第5話 小鍛治 ―こかじ―

 ◇

「では道成みちなり、頼んだぞ」

「ははっ。必ずや御元みもとに」


 橘道成たちばなのみちなりは深く頭を下げ、一条帝いちじょうていめい遂行すいこうすべく退出した。

 即位のその日、高御座たかみくらに生首が乗っていた、などと不吉な噂のある帝の御心おこころやすんじることがない。

 だが此度こたび吉兆きっちょう夢告ゆめつげがあったとのこと。

 道成は勇んで勅使ちょくしとしての務めに向かった。


三条宗近さんじょうむねちかはおるか」


 勅使であると道成が告げると、宗近は平伏へいふくして承った。


「帝が夢でお告げを受けられた」

「はっ……」

「そちの打った刀を守り刀とせよ、との夢告じゃ」

「守り刀、でございますか」

「うむ。ご即位なされてこのかた、帝のご心労は尽きない。その帝の御為おんためとあらば、そちも作りがいがあろうというものじゃろう」


 しゃくの裏でほほと短い笑みを漏らす道成に、宗近はおそれながらと言葉を返した。


「真にありがたいおおせではございますが、ただ今は相槌あいづちを打つ者がおりませぬ。それゆえ刀を打つことは……」

「それは儂の知ったことではない。とにかく帝は、三条宗近が刀を御所望ごしょもうなのじゃ。かしこまって承るがよい」

「ですが……」


 尚も訴える宗近を押さえ、しかと伝えたぞと口上こうじょうを切り上げると、道成はその場を後にした。

 さて、残された宗近。


「無理だ」


 そのまま、ごろりと寝転がる。


「相槌を打つ者がいなくて、どうやって刀を打てというのだ!」


 息の合わない者と共に刀を打つなど無理なこと。まして帝への献上ともなれば、滅多な者に任せるわけにはいかない。


「期限がいつとは仰せられなんだが、お待たせするわけにもいかぬしなあ……」


 頭を抱えごろごろと転がりながら、しばらくは無為むいに日を過ごしてしまったのだった。




 ◇

 とはいえ、どうにか相槌を打つ者を探さなくてはならない。方々ほうぼう伝手つてを辿ってみたものの、何とも結果は捗々はかばかしくなかった。


「これは本当にどうにもならぬな」


 いっそ笑えてきた、と言いながらため息をつく。


「この鍛冶場とも別れの時がやってきたか」


 呟く宗近の耳に、なにやら小さな声が入り込んだような気がした。


「……気のせいか? まあいい、それよりも最期であれば氏神うじがみ様にも参っておくとしよう」


 またひとつ大きなため息を残し、宗近はよろよろと鍛冶場を出た。


「あれ? 鍛冶屋のおじちゃんじゃないか。どこへ行くの」

「おお、誰かと思えば……ちと稲荷明神様へお参りにな」


 さすがに、近所のわらべに愚痴を言うわけにもいかず、宗近は無理矢理笑顔を作って答えた。


「へえ、じゃ守り刀を打つんだ。お稲荷さんのお力添えをお願いに行くんだね」


 なぜそれを知っていると不審な顔の宗近に、童は小首を傾げてみんな知ってるよと笑った。


「おれも、お使い頼まれてるから、一緒に行っていいかい?」

「あ、ああ。それはかまわないが……」


 二人並んで歩き出す。

 が、しばらく行くと童が言った。

 

「まったく! おじちゃんはお参りじゃなくてお弔いにでも行くのかい? そんなんじゃ神様も願いを聞いてくれないよ」


 この童はよくよく人の顔色を見ているものらしい。悲壮な心持ちが顔に出ていると小突こづかれた。

 確かにそうだな、と宗近は感心したように頷く。


「お前、今日はいつもと違っていいことを言うなあ」

「いつもと違っては余計だよ」


 むくれる童を相手にして、ようやく愁眉しゅうびを開いた宗近だった。

 童は表情も話もころころと変わる。

 こんなことを知っているか、と今度は得意げに話し出した。


「知ってる? 草薙剣くさなぎのつるぎっていうすごいつるぎがあるんだって。えびすに囲まれて火を放たれた時、剣の精霊が嵐になって、炎ごと敵を打ち破ったんだってさ。きっと、おじちゃんの刀もすっごい刀になるんだろうなあ」

「ははは、そうなるといいんだが」


 とおっと叫び、刀を振り回し敵を蹴散らす振りをしながら、童は宗近の周りを駆け回る。


「これ、そんなに駆けたら危ないぞ」


 それにしてもよくそんな話を知っている、と不思議に思っていると童は急に立ち止まった。


 振り返ると、それまでとは一変いっぺん。まるで人とは思えない神気しんきを帯びたたたずまいである。


『宗近よ、心安く思うがよい。なんじが打つべき瑞相ずいそう御剣みつるぎも、如何いかでそれにおとるべきや』

「なんだって?」

『稲荷明神様は必ずや御力おちからをお貸しくださる。心してその時を待つがよい』

「お前は誰……いや、あなた様はもしや……」


 宗近の問いにも、童は名乗らずただ微笑む。

 ふと、気づけば稲荷明神の門前。

 もしや稲荷明神様のお使いであったか、と思い至った宗近は、家を出た時とは打って変わり、神妙しんみょうに神前で手を合わせた。

 どうか神剣を打たせたまえ、御力をお貸しそうらえ、と。




 ◇

「宗近の鍛冶場はここかい」


 入口から、ひょいと見知らぬ童子どうじが顔をのぞかせる。


「これ、入ってはならん。どこの子なんだ?」

「うんうん、ちゃんと浄めてあるし注連縄しめなわも張ってあるね」

「だから入ってはならんと言っているだろう。稲荷明神様をお迎えするんだぞ」

「儂だよ。約束通り手伝いに来た」

「約束? もしや、稲荷明神様でございますか! これは失礼を」


 飛びがって額を土間どまに擦りつける宗近に、稲荷明神は鷹揚おうように頷いた。


「かまわないよ。それよりも、儂は刀を打つのは素人なんだ。どのようにすればよいか、教えてくれるかな」

「はっ」


 宗近ははがね手挟たばさんで、これこのようにと童子に言う。

 ふむふむと頷きながら槌を振り上げようとした童子は、


「さすがにこの姿では、力が少し足りないなあ」


 くるりとトンボを切ると、そこには屈強くっきょうな若者が槌を構えて立っていた。


「さあ、宗近。鋼をこれに」

「はっ」


 真っ赤に焼けた鋼の上を、カンカンカンと槌がゆく。

 宗近が打ち、若者が打つ。

 初めてとは思えないほど、ぴたりと調子の合うさまに、なるほどこれが神力しんりきなるか、と宗近はひたすら鋼を鍛え打つ。


「儂が相槌を打つこの刀、きっと神代かみよの剣にも負けぬぞ」

「はい、稲荷明神様」


 真っ赤に焼けた鋼から、打つたび辺りに火花が散る。

 叩いては伸ばし、伸ばしては叩く。鋼の塊は守り刀へと、その姿を変えていく。

 そうして熱く焼かれたやいばは、頃合いを見て冷やされる。

 じゅうっと跳ねる水の音、ぼうっと上がる蒸気に若者の姿が霞む。


「どうだい」

「はい、良き刀となりそうです」


 研ぎ上がったやいばを見れば、雲が沸き立つような刃文はもんが見える。童子姿の稲荷明神は、ほっと感嘆の息をこぼした。


「これはすごいな、もくもくと雲が群れるようじゃないか。天叢雲剣あめのむらくものつるぎもこんなだったのかなあ」

「稲荷明神様のめいを入れさせていただいてもよろしいでしょうか」

「うむ、儂のは裏に入れてくれ。儂は宗近の弟子だからのう」

「いえ、それは畏れ多いことでございますから」

「宗近は表に、な」

「……はっ!」


 そうして打たれた銘は「小鍛冶宗近」と「小狐」の二つであった。



 ◇

「宗近、守り刀が仕上がったと聞いて早速に参ったぞ」


 橘道成が顔を上気させてやって来た。


「なんと。ただ今、こちらから伺うところでしたのに」

「夢でお告げを受けたのじゃ。守り刀ができ上がっておるゆえ、受け取りに行けとな」

「左様でございましたか」

「帝と稲荷明神の使いとなれば、光栄なことと言わざるを得んな」


 ほほと笑った道成は、して刀は、と宗近を促した。


「こちらにございます」


 童子が布に包まれた刀箱かたなばこを、静々しずしずと掲げてくる。

 道成の前にそれを置き、立ち上がった時の童子はもはや、神気を帯びた姿に輝いていた。

 思わず二人は、その場へ平伏ひれふす。


「これなるは、天下てんが第一の、二つの銘の御剣みつるぎにて。四海しかいを治め給えば、五穀成就もこの時なれや」


 光り輝くご神体は、雲に向かって飛んでいく。


「三条宗近が打ちし守り刀、一条帝にしっかと渡すがよい」

「稲荷明神様!」

「宗近、これまでじゃ。ではの」


 そう言うと、稲荷明神は東山ひがしやまの峯へと帰っていった。

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