第19話 めのう陵

 観念してうなだれているマドンナの手を引いて、豚王は寝室にしけ込んでしまった。ロンドンはキャベツ姫と共に「どよよ~ん」という擬音が似合う空気の中に取り残された。

 まっじーなぁ。彼女、爆発寸前だよ……。

 キャベツ姫が放射する怒りの波動にさらされて、ロンドンはいたたまれない。旅から旅へと明け暮れてきた彼は、女の涙やヒステリーが苦手だ。こんなとき、何を言ったらいいのか見当もつかない。

 気を紛らわす言葉を言おうか、一緒に怒ろうかと迷って、キャベツ姫をそおーっとうかがった。これがバッドタイミングだった。バチッと目が合い、彼女はいきなりロンドンの胸ぐらをつかんで叫び始めたのである。

「許せなーい! イデンシなんてわけのわからん言葉で飾っちゃってさ、やらしいのよ。女の敵、人類の敵よ! ロンドンだってむかつくでしょ? 一人で何千人もの女の子を独占してるのよ。黙ってちゃだめ。断固抗議しなきゃ! ああっ、もう我慢も限界だわ!」

 彼女はロンドンの首をぐらぐらと揺すった。暴走ぎみのセリフが耳に突き刺さった。

「自分ばっかり女をとっかえひっかえ遊びまくって、あたしには彼氏の一人もつくらせないのよ。ぜえったい許せない!」

 キャベツ姫が力の限り叫ぶ。無抵抗に揺さぶられながら、あ、それが本音ね、とロンドンは思った。

 ひとしきり怒りをぶちまけてから、彼女はようやく手を離した。

「着いてらっしゃい、ロンドン。女の恨みの怖さ、教えてあげる」

 冷たいトーンで姫が言った。

「せっかくですけど、父娘げんかに巻き込まれるのはごめんですよ」

 彼女の目が虚無を見ているように暗くて、ロンドンは思わずおよび腰になった。

「いいから黙って着いてくんの!」

 キャベツ姫は有無を言わさず彼の腕をつかみ、ずんずんと歩き始めた。

 やれやれ、つきあわざるを得ない。ロンドンはわがまま姫の影を踏んで歩いた。

 太陽が大都市ブダペストの建物群の合間に沈んでいく。夕陽に染まったキャベツ姫の横顔は抱きしめたくなるぐらいきれいで、ロンドンはこれがデートだったらなぁ、と思わずにはいられなかった。しかし、彼女はただ速足で先を急ぐばかりである。

 王城から約三十分。急に街並みが途切れ、小高い丘が黒々と姿を現した。

 キャベツ姫が立ち止まる。どうやらここが目的地らしい。

「どこです、ここは?」

「お墓よ。前方後円墳めのう陵」

 くるりと振り向いて、キャベツ姫が告げた。

「めのう陵? めのうって、豚王陛下に殺されたお妃の?」

「そ、おかあさんのお墓よ」

 あ……。そうだ、キャベツ姫には母親を父親に刺殺されたという超悲惨な生い立ちがある。

 ロンドンは瞬時に表情を失った。同情となんでおれをここに、という困惑が入り混じって、どんな顔をすればいいのかわからない。

「王妃刺殺事件は当時国中を大騒ぎさせたそうよ。でも、おとうさんがこんなでっかいお墓におかあさんを手厚く葬って、後悔しているふうだったから、世間はだんだん静まっていったらしいわ。王様に文句を言っても仕方ないってあきらめもあっただろうしね……。だけど、世間が許したからって、あたしは絶対に許さないわ!」

 キャベツ姫は血がにじむほど唇をかみしめていた。この娘と父の確執の深さを垣間見て、ロンドンの血の気が引いた。

「おかあさんだって、未だに怒ってるんだから! ほら、見て! 間に合ったようよ」

 彼女はめのう陵の方墳部分を指さした。そこからふうわり、白い影が浮かびあがった。

「なんですか、あれ? 幽霊みてー」

 半ば冗談、半ば本気でロンドンがつぶやいた。

「みてーじゃないの、本物よ。おかあさんの幽霊なの」

 姫がけろっと答えた。

「ゆーれー? ほんものー?」

 ロンドンは腰を抜かした。本当にへなへなと地面の上に座り込んでしまった。放浪生活十四年めにして、初めてお目にかかる代物である。

「だらしないわねぇ。怖いの?」

「怖いですよ! 姫こそなんで平然としてんですかっ?」

 地面にへたり込んだままロンドンが叫んだ。

「だってあれ、おかあさんよ。なに、幽霊って、そんなに珍しいの?」

 キャベツ姫は首を傾げていた。

 この子、ずれてる。豚王とキャベツ姫の父娘に常識は通じない、とロンドンは改めて思った。

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