046.理由。
やあ、今代の空。
そんな風に声をかけた幼子を見すえ、ああ、とその人は鷹揚にうなずく。
雲か。私を始末しに来たのか?
まあね。遺言はあるかい。
何でもなさそうに、どうでもよさそうに子供は答える。そうして、はっきり遺言と伝えてきた子供に、その人は苦笑して返した。
それから、どこか遠くを見るように、ぼんやりと宙を見つめる。
……そうだな、私が空になれなかった――いや、その前に、どうして私が選ばれたのか、だな。
君が選ばれた理由は単純さ。他がもっと酷かったからね。
ほう。
子供の答えに、その人は眉を跳ね上げる。それから、以前、自分と共に候補者とされていた者たちを思い返した。
それで虚も一度は僕に移ろうとも考えたようだけれどね。まあ、事情があるのさ。
私の後は――。
次は決まっているようだよ。君がそれを見ることはないけれどね。まあでも、しばらくは大地が肩代わりするだろう。
その人の言葉をさえぎり、子供が先を制して告げる。すると、その人は一度目を閉じて、数秒おいてから再び目を開いた。
その瞳には、何か、確かな存在が宿っている。
それは、子供の知る虚無感とはほど遠い。
では、最後に、私の敗因を教えてくれないか?
ずいぶんとこだわるんだね。
そう言った子供の口調には、からかうような響きがあった。それを真正面から受け止め、けれども、その人は真剣な顔のままで応える。
誰だってそうだろう。自分の負けた理由は知りたいものだ。
……君がいなくなったら、皆が君を責めるだろう、今代の空。
その人の質問には答えずに、子供がそう告げた。ふっ、とその人が笑みを浮かべて、ゆったりとした仕草で首を振る。
ああ、そうだな。
……君の敗因は、君が君として生きたからさ。そして今、僕にそれをたずねていることだね。空は万物のためにある。君は空っぽではないから、空ではないのさ。
子供の応えたそれは、しごく簡潔な答えであった。
……ふ、はは……そうか、そうだな。ありがとう、雲。すっきりしたよ。――ところで、お前が送るのは、私で何人目だ?
……百は過ぎたけれど、千は越えていないよ。
子供の答えは、とても曖昧だ。けれどもきっと、この子供は知っている。確かに送った一人一人を覚えている。そうして、自分も子供の記憶に蓄積されるのだろうと、その人は思った。
悪いな、お前の空になってやれなくて。お前の役目は、私では終わらない。
別にいいさ。痛みがあるのは良いことだよ、今代の空。
特に気にする風でもなく子供は返す。そして、実際、子供は気にしていなかった。最初から、子供の役目はまだ始まってすらいなかったのだから。
全ては因果応報、あの子の遊戯に付き合わされるのも僕の責任だからね。君が気にする必要はないさ。
子供がそう言うと、その人は静かに目を閉じた。子供の手が、その人の額に触れる。その人の全身から立ち上った光が、やがて一つの球体に収まった。
それじゃあ、君はもう逝きな。
子供はそれを手元に引き寄せて、窓から外へ放す。光の球はゆっくりと昊へ上っていき、宙に溶けるように霧散した。
そうして一人残されたその部屋で、子供は腹を押さえてうずくる。顔をしかめながら、喉の奥から絞り出すように、小さく呻きを上げる。
君が気にしなくとも、きっともうじき終わるよ……。
もうじき、現れる。ずっと探し続けたあの存在が。そうしたら、ようやく自分にも終わりの始まりがやって来る。
そうだろう、小さな世界の不適合者……。
まだ見ぬ誰かに、子供はそう呟いた。
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