エルトピカ

こうして、私たちは「エルトピカ」という消え去った書物について話したのだ。

その「エルトピカ」という書物は現在でもこの世界、すなわち現代に存在する書物であり、歴史書ではない可能性も指摘されている。

これは少しくどい言い方だが、もしもその書物が「歴史書ではない可能性が高い」というなら、その可能性が無いわけではない。

現代でも、歴史書はある。それらの一部はすでに過去の事象であるが、この世界には、それらの書物自体も歴史そのままにあり、「歴史が始まることを知った者は歴史書を読む」と言われる。そのために、書物に記された時代、時間、場所、人物の名は、誰の目にも明らかなのである。

そんなわけで、その本は「歴史」なのではないか、とも言われ、今でもその書物は歴史の中に残っているという。

だが、そんな本を読んだ人間がこの世界に残っているかは不明。

もしもそんな状況に陥り、その書物を読んでいたら、いつか歴史は消えたのでは? なんて想像はできない。

もしその書物が歴史書ではなく、かつ存在した時代を記しているならば、その書物は「本物」ではなく、過去に書かれた記述を再記している可能性がある。

そうならばいくら歴史書で知っている書物であるのが当たり前としても、「歴史」を記したのは別の書物だったとしたら? 誰も過去に書かれた書物が実在するとは思えないし、それらの記述は、全て「本物」を記録したものかどうかは確かめない限りわからない。

歴史は記録に現れる。

かつて自分が生きていた時代に書かれていたとしたら。だが今はその書物も歴史から存在を抹消されている可能性が高い。

「…………」

ここが分からないのは本当に辛い。

確かに歴史というのはその本の存在意義の一つでもあるが、もしも歴史という書物が本物の書物であり、もしも本物の書物は実在し、その書物がこの世界に存在した事を書いた記録として残っているのなら……、しかしそれが「過去の記述である」という言葉には私はあまり良い印象を持っていない。

もちろんこれまでに私は『歴史家』の一人として様々な知識を持つ。だが、どれも自分ではない場所について書かれただけの記述であると感じた。

もしもそれが実在の書物だとしても私は「歴史」に関しては何も書いたことが無い。もしかしたら私の周りの人も本の存在を知らないのかもしれない。

もしその書物の存在に今自分は気づいていながら書かなかったとするならば、私はそれこそ本物の書物に気づくか、あるいは気づけると言う事は既に、考え得る全ての事を書いた書物、もしくは『歴史の書』を書いてしまったと言う事であろう。

もしもその書物が本物だとして、私自身がその記述を書いた事を言い出してしまったらどうしようか? 考えたが結局思いつくものは何も無かった。

「そうか……」

私は自分の中の何かが納得いかなくて、深いため息を吐いた。

このままここにいるのは私の良心が耐え切れなくて私はあまり率直で人付き合いが上手くない人とは距離を取りたいと考えた。

もしもそれを私が認めてくれるなら、彼らは私に関わる事は無くなるだろう。

そう考えてここに来た次第である。

「そろそろ戻るか」

そう言って私は立ち上がる。

もし今後、私が書くなら、彼らの存在は私の周りには存在してもらえないだろう。

もし仮にその書物の存在を認めてしまった場合、私はその書物を作り出す事で私はあまり人に関わらないようにしなければならない。

それからどうするかはまだ聞いていない。

「戻りましょうか」

私はそう言って立ち上がると部屋を出る。

もしかすると彼らは私の存在を知らないうちに私を訪れて来ただろうが、それでもここで立ち止まっている時間は僅かであり、彼らにはもはや私に対して何か言うべき言葉が思い浮かばないだろうという事も事実だ。

だからいつまでも私はここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。

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