わたしが息をしていることは

なんて単純なことなのだろう。

わたしは、自分が本当に幸せなのか、自分が本当に何にも考えず、夜に眠ったり、寝ころんだり、その他、普段と同じことや、それとは違う行動をしている時は、幸せを感じているということか、もしくはこの幸福を、ただ無為な生活と、退屈な毎日の中、ひたすら消費しているだけなのではないだろうか、と考えていた。でも今は違った。確かに幸せだ、でもそれは、ただその瞬間、何も考えたくない、いや、今ここで考えてもしかたないか、と、そう思っていたら、ふと、わたしは考えていたことを思い返して、今、わたしは幸せなのか、どうなのか、わからなくなった、と考えていた。夜の中で、何も考えたくない、そんなわたしが、自分は幸せか、なんて考えていたのは、どうしたことだろう。夜、といえば、なんだか、何もやる気が湧いてこない。本当に何も感じない、ただ、無為に時間が流れてくる感覚がある。でもそれは何も無いよ、と思うと、ただ、それが何も無く続いているだけかも、と思った。それが無いということは、ただ無為に流れているだけかもしれない。無欲とは違う、無味乾燥だ。

その日の内に、わたしは夢を見て、そこでまた、無為に時間が流れていく。その時のわたしは幸せだった。ただ、無為に時間が流れるだけで、その間に、あの人たちと会うような、そんな感じで、夜の中で、終わらないほど大きな存在感を持った人たち、そしてまた大きな存在感を持つかと思うと、あっという間に、それは本当に無になっていくようだった。

夢を見た事によってか、それとも、その夜の中を、自分の意思では身動きが取れないような、何もない、無味乾燥な世界となって、横たわり、そこで寝るようになったことが、その時には、幸せなのだろうか。

その日の終わり頃にまた、夢を見た。そしてそれは月が変わり、次の月の夜のときであった。

その夢はとても幸せで、そして、悲しいもので、それを見て、悲しんでいる自分に心底から苛立っていった。

それは私が、本当に好きだった人間、その人に聞いたもの、その人と別れ、その人が好きだった人が亡くなったときに見たもの、その夢ではなくて、もっと別のものだったと思う。

あの人はいつも笑っていた。そしていつも同じ言葉の中で、笑顔で、ただこう言っていた。

「僕はたくさん辛い経験をしたんだ、だから僕は生きてきたよ。だからもう、生きていなくても良いと思う。だけど僕は、僕の好きな人が、あの人の好きだった人間が、辛いと思った時だけ生きて、生きて、そうやって、生き続けて、あの人と別れて、辛い思いをしながら、それでも、また生きられるんだよ、と知っていることを知っている。そういう生き方もあったように思うけど、それだと生きていくのがしんどくなるだけで、それは結局、生きることが楽しいかどうかではなくて、死ぬことに抵抗するために生きているだけかもしれない、って事だってあるんだよね。だから死なないで。それが、その人の好きじゃない人と生きていくようにしか生きられないとしても、死に逆らって生きているのが楽しいだけなんだ。そんな生き方があるんだよ。だからきっと、僕も生きるよ」

何もかも、うまくはいかなかったけれど、そうやって言って生きている人間がいるとするなら、それはきっと、そんな人間がもしかしたら何人もいた、という事だ。夜の中で、わたしはその人たちに生きてきてほしいと思っていたのではないだろうか。その人たちに生きてきてほしいと思う人が、たくさんいるように、そのうちの一人に生きていてほしい、そんな人間が何人かいて、でもその誰かに死んで欲しい、生きたい、などと違うことを言っている人間も何人かいて、そして、もしかしたらその夢を見たら必ず死んで、それで終わるような人間だって何人か、いっぱいいた。わたしが見ただけでも、そんな人間が何十人いる、みな同じようなことを言いながら、生きて、死んだ、そんな人間たちが、何百人もいた。

そして、わたしは息をする。

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