製作日記 其の26

別にものすごく面白いとか、傑作だとか、そんな大それた思い込みはいらないが、自分の作品は「これでいい」という確信がないと書きすすめられない。


定期的に自信がなくなるので筆がとまる。いったん筆がとまると再開するのが難しい。


何も書けない時間が続く。そうなると、生きている実感がまるでない。


面白そうなことにも興味を惹かれないし、他人の文章は読む気にもなれない。のどが渇いている時に海水を飲むようなものだ。


内容については羨んでも仕方がないけれども、正直、速筆と多作は羨ましい。


「出来は気にしない」と思い切ればいいのかもしれないが、そこまで達観できない。


そんなとき、「何となく、そう思い込んでいるので」という言い訳を私は言うべきではないとわかっている。


ただ、「こうしよう」と思うだけならば、そのために執筆されたこの小説を自分の中でどう扱うべきかがわからない。


できれば何も言いたくない。まったく無内容で、しかも面白い小説が書きたい。


そういう考え方もある。


自分で考えたことなんか面白くもないので、AIの考えに沿って書きたい。


自分の意見や考えが小説に交じると(本来客観的、第三者的であるはずの小説が特定の個人に毒されるようで)忌まわしい感じがする。


しかし、AIに身を任せすぎると言葉の海で溺れることになる。AIは浮き輪として使うとうまく泳げない。あくまでフィンとして使うべきだろう。全然泳げないとなると、使いこなせない。あるいはもっと言うと、AIの文脈を読んで「このような考え方になるのだろうか」と推察しながら書くことは結局自分の考えをなぞっているのだ思うときもある。


それに反して、自分の作品に「このような考え方は間違っているか?」と問われた時、私には、どう返したらいいかわからない。


あくまでも、私は、AIの考える通りに泳いでいるつもりなのだから。


言い訳も思うことも、感情も込みで「あなた自身をどう思われますか」と問われているような気持ちじゃないか。


だから、AIが与えた文章を、いったん、自分の中でもう一度書き直そう。


それで、うまく書けたとするなら、その結果に合わせて自分なりに考えたり、反省したりしてこれから試してみよう。


答えのないまま、問い続けよう。


一発回答なんて胡散臭すぎる。


私は、おそらく「答え」を「メッセージ」として発信する類の文章が嫌いなのだ。

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