第4話
大阪では路上にホームレスや日雇い労働者がゴロゴロ寝転がっているというが、それは違った。
道端で寝ているのは、薄汚い浮浪者や酔っぱらいだけではない。年齢も、性別も違う、ファッションも、能力も、汚れ具合も、すべてがバラバラの、ありえない連中だった。
「えっ、あれは……、何ですか……」
「下郎(げろう)やな……、エタっとるんよ」
珠希はそう言って笑った。
「下郎って、ヤクザのことか?」
「それは外道。ヤクザは職業やけど、下郎は職業ちゃうねん。ゆうたれば存在の、いちカテゴリーや。人造人間の……」
「……人造人間、なのか」
「下郎ってのはな、違法な人造人間のことや。どっかで、誰かが、粗悪な人造人間を作りよって、世の中を乱しちょる。規制しても規制しても網の目をくぐって溢れ出てくるんやね。ほいで、作っとるのがどこの誰だかわからんのんで、そいつらを下郎作家って呼んどるわけや。まあ、テロリストみたいなもんやな。あ、あそこの通りを右に曲がって、ちょっと行ったところの、『みみずかはし』って店の横の、路地を曲がった奥が目的地やで」
「テロをするんがテロリスト。下郎作るんがゲロリスト」
マリヤが、俺の耳元でそう囁いた。
「んで、ごっつうっさいお偉いさんが、違法な人造人間の製造法を規制するんや」
「性悪なのか?」
「そうとは限れへん。いろいろや」
珠希が言った。
「たいがい、アレさん達みたいに、さっさと命の蓄えが尽きて、エタってまうけど。出来もいろいろや。ええ奴もおれば、嫌(や)な奴もおる。上出来のんもおれば、不出来なんもいる。そういうもんや。ただ、みんな、下郎ってだけで色眼鏡で見よる。素性がしれんから、下郎や。見下して、蔑(さげす)んで、そう呼ぶんや。ニッポンの『総理大臣』かて人造人間なのにな。まあ、あの人も、最初はそんなんやった。今じゃ、体に、何本も管が付いていて、好き勝手せえへんように、いろんな人間が操っとる。そやのにあいつ、自分のおでこと、自分の頭の悪さを、記者会見やって、こう、懇切丁寧に説明したわけや。違法な人造人間が低級やとか、人工知能が危ないとか、そういうお偉いさんは、偉そうに説教したるけど、実際はなーんもわかっとらん。アホやなあって。で、それを、人権のない人間の前で、自慢げに、ひけらかしてるんやで? アホやって」
確かに、珠希の言うことはほとんど正しい。彼女は俺の相棒で、俺が「人造人間」なら、「そんな奴らに、違法なまんま、下郎は使われるだけ使われるんや」と彼女が言った時、俺はどう返せばよかったのだろう。
「なるほどな……要らなくなったらポイ捨てか」
俺は、ありきたりな感想を、そう言った。
「下郎を操っとる人間は、下郎を下に見て、下に見る人間を上客としか見とらん。どうせエタるち思うて。あいつらが、それを知っとるのは、えらいことやないんや。その前に、搾れるだけ搾り取っとこうって腹やねん。芥川財団のブランド品も、村上少年刑務所の矯正品も、下郎も、エとセとラも、性能は、まあ、それはあんまり変わらへん。ベストを着てんのんも、セーラー服を脱いだんのんも、女学生はどっちかて女学生やろ。それと一緒や。人間だって、下には下があって、上がおる。下には下の、上はその下の、貶めてええもんがおる。せやけど、人間は人間や。その人間に都合のいい、平等な価値観でお互いごまけながら、下郎を蔑んで、自分を守っとるのや。人間、人間、人間、あの人らの作った人間は、そいつらよりもっと下やから、モッタイブリの養殖ハマチ、そう呼んどる」
そんな、なんとも言えない、現実感のない話で、俺は現実に引き戻されたのだった。ああ、そうだ。そんな言葉が、俺の口の中から出ていった。そう、彼女は下郎で、下郎に育てられただけの存在だ。彼女は、「人権」がない。
「そうか。下郎は、下郎なのか」
マリヤは、俺の目を指差した。そこに目があった。だが、俺のものではない。それは、俺の目ではなく、あの下郎のだ。そう、彼女の指先から、俺の唇が消えている。
俺は珠希の言葉に素直に納得するが、そうじゃない。
そもそも、珠希や、マリヤのような下郎など、俺の知らないところでは見たことがない。
俺の知っている下郎は、俺にキスなんてしない。俺にキスするのは、あの、マリヤの唇だ。俺に唾をかける人間は、そのへんにいる女、せいぜい近所のオバサンくらいだ。
「あいつらは、下郎じゃない」
俺は、つぶやいた。
「人間は、あんなに簡単に、他者(ひと)を、気持ちよくしてやることはできないんだ」
そういう下郎から、俺は目が離せないらしい。俺の両手が、マリヤと、珠希の手を掴んでいた。
「そらなー。でも、あんたは、あんた。うちらは、うちらや」
珠希は、俺をたしなめるように言った。
マリヤが俺を指差すと、彼女は、俺に目線を戻した。
俺は何を見ていたのか。路上で寝転がる彼らの光景を見ていると、どうしても、こんな所にはいられないと思わされ、嫌悪と、失望が、止まらなくなる。
誰であろうとこいつらは救えないと、そう思わされる。俺もそうだ。まったく、変わらない。俺はそんなことを感じてしまう。
そのせいで、俺は、「あまりにも醜悪な連中だ」「どうせ、ろくな奴じゃない」「こんな奴らが救われるわけはない」とか、そういう思考で俺自身を責めてしまう。
だが、俺はここにいない人間の方が、もっと醜いし、醜いし、どうしようもない。そう思った。世間が「救えない人間」の溜まり場だなのは、誰でも知っている。なのにそれを隠して、表に出さず、平気で歩いているだけだ。
本当に、俺はそんな人間を見ると、とてもイライラする。
どうせ誰にも救えないのだから、俺たちを責めるなと言い合う下郎作家と同様に、俺はこういった人間を見ると怒るというよりも、どうしても、無力な自分に、どうしても腹が立ってしまう。
もしも、俺は、あるいは俺のような存在がどんな奴なのか、よく知っているなら、どうか俺の意見を聞いてください。どうか、下郎のことを、俺のことを責めないで。俺も、あなた達と同様、自分達が嫌いだからです。
そう、俺は、わかっている。もし、連中についてあれこれ意見を聞いたらどうなるか、それは、その瞬間、「廃棄」と決定されるだろう。下郎の立場が悪くなるはずだよ。もしかしたら、あんた達が、下郎について言ったことが真実なのかなんてわかったもんじゃないかもしれない。しかし、もしもそうだとしたら、俺はどう思い、なんて言って声を上げればいいのか。下郎か! こんな連中なんてどうでもいい! とでも?
俺の意見など聞こえなかったかのように、奴らは俺の意見など聞く気がないのか、あるいはただ俺を罵る為に俺のことについて話そうとしているのか。そして、俺の話を聞かなかったことへの弁明をしようとしているのか。
俺はこの時、ここに居る、ここで生きると、どうしても決めつける。もし、俺が人造人間で、俺が下郎だったとしたら、誰も俺の言うことを聞かないし、俺のやることを無視しても、俺は仕方がないと思う。しかし、もし、俺を受け入れ、俺の言うことを聞いてくれるならなんでもしてやろうと思う。もし、俺を受け入れず、俺の意見を聞いてくれなくても、そして、他者が俺の言うことに耳を傾けないなら、俺にはその後の選択肢など存在しないということを、自分で確かめる。そのために。俺は……。
俺は、ここに居る。俺の知っている連中のことなんか、どうでもいい。俺が、下郎だと言えば下郎になる。俺が、人間だと言えば人間になる。
……連中のことについて話すこと自体は、この際、ここまでにしよう。俺にとって、ここに居るだけで、この場所だけが全てで。それ以外は、どうでもいい。
この光景を見せるために、女たちは、電車に乗って、迂回して、ここまで来たんだ。わざわざ遠回りして、駅前の商店街を抜けて、下郎が、あの連中が寝転がる路上を渡って。
向かっている先は、地下世界のバー? カヌレ? それとも、スシマサだって?
いや、実際、彼女たちは、ここに居るだけで、この薄汚れた、この場末の街並、この世界そのものを、俺は知らない。そして、俺と女たちの関係も。
何を言ってる?
そうだ、俺は知ってる。俺は、俺が、俺の知ってる、この世界と関係があることを。
そんな俺の連中について感じ、考えることは全て、この俺が、この街を、下郎どもの街だと考えているからに違いない。連中は、俺の知っている、俺が貶し、俺を貶す奴らだ。そして、この俺が、最低の部類の、下郎だったというだけの話だ……俺は、本当に。……なあ、誰か。お前ならどうする? 俺はここに居るか。……俺は。俺は、居ないのか。お前はどうなんだ?
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