に信じる事は出来ない。もしかしたら赤点ギリギリのラインを成績良いとかほざく可能性もある。


「コジローは勉強終わり?」

「そうだな。シオリと同じ考えだな」

「そう」


 シオリは小さく答えると沈黙が流れてしまう。


 ここで話を終えても良いのだが、雑談程度の話題として、今ヘッドホンしてたけど何聞いてんの? と聞こうと思った。


「今ヘッド――」


 俺の言葉の途中でポケットに入れていたスマホが震え出した。

 震えの長さから電話だと認識出来、手に取ると画面には『六堂 冬馬』と映し出されていた。


「冬馬? ――ちょっとごめん」


 シオリに謝りを入れて「もしもし」と電話に出る。


『俺だ』

「電話なんて珍しい。どうした?」

『ああ。恒例の勉強会という名の現実逃避にやって来たのだが』


 そう言われて爆笑してしまう。

 冬馬の見た目だけは勉強の出来る眼鏡イケメンだが、見た目とは裏腹に成績は芳しくなかった。


「いつものね。てか、現実逃避はお前だけだろ」

『はは。そう言うな。それで、もう小次郎の家の近くなんだが開けてくれるか?』

「ああ。分かっ――」


 俺はシオリを見る。


「――ああああああ!」


 シオリと許嫁という事は冬馬に話をしてあるが、居候させている事はまだ言ってなかった。

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